スピンオフ 執事と御曹司の始まらない恋の一部始終

「ここではお前が三山タイシ、俺が田鍋ケイイチロウ。わかったらうまくやれ」

大紫様のご命令とはいえ、わたしに大紫様のフリが務まるのだろうか? 
圭一郎はかつてない緊張のなか、秀礼学園高等部の初日を迎えた。

 担任となる門倉先生へのご挨拶は無事に終わった。
大紫様のお顔を知っているのは理事長のみなので、門倉先生はわたしを三山タイシだとすんなりと受け入れたようだ。

 しかしこのままずっと三山タイシに成りすますなど、本当にできるのだろうか……

門倉先生の背後に、女子生徒が立っていた。
「佐藤杏奈です」
門倉先生によれば、この女子生徒も今日からS組に編入するらしい。
大紫様が自らを「田鍋ケイイチロウです」と名乗り、「こちらは三山タイシ……君だ」と圭一郎を紹介した。

三山タイシ。

美しい名前だと思う。
大紫様にふさわしい輝きを放つ名だ。

その名前で自分が呼ばれることに、圭一郎はひどく動揺した。
一瞬ぼーっとしてしまったが、大紫様のするどい視線で圭一郎は我にかえった。
みると佐藤杏奈さんが自分に微笑みをむけている。
初対面の挨拶をしてくれたのに、わたしがきちんと応対できていないので大紫様は怒っていらっしゃるのだ。
しまった。早速失態を見せてしまった。

「よろしくお願いします」
圭一郎は右手を佐藤杏奈に差し出した。
三山タイシとして紳士的にふるまわなければ、大紫様の評判をさげてしまう。それだけは避けなければならない。

佐藤杏奈さんは
「握手で挨拶してくれる男の子は初めてです。感激しちゃう」
とにこやかに圭一郎の手をとると
「わあ、三山くんの手って大きいね。それに骨ばってる! 男の子の手ってみんなそうなのかしら?」
と、驚いていた。

三山くん……
初対面の女子生徒に呼ばれ、また動揺がよみがえる。

「え……ああ……そうかもです」
「三山くんて面白いね」

ああ、失敗だ。
大紫様は面白いお方ではあるが、それだけではないのだ。
わたしでは大紫様のすばらしいところを皆にお伝えできない。大紫様と入れ替わるなどわたしには荷が重すぎる。
 圭一郎はかつてない不安の中にいた。
 
 その後、S組に行き、クラスメートとなる方々にご挨拶をした。
まず礼儀正しくあること、三山タイシを名乗る自分にできるのはせいぜいそれぐらいである。

自分のあとに、大紫様が田鍋ケイイチロウとして挨拶をする。
「田鍋ケイイチロウだ。よろしくな!」
ああ、この堂々とした振る舞い。
これこそ大紫様だ。とても真似できるものではない。

 席につくと大紫様からメッセージがきた。
クラスメートの反応が少ないのが御不満らしい。

「大紫様がまぶしすぎて緊張しているのでしょう」
とすぐに返信する。
クラスの方々が大紫様の魅力に気付くのは時間の問題だと圭一郎は確信していた。

 昼休みにS組専用のカフェテリアに行ってみた。
英国パブリックスクールのカフェテリアよりもメニューは充実していた。
アプリで注文できるのも便利だ。
圭一郎がまとめて注文しているときに事故はおきた。

 好奇心旺盛な大紫様は
「良い機会だ、みなの様子をみておきたい」とカフェテリア内を散策していたが、女子生徒とぶつかり、飲み物をかけられてしまったのだ。
大紫様の真っ白いシャツが緑色に染まっているのをみて、圭一郎はすぐさま動いた。
 それから大紫様をお着替えのため医務室へお連れすることにする。
 ふとみると女子生徒が茫然としていた。
今日一緒に編入してきた佐藤杏奈さんだった。佐藤さんに被害はなかったようだ。

「佐藤さんは何も悪くありません。申し訳ない」
佐藤さんに謝り、急いで大紫様を医務室へ連れていった。

 医務室で新しいシャツに着替えられた大紫様は
「ありがとう圭一郎、助かった」とお礼を述べてくださった。
「いいえ」
「……俺が悪かったのだろうな、背後を確認せず急に方向をかえたのだから」
大紫様が視線を外し、小さな声で言う。
「次はお気をつけください」
「うん」
自分の非をきちんと認めることができる。大紫様はやはりすばらしい。

 三山家に帰宅して今日の出来事をまとめていると、大紫様から内線電話で呼び出しがあった。
圭一郎の本来の家である田鍋家も同じ敷地内に建っているのだが、大紫様のご希望で圭一郎は三山家の大紫様のお部屋の横に、自室を用意してもらっていた。
 十分すぎる広さと、ミニキッチンを備えた良い部屋で、とても気に入っている。
なによりこうしてすぐに大紫様に会いにいけるのが良い。

 大紫様のお部屋に伺うと、バスローブ姿で髪の濡れた大紫様がいた。
「どうされましたか? 大紫様」
「髪を乾かしてくれ」
「かしこまりました」

圭一郎はこの時間が好きだった。
大紫様の髪をヘアドライヤーで乾かしていると、大紫様が普段心に秘めている鬱屈や迷いをお話くださるのだ。
そんなとき圭一郎は思う存分話していただくため、大紫様が話し終えるまでゆっくりとドライヤーをあてることにしている。
今日は編入初日のせいか、大紫様はかなり長くお話になっていた。
S組の生徒たちの反応がおとなしかったのを、友好的でない、まさか自分は歓迎されていないのかと案じていらっしゃるようだ。
そんなことは絶対にない、むしろ三山財閥の御曹司とどう接したらよいか、周囲の様子を伺っているのだろう。

大紫の話が一段落したところを見計らって、圭一郎はドライヤーを止めた。
そしてさも今思いついたように大紫に語りかける。

「そういえば大紫様。S組の生徒ですが、話しかけられるのを待っているように感じました」
「そうか?」
「はい。大紫様にお声をかけられたら皆喜ばれると思います」
「なるほど、日本人の奥ゆかしさというやつか」

大紫様は納得したようだ。
それを見届けた所で、圭一郎は気になっていることを質問した。
「ところでわたくしたちの入れ替わりは、明日からも続けるのですか?」
「もちろん。これは俺が三山家の当主になるためのいい訓練になる」

やはりそうなってしまうか……。圭一郎自身に抵抗があるが、反対することはできない。
ならば覚悟を決めるしかない。

「わかりました。ではわたくしも大紫様の評判を下げぬよう、一層言動には気を付けていきたいと存じます」
「圭一郎はいつも通りで問題ない。ただ女子の前ですぐ赤くなるのはやめてくれ。俺が恥ずかしい」
「そ、それは申し訳ありません、努力します……」
「はははは」
大紫様が楽しそうに笑っている。

圭一郎は、顔が赤くなってしまったのは、三山タイシと呼ばれたせいですと、心の中で返答した。