ナナイロ!

 月日はあっという間に過ぎてしまって、人生初の弓道の昇段試験が終わり、あとは結果待ち。
 十二月も半ばの今日はついに人生初の試合の日だ。袴で駅に集合した私は、白い息を吐き出しながら足を小刻みに動かしていた。ぱっかりと開いた袴の裾から冷たい空気が入り込んできてすごく寒い。

「昇段試験、穂花ちゃんは大丈夫だと思う」
「初段って落ちないんですか?」
「あはは、そうだなぁ、あんまり聞いたことないから大丈夫。私たちの二段も心配ないと思うんだ~厳しいのは参段からだよ。桐谷君、ちゃんと的に当ててたから大丈夫かな?」
「いや、怪しいっす。当てても落ちたりするんで」

 うちの学校から参段を受けたのは桐谷君だけだ。桐谷君でも厳しいなんて、どれだけ難しいんだろう。

「中学生だったからじゃないか? 高校に上がったら意外とあっさり受かったりするからさ」

 先週の昇段試験の話をしながら待っていると、電車がやってきた。今日はこれからJRに乗って試合会場に向かう。駅からは送迎バスが出てくれているはずだ。

「電車の中、暖か~。袴寒いよなぁ、下にジャージ穿きたいわ」
「だっさ、先輩だけ穿けよ」
「試合まで穿いてもよくねぇ?」

 梓馬先輩と各務先輩が言い合っているうちに、電車はあっと言う間に降りる駅に着いてしまった。足が、がくがくと震えはじめる。

「穂花ちゃん寒い?」
「い、いえ、大丈夫です」
「緊張してんだろ。昇段試験の時はケロッとしてたくせに」
「あはは」

 試合と試験は違う。試験は自分だけの責任で済む。自分が落ちたら自分のせい。でも、試合は違う。頑張って練習していた先輩や湊君の足を、絶対に引っ張りたくない。

「足引っ張るとか、余計なこと考えんなよ」

 湊君がぽんっと私の背中を叩いた。心の中を完全に読まれている。

「そうは言っても……」
「その分俺らが当てるんだからさ、二宮さんはいつも通りに羽分け狙って」

 そう言われても、緊張が消えるわけではない。三年生の各務先輩にとっては最後の試合になるわけで、ここで残念(一本も当てられないこと)を出すわけにはいかない気がした。バスを降りると、大きな体育館がそびえ立っている。試合はこの中にある弓道場で行われるのだ、昇段試験で来たばかりだというのに、足がすくむ。

「各務先輩のことは気にするなよ、この人本当は去年の試合で終わりなんだから」
「そうそう、俺のことは気にしなくていいから。どうせ去年もリーグ予選落ちだったよな」

 試合は四つのリーグに別れて総当たり戦を行い、その後上位二チームがトーナメント戦に進むというものだ。少なくとも確実に二勝はしなければいけない。自然と足が震えた。

「いつも通りにやったら当たる。もしもおまえが外しても、後ろの俺が絶対に当ててやるから」
「うん、頼りにしてる」

 湊君の言葉に勇気をもらって、私は歩みを進めた。

 あっという間に一試合目。試合数が多いので、のんびりしている時間はあまりない。数本巻き藁で練習すると、学校名を呼ばれる。

「大丈夫」

 私の二つ後ろで矢を放つ玖珂先輩が私の緊張をほぐすようににっこりと笑った。
 試合の並びは大前(一番前)に梓馬先輩、二番に私、中(三番目)に湊君、落ち前(四番目)に玖珂先輩、落ち(一番後ろ)に各務先輩。私をプレッシャーの少ない位置に配置してくれているのだと思う。
 梓馬先輩について立ち位置に立ち、合図で行射(ぎょうしゃ)に入る。

 一射目、梓馬先輩の放った矢が弧を描いて的に(あた)る。私の放った矢は遅れて安土に刺さった。中の湊君の矢が中る。玖珂先輩の矢も小気味よい音を立てて中った。落ちの各務先輩の矢は的の僅か上に刺さる。

 二射目、梓馬先輩の矢が外れた。私の放った矢が弧を描いて的の端に中る。ほっと胸をなでおろした。湊君の矢は的に吸い込まれるように中る。玖珂先輩が外して、各務先輩が中てた。

 三射目、梓馬先輩の矢が音を立てて的に吸い込まれていく。思わず力んだ私の矢は大きく上に反れた。桐谷君の矢はまるで磁力が働いているかのように的に刺さる。玖珂先輩の矢は弧を描いて的に吸い込まれる。各務先輩の矢もまっすぐに飛び、的に刺さった。私が中てていれば、横皆中(全員が的中させること)だった。ぐっと、奥歯を噛みしめる。

 四射目、梓馬先輩が中てた。私はふぅっと息を吐く。思わず浮かんでる邪念を取り払って頭の中を真っ白にした。射法八節を丁寧に――当てることではなく、矢を放つ一連の動作を確認していく。これは、審査だ、一本を丁寧に。
 しっかりを会をしてから放った矢は、弧を描いて的に中った。思わず小さくガッツポーズをしそうになって、ぐっとこらえる。相手の的中数との違いは一射、残り全部を中てれば、勝てる。
 湊君の矢が的の中央に中る。皆中だ、会場から拍手が起こる。
 短い拍手の後、玖珂先輩の矢は綺麗な弧を描いて的に吸い込まれた。最後、落ちの各務先輩の矢が放たれる。

 中れ!!!

 矢は真っ直ぐに的に吸い込まれた。横皆中だ、会場から短い拍手が起こった。

「緊張したぁ」

 結局、予選リーグ突破は果たせなかった。でも、先輩たちはどこか清々しい顔をしている。

「春の大会頑張ろ~」
「俺も見に行ってやるから」
「大学でも弓道やるんでしょ、練習してくださいよ」

 私はと言えば、情けなくぽろぽろと涙を流していた。

「すみません、最後、私が中てていたら二勝できてたかも」
「何言ってんの、それ、私もだから、誰のせいでもないし! 悔しかったから次の試合で頑張ろう」

 玖珂先輩の言葉があまりに優しくて、心に沁みてくる。

「二宮さん初試合頑張ったなぁ、なんとか羽分けだったろ」
「最後の試合は一中(いっちゅう)(一本中ること)でした」
「気にしない気にしない」

 悔し涙は、すごく苦かった。

「射形、綺麗だった」

 湊君がにっと笑いながらぽんっと叩いてくれる背中が、すごく熱く感じたのは気のせいじゃない。

「春、頑張ります」
「おーその息だ! 俺らも冬まで残ろっかなぁ」
「早めに受験勉強はじめないとね~。推薦って手もあるし」

 悔しくて泣いたのは初めてかもしれない。ぐっと奥歯を噛みしめて涙をのみ込んだ私は、自分の心を鼓舞するようにぱちんと頬を叩いた。