鏡のなかの双子~悪ノ娘と私の召使~

アレンがエルフェゴート国から帰国して数日後、恐れていた「最悪の瞬間」は、

あまりにも唐突に、そしてあまりにも残酷な形で訪れた。

アレンがリリアンヌへの手紙をすべて裏で揉み消していたにもかかわらず、

カイルからの公式な返書が、別の外交ルートを通じてリリアンヌの手元に直接届いてしまったのだ。

さらに追い打ちをかけるように、カイルが隣国の緑の髪の街娘

――ミクリアを正妃として迎える準備を本格的に進めているという噂が、

城内に出入りする商人の口から、リリアンヌの耳へと直接入ってしまった。


「……嘘よ。そんなの、何かの間違いに決まっているわ。だって、私はルシフェニアの王女なのよ?」


王宮の最上階、薔薇の香香が充満する私室。

リリアンヌはカイルからの書状を両手で握りしめ、全身を小刻みに震わせていた。

その瞳からは大粒の涙が溢れ、美しかったはずの顔は、屈辱と嫉妬、

そして信じがたい現実への拒絶によって醜く歪んでいる。


「私はこの国の王女よ!? 世界で一番気高く、美しく、欲しいものはすべて手に入るはずの存在なのよ!

なぜ、あんな馬の骨ともつかない緑の女なんかに……!

カイル様、なぜ私を選んでくださらなかったの!? なぜあの女なの!?」


ガシャーン!! と、鋭く激しい音が室内に響き渡った。

リリアンヌは狂乱のなか、机の上に並んでいた異国製の高価な陶器、

ガラスの化粧瓶、宝石箱を、狂ったように両手で床へ薙ぎ払った。

大理石の床にガラスの破片が飛び散り、リリアンヌのお気に入りだった薔薇の香水がぶちまけられる。

それはまるで、これから流れるであろう大量の血のように、床をどす黒く濡らしていった。


「アレン!! アレン、どこにいるの!?」


リリアンヌは視界を涙で曇らせながら、部屋の隅に静かに控えていたアレンの胸元に飛びついた。

その小さな手でアレンの衣服を強く掴み、引きむしるようにしながら、涙と怒りの混じった声を張り上げる。


「あの緑の女を、私の目の前から消し去りなさい! 彼女がいるからカイル様は私を見てくれないのよ!

あの女がいるから私は恥をかかされたのよ!

あの女を、あの女のいる国ごと、すべて、すべて、一人残らず滅ぼしてしまいなさい!!」


それは、一国の王女が下すにはあまりにも身勝手で、あまりにも残虐な命令だった。

たったひとりの少女への嫉妬を満たすためだけに、何千、何万という無辜の民の命を、

彼らのささやかな日常を、すべて炎のなかに放り込めというのだ。

アレンの胸に、一瞬だけ冷たい戦慄が走った。

だがそれは、罪なき人々を殺めることへの恐怖でも、人道的な躊躇いでもなかった。

この命令を実行に移した瞬間、リリアンヌは本当の意味で歴史に悪名を残し、

二度と引き返せない「悪魔」になってしまう。

彼女がこれ以上、己の(ごう)を深めていくことへの、深い悲しみと絶望だった。

しかし、アレンはリリアンヌを突き放さなかった。

それどころか、怒りと怯えで子供のように震える彼女の細い肩を、

狂おしいほどの愛おしさを込めて、そっと抱きしめた。

城の規則を破り、身分の壁を越えた、最初で最後の不敬な抱擁。


「……お泣きにならないでください、リリアンヌ」


アレンは、主人の前では決して口にしてはならない実の姉の「名前」を、耳元で愛おしそうに囁いた。

リリアンヌは泣き叫ぶのに夢中で、彼が自分を抱きしめていることにも、

名前を呼んだことにも気づいていない。

ただ、暗闇の中で唯一差し伸べられたアレンの胸の温もりに、狂ったように縋り付いていた。

アレンは、壊された部屋の鏡を見た。

そこに映る自分は、彼女とまったく同じ顔、同じ瞳をしている。

かつて大人の都合で引き裂かれた運命。

神が二人を双子として生み落としながら、片方を光の当たる我が儘な王座に置き、

もう片方を泥にまみれた闇の影に落とした。

ならば、その残酷な運命のすべてを、今度は自分が利用して見せる。


(君が世界を呪い、世界を滅ぼしたいと願うなら、僕が君の手足となってすべてを焼き尽くそう)

(君が「悪ノ娘」として世界から指を差されるなら、その罪の半分は、僕が全部背負ってあげるから)

(だから――君は何も気にせず、ただ僕の横で笑っていてくれればいいんだ)


アレンはゆっくりとリリアンヌから身体を離し、床に散らばるガラスの破片を踏みしめながら、

その場に深く深く跪いた。

彼の青い瞳には、先ほどまでの躊躇いは微塵もなかった。

そこにあるのは、一人の女性を狂信的に愛し、彼女のためなら悪魔にでもなるという、

暗く冷徹な決意だけだった。


「御意のままに、我が王女様。貴女に涙を流させた罪は、あの緑の国が、

その民の血をもって償うことになるでしょう。すべて私にお任せください」


数日後、ルシフェニア王国の軍勢が、エルフェゴート国へ向けて容赦なき進軍を開始した。

その軍勢の先頭に立つのは、王女の代理として冷酷な微笑を浮かべる、金の髪の召使アレン。

かつて木漏れ日が降り注ぎ、瑞々しい緑に囲まれていたエルフェゴートの街は、

間もなく真っ赤な炎と硝煙、そして絶望の叫び声に包まれることになる。

アレンは自らの手でミクリアを、そしてその国を滅ぼすため、地獄の業火を放った。