4限終わりの教室に、生徒たちの脱力したため息が響いた。やっと昼休みになったことへの解放感ではなく、配られたばかりの夏休みの課題がため息の原因だと、生徒たちの表情を見ればわかる。2枚の藁半紙には、小論文と設問が両面に印刷されていた。どれも有名大学の過去問で、ざっと見ただけでも簡単に済ませられない宿題であることは明白だ。
「なぁ、昼飯食お」
後ろから、仁科が話しかけてきた。彼は小学生の頃からずっと同じクラスで、なんだかんだ一緒にいることが多い。仁科は私と違って友達がたくさんいるけど、私にばかり話しかける。今日も今日とて、一緒にお昼ご飯を食べる。中庭で。二人きりで。仁科は男だけど、気にしない。仁科も気にしていない。
「今日も弁当?」
「うん。仁科は?」
「購買行きたい」
私たち2年生の教室は、新館と呼ばれる建物にある。購買は、1年生の教室がある1号館と、特別教室や個別指導室がある2号館の2か所にある。1号館にはパン、2号館にはお弁当が売っている。仁科がいつも行くのは、2号館の購買だ。
新館から2号館へ行くには、一度外に出る必要がある。7月の真昼は、じりじりと焼けるような暑さだ。「外暑いし、一人で行ってくるよ」と仁科は言ったけど、一緒に行くことにした。先にお弁当を食べるのも気が引けたし、だからと言って目の前のお弁当に手を付けずに一人待つのも、かえって仁科に気を遣わせる。
昇降口を出ると、アスファルトに反射した太陽光が目に沁みた。あまりの眩しさに手庇を作って、なんとか目を開ける。
「うわ、今日混んでるな」
仁科の言う通り、2号館の前に人だかりが見えた。それも、やけに女子生徒が多い。近付いていくと理由がわかった。購買の列に高良先生が並んでいたからだ。国語担当の高良先生は、27歳という若さと端正な容姿から女子生徒に人気だ。そういう先生は同性からは倦厭されがちだが、女子の黄色い声にも従容自若なところと授業のわかりやすさにより、男子生徒からもウケがいい。しかし、どんな人にも欠点はある。高良先生は生徒の名前を一切覚えない。
「あ、高良センセー。ヤッホー」
同じクラスの山口さんが高良先生に手を振る。いつも一緒の尾花さんと伊藤さんもいる。高良先生を取り囲んでいた1年生の女の子たちは押し退けられ、名残惜しそうに退散する。
「こんにちは、だろ」
高良先生がため息混じりに注意する。仁科が購買の列に並びながら、親子丼残ってるかな~、と呟く。私は、一番人気だもんね、と返す。
「君たちはいつになったら先生に敬語を使うんだ?」
「センセーこそ、いつになったらウチらの名前覚えんの?」
「そうだよ。キミとかそこの女子とかで誤魔化してんのバレてるからね?」
「何言ってんだ。ちゃんと覚えてるぞ。右から、佐藤、鈴木、高橋」
「全然違うし」
「多い苗字トップ3で成功率上げようとしてんのセコ」
「あ。君、瀬古か」
「伊藤だよ」
「佐藤って惜しかったじゃねぇか」
「名前に惜しいとかないから」
会話中、高良先生の表情が変わることはなかった。力の入っていない目で、流れる雲を追っている。親子丼を購入すると、スタスタと職員室へ帰っていく。まだ喋り足りない3人に引き止められても、ハイハイハイ、と雑にあしらう。また別の女子生徒に「あ、高良センセー」と話しかけられても立ち止まることなく、「ハイ、コンチニハ」と去っていく。
「ごめんねぇ、親子丼、さっき売り切れちゃったのよ」
購買のおばちゃんが申し訳なさそうに言う。仁科は、じゃぁカツ丼で、と小銭を差し出した。
購買の親子丼がおいしいことは、この高校に通う者なら誰もが知っている。私もたまに購買を利用するが、2年生になった今も買えたためしがない。いつも売り切れていて、もはや幻の存在だ。ちょっと高良先生に似ている。みんなから人気だけど、簡単には手に入らない。でも、だからこそ、みんなが手に入れたいと躍起になる。人気に拍車がかかる。
