「名執さん!」
正面から水をかけられ、彼の前髪と顔から水滴が伝う。
それでも彼は母と向き合うことをやめない。
「つぐみはつぐみです。あなたとは違う」
はっきりと言い切ってくれる。その言葉に背中を押された気がした。
怖い、苦しい、そんな気持ちも消えていく。
「……そうだよ、私は私。あなたの娘だけど、あなたじゃない」
どんなに否定しても血のつながりは消えない。
だけど私と母は別の人間で、これまでの人生や考え方、価値観も違う。
私は母のようにならない。
そう、自分を強く信じてる。
「今までありがとう。……さよなら」
それだけを言うと、私は名執さんとともに席を立つ。
そんな私たちに、母は椅子から立ち上がると声をあげた。
「勝手にしろ!もう二度と会わない……あんたなんて産むんじゃなかった!」
決して振り返ることなくレジへ向かい、店主に騒ぎを詫びると会計を済ませて店を出た。
『あんたなんて産むんじゃなかった』、か。
子供の頃はひどくショックだった言葉。だけどもう、傷つかない。
生まれたことを母から否定されても、私の世界にはもっとたくさんの人がいるから。
その人たちとの人生を大切にしていくんだ。
「名執さん、大丈夫ですか?」
お店を出てから近くの駐車場に向かうあいだ、私はまだ濡れている名執さんの顔をハンカチで拭う。
「大丈夫、すぐ乾くよ」
「でも……本当にすみません」
「気にしないで。むしろコーヒーをかけられなかっただけマシかなって」
確かにそうかもしれないけど……。
ハンカチを受け取りながら笑ってくれる彼に、申し訳ない気持ちになる。
その気持ちを拭うように、その手は優しく頭を撫でた。
「それより、ちゃんと言えたね。よく頑張った」
私の決意を『間違いじゃない』と認めてくれる。
彼の言葉にそれまでの緊張が解けたように、涙があふれた。
「名執さんのおかげです。……そばにいてくれて、ありがとう」
涙を拭い、手をつないで歩き出す。
目の前の空は夕焼けに染まり、もうすぐ星が輝く時刻を迎える。
それは子供の頃と変わらない空。
だけど今、ようやく自分らしい心で見上げることができた。



