鏡のなかの双子~悪ノ娘と私の召使~

カイルがルシフェニア王国を去ってから、数週間が経とうとしていた。

しかし、王宮の最上階にあるリリアンヌの私室は、未だにあの「青い瞳の異邦人」の残像に支配されている。


「ねえ、アレン。カイル様へ送った私の親書、まだお返事が届かないの?」


リリアンヌは豪奢な長椅子に身を横たえ、退屈そうに扇子で顔を仰いでいた。

その表情には、恋い焦がれる者特有の焦燥感と、

自分の思い通りにならないことへの苛立ちが混ざり合っている。


「……はい、王女様。エルフェゴート国からの早馬は、未だ到着しておりません」


アレンは影のように彼女の傍らに控え、平然とした声を装って答えた。

だが、その胸の内は冷ややかな歓喜に満ちていた。

当然だ。

リリアンヌが認ためた愛の告白とも取れる親書は、アレンの手によってすべて揉み消され、

城の地下にある暖炉の薪とともに灰となっていたのだから。


(君がいくら想い焦がれようと、あの男が君に応えることはない)


アレンはそう自分に言い聞かせ、歪んだ安心感に浸っていた。

しかし、その偽りの平穏は、アレンが独自に放っていた密偵からの報告によって、

最悪の形で打ち砕かれることになる。

――カイル様には、かねてより深く心を通わせる女性がおります。

密偵がもたらしたその情報は、アレンの心を激しく揺さぶった。

カイルがリリアンヌの求愛を無視しているのは、ただ多忙だからではない。

すでに命に代えても守りたいと願う、最愛の婚約者がいるからだという。

アレンは、その女性の素性を調べるために、単身エルフェゴート国へと潜入した。

リリアンヌの耳に入る前に、その障害の大きさを確かめる必要があったからだ。

ルシフェニアの乾いた大地とは異なり、エルフェゴート国は豊かな森と瑞々しい緑に囲まれた美しい国だった。

その豊かな街並みの一角、木漏れ日が優しく降り注ぐ広場で、アレンは「彼女」の姿を目撃した。「


ミクリア、今日も綺麗なお野菜をありがとう」

「いいえ、おばさん。またいつでも声をかけてね」


鈴を転がすような、清らかな声。

彼女の名はミクリア。

新緑の葉を思わせる、鮮やかで美しい緑の髪。

優しげに細められた瞳は、まるで森の奥にある澄んだ泉のように濁りがなかった。

彼女は王族ではなく、ただの街娘だった。

しかし、その周囲には自然と人が集まり、誰もが彼女に親愛の情を向けている。

アレンが物陰からじっと見つめていると、広場に豪華な馬車が止まった。

中から現れたのは、あの青い髪の青年――カイルだった。


「ミクリア!」

「カイル様……! 遠征からお帰りになられたのですね!」


カイルが馬車から降りるなり、ミクリアを愛おしそうに抱きしめた。

カイルの瞳にあるのは、ルシフェニアの謁見の間で見せた外交官としての仮面ではない。

一人の男として、心から愛する女性に向ける、熱く切ない眼差しだった。

ミクリアもまた、白い頬を赤らめ、彼の胸にそっと顔を埋めている。

その光景を見た瞬間、アレンの脳裏にリリアンヌの寂しげな顔が浮かんだ。


(あの男は、僕の王女をあんな目で見つめることは決してない)

(リリアンヌを拒み、こんな街娘を抱きしめているのか)


アレンの胸に湧き上がったのは、不思議なことに、激しい「憤怒」だった。

カイルがリリアンヌを選ばなかったことへの安堵よりも、自分が世界で一番美しいと信じる「僕の王女」が、

ただの街娘に敗北したという事実が、アレンの誇りを酷く傷つけたのだ。


「……許さない」


アレンは拳を血がにじむほど強く握りしめ、緑の髪の少女を睨みつけた。


「僕の王女を泣かせる者は、誰であれ生かしてはおかない」


それは、アレンの中に眠る残虐な本性が、初めて明確な殺意として形を成した瞬間だった。

この事実がルシフェニアに持ち帰られたとき、リリアンヌがどれほどの狂気に駆られるか、

アレンには容易に想像がついた。

そしてアレン自身もまた、彼女の狂気の手足となって、

この美しい緑の国を地獄へと変える決意を固めつつあった。