放課後、私は更衣室で袴に着替えてから藤棚の先にある弓道場を目指していた。基本的な活動日は月水金の週三回。木曜日の今日は自主練の日だ。
桐谷君は毎日練習をしているのでそれに付き合わせてもらっている――と言いたいのだけれど、実際には完全に私の練習に付き合ってもらっている状態。まだまだ矢は放てず、射形と射法の練習。冬の大会には間に合わせられるよう必死に練習をしているところだ。十二月にあるっていう昇段試験で初段を受ける予定でいるから、そこまでに的まで矢が届くようにしたい。
道場に着くと、桐谷君はすでに的の準備を終えて、準備運動をしていた。私は駆け寄って一緒に運動を始める。
「遅れてごめん」
「自主練なんだから自由だろ、射法八節、暗記できたか?」
「ばっちりです」
「あとでみてやるから、しばらくゴム弓引いていてくれるか?」
「わかった」
ゴム弓というのは、練習道具の一つで、木の棒に太いゴムがくくりつけられたもの。木の棒を弓、ゴムを弦に見立てて射形の確認を行う。
私にはまだまだ背筋も腕力もないので、重たい弓を引くことができない。当面の目標は桐谷君が中学生時代に使っていたという十二kgの弓を引けるようになること。今は7kgで練習をしているけれど、すごく重たく感じる。桐谷君が使っている弓は15kg、伸び弓という少し長めの弓だ。背の高い人が使うみたい。もう少し重たい弓が引きたいって言っていたから、買い換えを検討しているのかもしれない。
私が準備運動を終えてゴム弓を引きはじめると、桐谷君は的に向かって練習を始めた。
足踏み、胴造り、弓構え、打起こし、引き分け、会――
ゆっくりと流れるように行われていく桐谷君の動きを、思わず凝視してしまう。真剣な眼差しは真っ直ぐ的に向けられ、弦を引ききる。
離れ、残心――
パァァンッ!
大きな音がして、矢が的に当たる。桐谷君の横顔に、私は始終ドキドキしていた。
思わずパチパチと小さく手を叩くと、桐谷君は照れたように首筋を撫でた。それから私の方を見る。
「なぁ、自分の練習しろよ」
「すみません」
お荷物の私が何を見とれているのか……私も早く綺麗に弓を引けるようになりたい。
部には女の先輩も一人いる。玖珂先輩という、さらさらとした長い黒髪の先輩。私よりもずっとすらりとした手足で、重たい弓を軽々引いてしまう。いつもにっこりとしていて、本当に美しい先輩なのだけれど、弓を引くとその空気が変わる。ふんわりとした雰囲気の先輩は、一気に凛々しくなる。
見ているこちらにまで緊張が伝わってくるのだ。玖珂先輩の放つ矢には桐谷君ほどの勢いはないけれど、美しい弧を描いて的に吸い込まれていく。
「玖珂先輩が12kg引いてるからそれを目標に頑張れよ」
「わかりました」
ぴっと敬礼をして、私は自分の練習に入る。後ろからは相変わらず的に矢が刺さる音が響いていた。
しばらくしてその音がやむ。すると今度は声が飛んできた。
「肩、上がってるぞ」
おっと、肩は水平に。
「体が逃げてるぞ」
いかんいかん、まっずぐ立たないと!
「手首が曲がってる」
桐谷君は次々と問題点を指摘してくれるのだけれど、私は一つ直せば一つが崩れてしまうので埒が明かない。
「7kg弓引いてみるか」
「うん」
「じゃあ、射法八節な」
私は的に向かって礼をすると桐谷君の方に体を向け直した。
足踏み、胴造り、弓構え……一つ一つ確認しながら動作を行っていく。
打起こし、大三、引き分け、会……見えない矢で的を狙う。いつか、射抜きたい。
「よし、おっけ」
私は腕を上にあげて張りつめていた弦を緩める。肩が熱い。
「肩痛めてもいけないし、この辺で終わりにするか」
「今日もありがとう」
「いや、どうせ俺も練習するし。あんたには試合までに安土まで矢が届くようにしてもらわないといけないからな」
「頑張る」
安土というのは、的を設置するために、土を盛り上げた場所のことだ。まだまだ私の矢勢では安土まで矢を飛ばすことは出来ない。
「まぁ、焦んなくていいよ。肩壊してもいけないし、毎日やってりゃ絶対射てるようになるからさ」
「うん、頑張るよ」
この二ヶ月くらい、一緒に片付けをしながら、桐谷君とは色々な話をした。教室では挨拶程度だけど、部活では一年生も二人しかいないので必然的によく会話をするようになったのかもしれない。先輩たちも優しくて陽気だ。入って良かったと思う。
「弓道部に誘ってくれてありがとう」
思わずそう言葉にすると、桐谷君は驚いたように目を開いて、首筋を撫でた。ドクンと心臓が波打つ。この仕草がとても好き。
ドキドキと心臓が少しだけ早く脈打つのは、どうしてだろう。
「俺も助かったよ、あんたが入ってくれたから五人になった」
「試合に出たいんだっけ?」
「やっぱ個人戦より団体戦の方が燃えるからなぁ」
少し意外だ。桐谷君は、どちらかといえば一匹狼感のある男の子で、個人プレーを好みそうなのになと思う。クラスでも佐木君意外とはつるんでいない。陽平君とは対照的だ。
「みんなで中てたときのさ、あの感じ、なんとも言えないから。あんたも絶対はまるよ」
「楽しみにしてる、早く上手くなりたいなぁ」
「だから焦るなよ」
「はーい」
自転車で帰る桐谷君と正門で別れる。じゃあね、と手を振ると、また明日な、と声が返ってきた。心が、ぽうっと温かくなる。
路面電車に揺られていると、ウトウトしてしまって危うく乗りすごくところだった。
明日も練習を頑張ろう、そう思いながら、私は跳ねるように家に帰った。
桐谷君は毎日練習をしているのでそれに付き合わせてもらっている――と言いたいのだけれど、実際には完全に私の練習に付き合ってもらっている状態。まだまだ矢は放てず、射形と射法の練習。冬の大会には間に合わせられるよう必死に練習をしているところだ。十二月にあるっていう昇段試験で初段を受ける予定でいるから、そこまでに的まで矢が届くようにしたい。
道場に着くと、桐谷君はすでに的の準備を終えて、準備運動をしていた。私は駆け寄って一緒に運動を始める。
「遅れてごめん」
「自主練なんだから自由だろ、射法八節、暗記できたか?」
「ばっちりです」
「あとでみてやるから、しばらくゴム弓引いていてくれるか?」
「わかった」
ゴム弓というのは、練習道具の一つで、木の棒に太いゴムがくくりつけられたもの。木の棒を弓、ゴムを弦に見立てて射形の確認を行う。
私にはまだまだ背筋も腕力もないので、重たい弓を引くことができない。当面の目標は桐谷君が中学生時代に使っていたという十二kgの弓を引けるようになること。今は7kgで練習をしているけれど、すごく重たく感じる。桐谷君が使っている弓は15kg、伸び弓という少し長めの弓だ。背の高い人が使うみたい。もう少し重たい弓が引きたいって言っていたから、買い換えを検討しているのかもしれない。
私が準備運動を終えてゴム弓を引きはじめると、桐谷君は的に向かって練習を始めた。
足踏み、胴造り、弓構え、打起こし、引き分け、会――
ゆっくりと流れるように行われていく桐谷君の動きを、思わず凝視してしまう。真剣な眼差しは真っ直ぐ的に向けられ、弦を引ききる。
離れ、残心――
パァァンッ!
大きな音がして、矢が的に当たる。桐谷君の横顔に、私は始終ドキドキしていた。
思わずパチパチと小さく手を叩くと、桐谷君は照れたように首筋を撫でた。それから私の方を見る。
「なぁ、自分の練習しろよ」
「すみません」
お荷物の私が何を見とれているのか……私も早く綺麗に弓を引けるようになりたい。
部には女の先輩も一人いる。玖珂先輩という、さらさらとした長い黒髪の先輩。私よりもずっとすらりとした手足で、重たい弓を軽々引いてしまう。いつもにっこりとしていて、本当に美しい先輩なのだけれど、弓を引くとその空気が変わる。ふんわりとした雰囲気の先輩は、一気に凛々しくなる。
見ているこちらにまで緊張が伝わってくるのだ。玖珂先輩の放つ矢には桐谷君ほどの勢いはないけれど、美しい弧を描いて的に吸い込まれていく。
「玖珂先輩が12kg引いてるからそれを目標に頑張れよ」
「わかりました」
ぴっと敬礼をして、私は自分の練習に入る。後ろからは相変わらず的に矢が刺さる音が響いていた。
しばらくしてその音がやむ。すると今度は声が飛んできた。
「肩、上がってるぞ」
おっと、肩は水平に。
「体が逃げてるぞ」
いかんいかん、まっずぐ立たないと!
「手首が曲がってる」
桐谷君は次々と問題点を指摘してくれるのだけれど、私は一つ直せば一つが崩れてしまうので埒が明かない。
「7kg弓引いてみるか」
「うん」
「じゃあ、射法八節な」
私は的に向かって礼をすると桐谷君の方に体を向け直した。
足踏み、胴造り、弓構え……一つ一つ確認しながら動作を行っていく。
打起こし、大三、引き分け、会……見えない矢で的を狙う。いつか、射抜きたい。
「よし、おっけ」
私は腕を上にあげて張りつめていた弦を緩める。肩が熱い。
「肩痛めてもいけないし、この辺で終わりにするか」
「今日もありがとう」
「いや、どうせ俺も練習するし。あんたには試合までに安土まで矢が届くようにしてもらわないといけないからな」
「頑張る」
安土というのは、的を設置するために、土を盛り上げた場所のことだ。まだまだ私の矢勢では安土まで矢を飛ばすことは出来ない。
「まぁ、焦んなくていいよ。肩壊してもいけないし、毎日やってりゃ絶対射てるようになるからさ」
「うん、頑張るよ」
この二ヶ月くらい、一緒に片付けをしながら、桐谷君とは色々な話をした。教室では挨拶程度だけど、部活では一年生も二人しかいないので必然的によく会話をするようになったのかもしれない。先輩たちも優しくて陽気だ。入って良かったと思う。
「弓道部に誘ってくれてありがとう」
思わずそう言葉にすると、桐谷君は驚いたように目を開いて、首筋を撫でた。ドクンと心臓が波打つ。この仕草がとても好き。
ドキドキと心臓が少しだけ早く脈打つのは、どうしてだろう。
「俺も助かったよ、あんたが入ってくれたから五人になった」
「試合に出たいんだっけ?」
「やっぱ個人戦より団体戦の方が燃えるからなぁ」
少し意外だ。桐谷君は、どちらかといえば一匹狼感のある男の子で、個人プレーを好みそうなのになと思う。クラスでも佐木君意外とはつるんでいない。陽平君とは対照的だ。
「みんなで中てたときのさ、あの感じ、なんとも言えないから。あんたも絶対はまるよ」
「楽しみにしてる、早く上手くなりたいなぁ」
「だから焦るなよ」
「はーい」
自転車で帰る桐谷君と正門で別れる。じゃあね、と手を振ると、また明日な、と声が返ってきた。心が、ぽうっと温かくなる。
路面電車に揺られていると、ウトウトしてしまって危うく乗りすごくところだった。
明日も練習を頑張ろう、そう思いながら、私は跳ねるように家に帰った。

