大紫様のことはよく理解しているつもりだった。
しかしまだまだだったようだ。
佐藤杏奈さんと妹君と弟君が、三山家の庭にある、以前は庭師が住んでいた家に移ってくることになったのである。
完全に圭一郎の予測外のことだった。
佐藤さんのご両親が多額の借金を抱え失踪していることを調べたのは圭一郎である。
お金目的で三山タイシに近づく不届き者ではあるが、やむにやまれぬ事情があるとなれば、お優しい大紫様のこと、佐藤さんを哀れみ、ご自身の心の痛みも少しなりとも和らぐのではと思ったのだ。
決して佐藤さんを弁護しようというものではなかった。
ところが佐藤さんの窮状を知った大紫様は、ご自宅に引き取ることをご提案してきた!
大紫様はあまりにも優しすぎる。
圭一郎は頭を抱えた。
大紫様のご提案を受け入れつつ、お金目的で三山家に近づき、名目だけでも婚約者にしてほしいなどと無礼きわまる佐藤さんを大紫様から離しておくには──ということで、庭師の家を提案した。
佐藤さんが妹弟とともにやってくるまえに、三山家に根回しし、掃除までしたのは圭一郎だ。
当初、佐藤さんが躊躇したのは、本心なのかポーズなのかはわからない。
だが迷っている佐藤さんを見て、大紫様が圭一郎の肩に手をまわし、
「俺たちは……その、BLだ」
と、言い出したときは、驚いた。
いったい何を言い出したのかと、顔に出てしまわなかったか心配なぐらいだ。
だが大紫様が、自分たちの関係を口止めしたいから家を提供するとお話になって、ようやく圭一郎は理解した。
つまり大紫様は、「三山タイシと田鍋ケイイチロウは恋愛関係なので、佐藤杏奈が金銭目的で近付くことはできない」と釘をさしつつ、その嘘を口外されないよう、「住まいを提供する」と二重に予防線をはろうとしているのだ。
大紫様、察しの悪い圭一郎で申し訳ありません……。
心の中で詫びた。
でも大紫様、肩を組むぐらいではBLだと思ってはいただけませんよ。ここは私にお任せください。
そして圭一郎は、大紫様の手をとり、指をからめたのである。
効果はあった。
佐藤さんの瞳孔が開き、圭一郎と大紫様の手を凝視している。
……結果、佐藤さんはご妹弟と、庭師の家にやってくることが決まった。
あの時、とっさの判断で、指をからめて手を握った判断が良かったのだと思う。
ただそれ以来、ふとしたときに、大紫様の手を触りたい気持ちになるのは何故だろうか。
とりあえず「お試し」で暮らし始めた佐藤さんご妹弟さんらのことを、圭一郎は足繫く訪ね、観察していた。
疑いたくはないが、お金に困っているご妹弟が、三山家の敷地内でなにかしたらと思うと心配だったのだ。
だがその懸念は杞憂だった。
佐藤さんの妹の響さん、弟の游さんは、大変すこやかなご気性で、佐藤家の置かれている状況もよくわかっていないらしい。
杏奈さんが幼い妹弟に心配かけさせまいと、ご両親がお仕事で出かけていると嘘をついているようだ。
杏奈さんも警戒したほど悪い方ではないのかもしれない。
しかしながら、大紫様が人を疑わず性善説で動かれるお方だからこそ、圭一郎自身は常に警戒し、悪意から大紫様をお守りしなければならない。
もっと気を引き締めよう。
「タイシお兄ちゃま、遊んで!」
游さんが圭一郎の足にしがみついてきた。
「申し訳ありません、私は出かける用事があります。お姉さまの響さんと遊ばれてはいかがですか」
「響お姉ちゃまは、ピアノの練習をしてるから忙しいの」
「ピアノ?」
庭師の家にピアノはないはずだが。
見ると、響さんは画用紙に描いたピアノの鍵盤を使って、指使いの練習をしていた。
「お父様とお母様はね、響お姉ちゃまがピアノを上手にひけるようになったら帰ってくるんだって。だから游、響お姉ちゃまの邪魔はしないの」
なんと健気な。
圭一郎はこの幼い妹弟のために何かできないか、ついうっかり考え始めていた。
結局、響さんに三山家のピアノを使っていただくことになり、今日はそのお礼に杏奈さんがラーメンを作ってくださった。
大紫様は大変お喜びである。
圭一郎としては複雑な胸中だが、大紫様がお喜びなら良いか、という気にもなる。
響さんと游さんもすっかり大紫様に懐いていらっしゃるし……。
とくに問題もないかに見えた。
だが大紫様は違った。
好きな人がいるという佐藤杏奈さんを家にとめおくことは、佐藤さんの恋愛を邪魔だてすることにならないか懸念していた。
圭一郎がまったく考えていなかった視点だった。
大紫様の大きさの前で、圭一郎は自分が執事で本当にいいのか、殴られたような気持ちになる。
うまくできていると思っていたが、自分はまだまだ未熟で小さい人間だ。
こんな自分が大紫様のおそばにいていいのだろうか。
田鍋家に生まれていなければ、自分は大紫様のお側に置いてもらえなかったのではないか。
心臓がわしづかみされたように、胸がぎゅっと締め付けられ、苦しさを覚える。
でも、でも、私は、あなたのお側にいたいのです。
こんな私でも、おそばにいたいのです。
気が付くと、圭一郎は大紫様のお手を握っていた。
思いがけない自分の行動に驚きながらも、「佐藤さんがまだ我々を見送っております」とうまく誤魔化した。
大紫様は「なるほど、俺たちがBLだと思わせておけば、杏奈は気兼ねしなくていいということか。さすが圭一郎だ!」と大きくうなずき、圭一郎の手を強く握ってくれた。
ああ。
嬉しいのに、苦しい。そして、痛い。
しかしまだまだだったようだ。
佐藤杏奈さんと妹君と弟君が、三山家の庭にある、以前は庭師が住んでいた家に移ってくることになったのである。
完全に圭一郎の予測外のことだった。
佐藤さんのご両親が多額の借金を抱え失踪していることを調べたのは圭一郎である。
お金目的で三山タイシに近づく不届き者ではあるが、やむにやまれぬ事情があるとなれば、お優しい大紫様のこと、佐藤さんを哀れみ、ご自身の心の痛みも少しなりとも和らぐのではと思ったのだ。
決して佐藤さんを弁護しようというものではなかった。
ところが佐藤さんの窮状を知った大紫様は、ご自宅に引き取ることをご提案してきた!
大紫様はあまりにも優しすぎる。
圭一郎は頭を抱えた。
大紫様のご提案を受け入れつつ、お金目的で三山家に近づき、名目だけでも婚約者にしてほしいなどと無礼きわまる佐藤さんを大紫様から離しておくには──ということで、庭師の家を提案した。
佐藤さんが妹弟とともにやってくるまえに、三山家に根回しし、掃除までしたのは圭一郎だ。
当初、佐藤さんが躊躇したのは、本心なのかポーズなのかはわからない。
だが迷っている佐藤さんを見て、大紫様が圭一郎の肩に手をまわし、
「俺たちは……その、BLだ」
と、言い出したときは、驚いた。
いったい何を言い出したのかと、顔に出てしまわなかったか心配なぐらいだ。
だが大紫様が、自分たちの関係を口止めしたいから家を提供するとお話になって、ようやく圭一郎は理解した。
つまり大紫様は、「三山タイシと田鍋ケイイチロウは恋愛関係なので、佐藤杏奈が金銭目的で近付くことはできない」と釘をさしつつ、その嘘を口外されないよう、「住まいを提供する」と二重に予防線をはろうとしているのだ。
大紫様、察しの悪い圭一郎で申し訳ありません……。
心の中で詫びた。
でも大紫様、肩を組むぐらいではBLだと思ってはいただけませんよ。ここは私にお任せください。
そして圭一郎は、大紫様の手をとり、指をからめたのである。
効果はあった。
佐藤さんの瞳孔が開き、圭一郎と大紫様の手を凝視している。
……結果、佐藤さんはご妹弟と、庭師の家にやってくることが決まった。
あの時、とっさの判断で、指をからめて手を握った判断が良かったのだと思う。
ただそれ以来、ふとしたときに、大紫様の手を触りたい気持ちになるのは何故だろうか。
とりあえず「お試し」で暮らし始めた佐藤さんご妹弟さんらのことを、圭一郎は足繫く訪ね、観察していた。
疑いたくはないが、お金に困っているご妹弟が、三山家の敷地内でなにかしたらと思うと心配だったのだ。
だがその懸念は杞憂だった。
佐藤さんの妹の響さん、弟の游さんは、大変すこやかなご気性で、佐藤家の置かれている状況もよくわかっていないらしい。
杏奈さんが幼い妹弟に心配かけさせまいと、ご両親がお仕事で出かけていると嘘をついているようだ。
杏奈さんも警戒したほど悪い方ではないのかもしれない。
しかしながら、大紫様が人を疑わず性善説で動かれるお方だからこそ、圭一郎自身は常に警戒し、悪意から大紫様をお守りしなければならない。
もっと気を引き締めよう。
「タイシお兄ちゃま、遊んで!」
游さんが圭一郎の足にしがみついてきた。
「申し訳ありません、私は出かける用事があります。お姉さまの響さんと遊ばれてはいかがですか」
「響お姉ちゃまは、ピアノの練習をしてるから忙しいの」
「ピアノ?」
庭師の家にピアノはないはずだが。
見ると、響さんは画用紙に描いたピアノの鍵盤を使って、指使いの練習をしていた。
「お父様とお母様はね、響お姉ちゃまがピアノを上手にひけるようになったら帰ってくるんだって。だから游、響お姉ちゃまの邪魔はしないの」
なんと健気な。
圭一郎はこの幼い妹弟のために何かできないか、ついうっかり考え始めていた。
結局、響さんに三山家のピアノを使っていただくことになり、今日はそのお礼に杏奈さんがラーメンを作ってくださった。
大紫様は大変お喜びである。
圭一郎としては複雑な胸中だが、大紫様がお喜びなら良いか、という気にもなる。
響さんと游さんもすっかり大紫様に懐いていらっしゃるし……。
とくに問題もないかに見えた。
だが大紫様は違った。
好きな人がいるという佐藤杏奈さんを家にとめおくことは、佐藤さんの恋愛を邪魔だてすることにならないか懸念していた。
圭一郎がまったく考えていなかった視点だった。
大紫様の大きさの前で、圭一郎は自分が執事で本当にいいのか、殴られたような気持ちになる。
うまくできていると思っていたが、自分はまだまだ未熟で小さい人間だ。
こんな自分が大紫様のおそばにいていいのだろうか。
田鍋家に生まれていなければ、自分は大紫様のお側に置いてもらえなかったのではないか。
心臓がわしづかみされたように、胸がぎゅっと締め付けられ、苦しさを覚える。
でも、でも、私は、あなたのお側にいたいのです。
こんな私でも、おそばにいたいのです。
気が付くと、圭一郎は大紫様のお手を握っていた。
思いがけない自分の行動に驚きながらも、「佐藤さんがまだ我々を見送っております」とうまく誤魔化した。
大紫様は「なるほど、俺たちがBLだと思わせておけば、杏奈は気兼ねしなくていいということか。さすが圭一郎だ!」と大きくうなずき、圭一郎の手を強く握ってくれた。
ああ。
嬉しいのに、苦しい。そして、痛い。


