ルシフェニア王国の初夏は、眩いばかりの陽光に満ちていた。
窓外に広がる庭園では色とりどりの薔薇が咲き誇り、その甘い香りが風に乗って城内へと流れ込んでくる。
だが、その光と香りが届かない王宮の陰では、常に傲慢な権力への不満と不穏な空気が渦巻いていた。
その日、王宮の謁見の間は、いつもと違う異様な緊張感に包まれていた。
海を越えた同盟国である「青の国」ことマーロン国から、親善大使として一人の青年が訪れていたからである。
「ルシフェニア王国が誇る美しき王女、リリアンヌ様。
お初にお目にかかります。私は海の国より参りました、カイルと申します」
青年――カイルが流麗な動作で一礼した瞬間、
謁見の間を埋め尽くしていた貴族たちのひそひそ話がピタリと止まり、水を打ったように静まり返った。
深海を思わせる、艶やかで深い青色の髪。
優しげでありながらも、知性と気品を湛えたどこか涼しげな青い瞳。
彼の纏う空気は、まるで絵画から抜け出してきた高潔な騎士のように洗練されており、
一瞬でその場にいる者たちの視線を奪い去った。
玉座に座るリリアンヌは、カイルが一言を発した瞬間から、完全に言葉を失っていた。
手元で弄んでいた扇子が、危うく床へ滑り落ちそうになる。
(ああ……なんて、なんて美しい方なのかしら)
リリアンヌの胸の中で、これまでに感じたことのない激しい鼓動が鳴り響く。
ドクドクと脈打つ音が、耳の奥でうるさいほどだった。
これまで彼女の周りにいたのは、自らの地位や権力にへつらい、
機嫌を伺うだけの欲にまみれた醜い貴族たちばかりだった。
彼らはリリアンヌの顔色一つで怯え、媚びを売る。
しかし、目の前に立つカイルの瞳には、卑屈なへつらいも、無様な怯えも一切なかった。
ただまっすぐに、一人の高貴な女性として、敬意を持って自分を見つめていた。
我が儘で、欲しいものは何でも手に入れてきた王女。
彼女が生まれて初めて、打算のない純粋な「恋」という名の情熱に突き動かされた瞬間だった。
「ようこそ、我が国へ、カイル。貴方の高遠な来訪を、心から歓迎するわ」
リリアンヌは白い頬を微かに薔薇色に染め、努めて淑やかに、そして可憐に微笑んだ。
いつもの冷酷で傲慢な態度は跡形もなく消え失せ、そこには恋する一人の少女の顔があった。
その様子を、玉座のすぐ傍らに直立し、影のように控えていたアレンは、冷徹な目で見つめていた。
アレンの手が、衣服の裾の裏で、爪が皮膚に食い込むほど強く握りしめられる。
胸の奥底から泥のように湧き上がってくるのは、おぞましいほどの不快感と、どす黒い嫉妬の感情だった。
リリアンヌが誰かにあんな風に、甘く、熱を帯びた瞳で微笑みかけるのを、アレンは一度も見たことがなかった。
彼女が赤らめる頬も、潤んだ瞳も、自分の前だけで見せる無防備な姿だと思っていた。
たとえそれが主従という歪な関係性の上であっても、彼女の最も近くにいて、
彼女の心を独占しているのは自分だという絶対的な自負があったのだ。
だが、あの青い髪の男は、ただそこに立って微笑んだだけで、リリアンヌの心を一瞬で奪い去っていった。
アレンがこれまで積み上げてきた時間のすべてを、土足で踏みにじるように。
「アレン。カイル様をおもてなしするための、今夜の宴の準備をなさい。
最高級のワインと、我が国で最も贅を尽くした料理を用意するのよ。失礼のないようにね」
謁見が終わり、私室に戻るなり、リリアンヌは弾んだ声でアレンに命じた。
その瞳はまだ潤んでおり、カイルの面影を追って夢見心地のままでいるようだった。
「……御意のままに。王女様」
アレンは喉の奥から声を絞り出すようにして答え、深く深く頭を下げた。
そうしなければ、自分の顔に浮かぶ憎悪を隠しきれそうになかったからだ。
リリアンヌは楽しげに鼻歌を歌いながら、今夜着るドレスをクローゼットから選び始めている。
「ねえ、アレン、この黄色のドレスと、あっちのフリルのついたもの、どちらがカイル様に似合うかしら?」
と問いかける彼女の声すら、今のアレンには苦痛でしかなかった。
アレンの視線が、テーブルの上に向かう。
リリアンヌのために、謁見の前に心を込めて淹れた紅茶は、彼女がカイルに夢中になって放置されていたせいで、
すっかり冷めきって表面に薄い膜を張っていた。
(君が誰を好きになろうと、それは君の自由だ。君は王女なのだから)
(けれど、あの男は君にふさわしくない。
君の我が儘も、君の弱さも、君の残虐さも……そのすべてを理解し、愛して受け入れられるのは、世界中で僕だけだ……)
アレンの心の中で、冷たい独占欲が鎌首をもたげ、カイルへの殺意にも似た感情が静かに燻り始める。
しかし、そんなアレンの胸中など露知らず、カイルの滞在によって王宮は華やかな宴の夜を迎える。
そしてこのリリアンヌの純粋な恋心が、やがて隣国の「緑の髪の少女」の存在によって、
凄惨な悲劇の引き金となっていくことを、この時のリリアンヌはまだ知る由もなかった。
窓外に広がる庭園では色とりどりの薔薇が咲き誇り、その甘い香りが風に乗って城内へと流れ込んでくる。
だが、その光と香りが届かない王宮の陰では、常に傲慢な権力への不満と不穏な空気が渦巻いていた。
その日、王宮の謁見の間は、いつもと違う異様な緊張感に包まれていた。
海を越えた同盟国である「青の国」ことマーロン国から、親善大使として一人の青年が訪れていたからである。
「ルシフェニア王国が誇る美しき王女、リリアンヌ様。
お初にお目にかかります。私は海の国より参りました、カイルと申します」
青年――カイルが流麗な動作で一礼した瞬間、
謁見の間を埋め尽くしていた貴族たちのひそひそ話がピタリと止まり、水を打ったように静まり返った。
深海を思わせる、艶やかで深い青色の髪。
優しげでありながらも、知性と気品を湛えたどこか涼しげな青い瞳。
彼の纏う空気は、まるで絵画から抜け出してきた高潔な騎士のように洗練されており、
一瞬でその場にいる者たちの視線を奪い去った。
玉座に座るリリアンヌは、カイルが一言を発した瞬間から、完全に言葉を失っていた。
手元で弄んでいた扇子が、危うく床へ滑り落ちそうになる。
(ああ……なんて、なんて美しい方なのかしら)
リリアンヌの胸の中で、これまでに感じたことのない激しい鼓動が鳴り響く。
ドクドクと脈打つ音が、耳の奥でうるさいほどだった。
これまで彼女の周りにいたのは、自らの地位や権力にへつらい、
機嫌を伺うだけの欲にまみれた醜い貴族たちばかりだった。
彼らはリリアンヌの顔色一つで怯え、媚びを売る。
しかし、目の前に立つカイルの瞳には、卑屈なへつらいも、無様な怯えも一切なかった。
ただまっすぐに、一人の高貴な女性として、敬意を持って自分を見つめていた。
我が儘で、欲しいものは何でも手に入れてきた王女。
彼女が生まれて初めて、打算のない純粋な「恋」という名の情熱に突き動かされた瞬間だった。
「ようこそ、我が国へ、カイル。貴方の高遠な来訪を、心から歓迎するわ」
リリアンヌは白い頬を微かに薔薇色に染め、努めて淑やかに、そして可憐に微笑んだ。
いつもの冷酷で傲慢な態度は跡形もなく消え失せ、そこには恋する一人の少女の顔があった。
その様子を、玉座のすぐ傍らに直立し、影のように控えていたアレンは、冷徹な目で見つめていた。
アレンの手が、衣服の裾の裏で、爪が皮膚に食い込むほど強く握りしめられる。
胸の奥底から泥のように湧き上がってくるのは、おぞましいほどの不快感と、どす黒い嫉妬の感情だった。
リリアンヌが誰かにあんな風に、甘く、熱を帯びた瞳で微笑みかけるのを、アレンは一度も見たことがなかった。
彼女が赤らめる頬も、潤んだ瞳も、自分の前だけで見せる無防備な姿だと思っていた。
たとえそれが主従という歪な関係性の上であっても、彼女の最も近くにいて、
彼女の心を独占しているのは自分だという絶対的な自負があったのだ。
だが、あの青い髪の男は、ただそこに立って微笑んだだけで、リリアンヌの心を一瞬で奪い去っていった。
アレンがこれまで積み上げてきた時間のすべてを、土足で踏みにじるように。
「アレン。カイル様をおもてなしするための、今夜の宴の準備をなさい。
最高級のワインと、我が国で最も贅を尽くした料理を用意するのよ。失礼のないようにね」
謁見が終わり、私室に戻るなり、リリアンヌは弾んだ声でアレンに命じた。
その瞳はまだ潤んでおり、カイルの面影を追って夢見心地のままでいるようだった。
「……御意のままに。王女様」
アレンは喉の奥から声を絞り出すようにして答え、深く深く頭を下げた。
そうしなければ、自分の顔に浮かぶ憎悪を隠しきれそうになかったからだ。
リリアンヌは楽しげに鼻歌を歌いながら、今夜着るドレスをクローゼットから選び始めている。
「ねえ、アレン、この黄色のドレスと、あっちのフリルのついたもの、どちらがカイル様に似合うかしら?」
と問いかける彼女の声すら、今のアレンには苦痛でしかなかった。
アレンの視線が、テーブルの上に向かう。
リリアンヌのために、謁見の前に心を込めて淹れた紅茶は、彼女がカイルに夢中になって放置されていたせいで、
すっかり冷めきって表面に薄い膜を張っていた。
(君が誰を好きになろうと、それは君の自由だ。君は王女なのだから)
(けれど、あの男は君にふさわしくない。
君の我が儘も、君の弱さも、君の残虐さも……そのすべてを理解し、愛して受け入れられるのは、世界中で僕だけだ……)
アレンの心の中で、冷たい独占欲が鎌首をもたげ、カイルへの殺意にも似た感情が静かに燻り始める。
しかし、そんなアレンの胸中など露知らず、カイルの滞在によって王宮は華やかな宴の夜を迎える。
そしてこのリリアンヌの純粋な恋心が、やがて隣国の「緑の髪の少女」の存在によって、
凄惨な悲劇の引き金となっていくことを、この時のリリアンヌはまだ知る由もなかった。

