エルフェゴート国がルシフェニア王国の軍勢によって蹂躙され、一夜にして灰燼に帰してから数週間が経った。
かつて緑豊かだった隣国は、今や草木も生えぬ焦土と化し、
略奪と虐殺の記憶だけが煙となって空に溶けていった。
その凄惨な軍事行動を影で指揮し、リリアンヌの命通りに「緑の髪の少女」の息の根を止めたアレンは、
何食わぬ顔で再び王宮へと戻り、王女の影としての日常に戻っていた。
「ふふ、これでもう、私の視界を遮る忌々しい緑は消え去ったわ」
王宮のテラス席。
リリアンヌは豪奢なドレスの裾を揺らしながら、満足げに笑みを浮かべていた。
彼女の手元には、エルフェゴートの王宮から略奪してきた目の眩むような至宝の数々が並んでいる。
カイルが自分を選ばなかったという屈辱は、その国を根絶やしにすることで強引に塗り替えられたのだ。
「アレン、今日の最高級のブリオッシュは格別ね。やはり、おやつはこうでなくては」
「恐悦至極に存じます、王女様。貴女様がお気に召したのなら、苦労して職人を集めた甲斐がありました」
アレンはいつものように完璧な一礼を返し、彼女の金色の杯に冷えたワインを注ぐ。
その手は、つい数日前まで、命乞いをする無辜の民を、
そしてあの「ミクリア」という少女を手にかけ、血に染まっていた手だ。
だが、今の彼には一抹の後悔も、罪悪感もなかった。
リリアンヌがこうして無邪気に笑ってくれている。
ただそれだけで、自分の犯した大罪はすべて聖なる儀式へと昇華されていた。
しかし、王宮の華やかさとは裏腹に、城壁の外の世界は急速に冷え切っていっていた。
度重なる贅沢な宴。
エルフェゴート遠征に費やされた莫大な軍事費。
それらを賄うために、リリアンヌは民衆に対して容赦のない重税を課していた。
飢えに苦しむ餓死者は日に日に増え、ルシフェニアの街には活気が消え失せ、
代わりにどす黒い怨嗟の声が満ちていく。
パンの一切れすら買えない父親が、飢えて死んでいく我が子を抱いて王宮を睨みつける。
――そんな光景が、日常の風景となっていた。
「最近、街のネズミどもがうるさいわね。税を少し上げただけで、ぶつぶつと文句を言うなんて。
不敬だと思わない? アレン」
リリアンヌはワインを口に含みながら、不快そうに美しい眉をひそめた。
「おっしゃる通りです。民は王女様の慈悲によって生かされているに過ぎないというのに、
身の程を弁えぬ者が多すぎます。……不穏な動きをする者がいれば、
私がすぐに『排除』いたしますので、どうぞご安心を」
アレンは微笑みながら答えた。
だが、彼自身、民衆の怒りがすでに限界点に達していることを、密偵の報告から正確に把握していた。
この国はもう長くない。
遠からず、怒り狂った民衆による大規模な暴動が起きるだろう。
そしてその刃は、すべての元凶である「悪ノ娘」へと向けられる。
その日の深夜。激しい雷雨が王宮の窓を叩く中、アレンはいつものように、
リリアンヌの寝室の前で警護に当たっていた。すると、中から微かな、うなされるような声が聞こえてきた。
「……嫌……来ないで……カイル様……なぜ……」
アレンは音を立てずに扉を開け、寝室へと足を踏み入れた。
広大な天蓋付きのベッドの中で、リリアンヌは小さな身体を丸め、冷や汗を流しながら悪夢に怯えていた。
どれだけ傲慢に振る舞おうとも、彼女はまだ十四歳の、脆く傷つきやすい少女に過ぎない。
無意識のうちに、自分が犯した罪の重さと、迫り来る破滅の足音を恐れているようだった。
アレンはベッドの傍らに腰掛け、彼女の額に浮かんだ汗を、絹のハンカチで優しく拭った。
その温もりに気づいたのか、リリアンヌはうっすらと青い目を開けた。
「……アレン? 私、また嫌な夢を……」
「大丈夫ですよ、リリアンヌ。僕はここにいます」
アレンはシーツの上から、彼女の震える手をそっと包み込んだ。
昼間の主従関係ではない、ただの双子の姉弟としての、静かで深い時間が流れる。
「ねえ、アレン。私、間違ったことはしていないわよね……? 私は王女だもの。
欲しいものを欲して、邪魔なものを消して、何が悪いの……?」
リリアンヌの瞳に、昼間の傲慢さはなかった。
そこにあるのは、誰かに「お前は悪くない」と言ってほしい、迷子のような怯えだった。
アレンは彼女の金の髪を、愛おしそうにそっと撫でた。
「ええ、何も間違っていません。貴女は世界で一番気高く、美しい王女様です。
世界がどれだけ貴女を否定しようとも、僕だけは貴女のすべてを肯定します。貴女の罪は、僕の罪だ」
アレンの言葉に、リリアンヌは安心したように小さな息を吐き、再び深く眠りへと落ちていった。
その寝顔を見つめながら、アレンの心は、氷のように冷たく、
しかし炎のように熱く燃え盛る決意で満たされていく。
(民衆の怒りの火は、もう消せない。なら、その火が君を焼き尽くす前に……)
アレンはリリアンヌの手の甲に、音も立てずに誓いの口づけを落とした。
迫り来る悲劇のカウントダウンは、暗闇の中で確実に進んでいた。
かつて緑豊かだった隣国は、今や草木も生えぬ焦土と化し、
略奪と虐殺の記憶だけが煙となって空に溶けていった。
その凄惨な軍事行動を影で指揮し、リリアンヌの命通りに「緑の髪の少女」の息の根を止めたアレンは、
何食わぬ顔で再び王宮へと戻り、王女の影としての日常に戻っていた。
「ふふ、これでもう、私の視界を遮る忌々しい緑は消え去ったわ」
王宮のテラス席。
リリアンヌは豪奢なドレスの裾を揺らしながら、満足げに笑みを浮かべていた。
彼女の手元には、エルフェゴートの王宮から略奪してきた目の眩むような至宝の数々が並んでいる。
カイルが自分を選ばなかったという屈辱は、その国を根絶やしにすることで強引に塗り替えられたのだ。
「アレン、今日の最高級のブリオッシュは格別ね。やはり、おやつはこうでなくては」
「恐悦至極に存じます、王女様。貴女様がお気に召したのなら、苦労して職人を集めた甲斐がありました」
アレンはいつものように完璧な一礼を返し、彼女の金色の杯に冷えたワインを注ぐ。
その手は、つい数日前まで、命乞いをする無辜の民を、
そしてあの「ミクリア」という少女を手にかけ、血に染まっていた手だ。
だが、今の彼には一抹の後悔も、罪悪感もなかった。
リリアンヌがこうして無邪気に笑ってくれている。
ただそれだけで、自分の犯した大罪はすべて聖なる儀式へと昇華されていた。
しかし、王宮の華やかさとは裏腹に、城壁の外の世界は急速に冷え切っていっていた。
度重なる贅沢な宴。
エルフェゴート遠征に費やされた莫大な軍事費。
それらを賄うために、リリアンヌは民衆に対して容赦のない重税を課していた。
飢えに苦しむ餓死者は日に日に増え、ルシフェニアの街には活気が消え失せ、
代わりにどす黒い怨嗟の声が満ちていく。
パンの一切れすら買えない父親が、飢えて死んでいく我が子を抱いて王宮を睨みつける。
――そんな光景が、日常の風景となっていた。
「最近、街のネズミどもがうるさいわね。税を少し上げただけで、ぶつぶつと文句を言うなんて。
不敬だと思わない? アレン」
リリアンヌはワインを口に含みながら、不快そうに美しい眉をひそめた。
「おっしゃる通りです。民は王女様の慈悲によって生かされているに過ぎないというのに、
身の程を弁えぬ者が多すぎます。……不穏な動きをする者がいれば、
私がすぐに『排除』いたしますので、どうぞご安心を」
アレンは微笑みながら答えた。
だが、彼自身、民衆の怒りがすでに限界点に達していることを、密偵の報告から正確に把握していた。
この国はもう長くない。
遠からず、怒り狂った民衆による大規模な暴動が起きるだろう。
そしてその刃は、すべての元凶である「悪ノ娘」へと向けられる。
その日の深夜。激しい雷雨が王宮の窓を叩く中、アレンはいつものように、
リリアンヌの寝室の前で警護に当たっていた。すると、中から微かな、うなされるような声が聞こえてきた。
「……嫌……来ないで……カイル様……なぜ……」
アレンは音を立てずに扉を開け、寝室へと足を踏み入れた。
広大な天蓋付きのベッドの中で、リリアンヌは小さな身体を丸め、冷や汗を流しながら悪夢に怯えていた。
どれだけ傲慢に振る舞おうとも、彼女はまだ十四歳の、脆く傷つきやすい少女に過ぎない。
無意識のうちに、自分が犯した罪の重さと、迫り来る破滅の足音を恐れているようだった。
アレンはベッドの傍らに腰掛け、彼女の額に浮かんだ汗を、絹のハンカチで優しく拭った。
その温もりに気づいたのか、リリアンヌはうっすらと青い目を開けた。
「……アレン? 私、また嫌な夢を……」
「大丈夫ですよ、リリアンヌ。僕はここにいます」
アレンはシーツの上から、彼女の震える手をそっと包み込んだ。
昼間の主従関係ではない、ただの双子の姉弟としての、静かで深い時間が流れる。
「ねえ、アレン。私、間違ったことはしていないわよね……? 私は王女だもの。
欲しいものを欲して、邪魔なものを消して、何が悪いの……?」
リリアンヌの瞳に、昼間の傲慢さはなかった。
そこにあるのは、誰かに「お前は悪くない」と言ってほしい、迷子のような怯えだった。
アレンは彼女の金の髪を、愛おしそうにそっと撫でた。
「ええ、何も間違っていません。貴女は世界で一番気高く、美しい王女様です。
世界がどれだけ貴女を否定しようとも、僕だけは貴女のすべてを肯定します。貴女の罪は、僕の罪だ」
アレンの言葉に、リリアンヌは安心したように小さな息を吐き、再び深く眠りへと落ちていった。
その寝顔を見つめながら、アレンの心は、氷のように冷たく、
しかし炎のように熱く燃え盛る決意で満たされていく。
(民衆の怒りの火は、もう消せない。なら、その火が君を焼き尽くす前に……)
アレンはリリアンヌの手の甲に、音も立てずに誓いの口づけを落とした。
迫り来る悲劇のカウントダウンは、暗闇の中で確実に進んでいた。

