洞窟の中、
水面を鏡代わりにして自分の顔を眺めていた私に、
ヌオターレが問いかけてきた。
「ラーギ様は、本当は何者なのですか? 出身はどこなのですか?」
突然の問いに、
私は首を傾げた。
「出身の地域……というか、どの地方の生まれなのですか?」
「石川県」
深く考えず咄嗟に答えてから、
私はハッとした。
……しまった。
この世界に、そんな場所なんてないのに!
「いしかわけん……?」
「ううん、なんでもない! 今のは忘れて? それより、ヌオターレ自身のことを教えてよ」
「我のこと、ですか?」
「うん。私はもっと、ヌオターレのことをよく知りたいの」
自分でも無茶苦茶な誤魔化し方をしている自覚はあった。
けれど、この気まずい状況をどうにか切り抜けようと、必死に思考を巡らせる。
「我のことを知って、一体何になるというのですか?」
「それを言ったら、ヌオターレだって私のこと聞いてきたじゃない」
……これはさすがに、屁理屈というものだろうか。
「ヌオターレってさ、ずっとこの洞窟の中に引きこもっているの?」
私は、気まずい空気を払拭するようにさりげなく疑問を投げかけてみた。
改めて周囲を見渡してみても、
この洞窟には生活感というものがまるで存在しない。
本当に「ただの岩の洞窟」であり、ほとんどと言っていいくらい何もないのだ。
だが、不思議なことが一つある。
洞窟の内部には松明もろうそくも、もちろん電気や科学的な照明装置なんてものもないのに、
なぜか全体がじんわりとした淡い光に包まれていて、
妙に明るかった。
天井や壁面の岩石自体が薄っすらと発光しているのかもしれない。
「そうなのですが……それが何か問題でもあるのですか?」
「問題というか……たまには外に出て気分転換とかしたくならないの? っていうか、普段のごはんとかどうしてるの? 私、お腹がすいたんだけど」
私は情けない声を漏らしながら、空っぽになった自分の腹のあたりを軽くなでてみせた。
ぐぅ、と小さな虫の鳴き声のような音が鳴った気がして、
少し恥ずかしくなる。
「ラーギ様の仰る『きぶんてんかん』や『ごはん』とは、一体どういう意味なのですか?」
ヌオターレは小さなペンギンの翼をパタパタとさせながら、
首をコテンと傾げた。
そのクリッとした丸い瞳には、
一切の悪びれる様子がない。
……この子、思っていた以上に世間知らずだ。
心の中でそっと溜息をつく。
だが、よくよく考えてみれば当然のことなのかもしれない。
ヌオターレが一体いつからこの洞窟にいるのかは知らないけれど、
もし生まれた時からずっとこの暗い洞窟の中で暮らしていたのだとしたら、
私の知る人間界の「日常」や「常識」が通じるはずもないのだ。
もっと言えば、私自身だってこの異世界の常識なんてこれっぽっちも分かっていないのだから、
人のことは言えないのだが。
「……じゃあさ、何か趣味とかはないの? 普段暇な時、何して遊んでるの?」
「しゅみ……とは?」
やっぱり、そう来たか。
最初は一つひとつの噛み合わなさに驚かされてばかりだったけれど、
ここまで世間離れしていると、
逆に清々しくて慣れてきてしまう。
「じゃあさ、気分転換に外に出てみるっていうのはどうかな?」
「我は、この中で果たすべき役割があると聞いておるのです」
「何の役割?」
「……思い出せないのです」
「思い出せないなら、それはもう果たせていないも同然なんじゃない? よく分からないけれど」
私が呆れ半分に言い放った、
まさにその瞬間だった。
グラグラッ――!
突如として、足元から地響きのような激しい揺れが襲いかかってきた。
洞窟の天井からパラパラと細かな砂利や土埃が降ってくる。
「きゃっ!? じ、地震!?」
この世界って、こんなに地震が起きやすい場所だったっけ? いや、今はそんな悠長な分析をしている場合じゃない。
「ヌオターレ、危ない! 避難するよ!」
見上げると、岩肌に大きな亀裂が走り、天井の巨大な岩がメリメリと音を立てて剥がれ落ちようとしていた。
洞窟全体が、まるで生き物のように悲鳴を上げて崩れ始めている。
待って、もしかして私が何かNGワードでも言っちゃった!? 『役割を果たせてない』とか言ったのがフラグだったの!?
もし自分の軽はずみな発言が原因でこの洞窟が崩壊しているのだとしたら、罪悪感で押し潰されそうだ。
まあ、どちらにしても「具体的にどの言葉が禁句だったのか」なんて問い詰められたところで、心当たりが多すぎて思い当たりもしないのだが。
「し、しかし! 我の役割が――」
「いいからついて来て!」
ヌオターレは崩れゆく洞窟の奥を振り返り、
何か未練でもありそうに言いかけたけれど、
私にはそれを取り合う余裕なんて微塵もなかった。
ペンギン姿のヌオターレを力任せに脇に抱え込むと、
必死の思いで入口に向かってダッシュした。
ドカァァァン――!
背後で凄まじい落盤の音が響き渡り、大量の土煙が外へと吹き出してくる。
間一髪のところで太陽の光が差し込む外へと飛び出し、
勢い余って草原の上に転がり込んだ。
息を荒げながら振り返ると、
さっきまで私たちがいた洞窟の入口は、
完全に瓦礫の山と化していた。
原型すら留めていない。
もはや「崩れた」というより「跡形もなく潰れた」という表現が正しかった。
抱え上げられたままのヌオターレは、崩れ去った我が家(?)を呆然と見つめ、
何とも言えない複雑な表情を浮かべている。
一方の私も、開いた口が塞がらなかった。
えっ、なにこれ……。
いくら何でもあっけなさすぎない? この洞窟、そんなに構造的にもろかったわけ?
本当なら、どうしてこんな突然の崩落が起きたのか、
原因をしっかり突き止めたいところだ。
けれど、下手に瓦礫に近づいて二次災害に巻き込まれるリスクを考えれば、
今調査をするのはあまりにも危険すぎる。
「……よし、行こか! 最優先事項は『安全な場所の確保』だよ、ヌオターレ!」
「あんぜんなところ……なのですか?」
「そう! これが異世界を無傷で生き抜くための絶対的な鉄則なの!」
「ラーギ様は、急に何の話をしておられるのですか?」
「いいのっ! いちいち私の独り言に突っ込まなくていいから! 外に出れば、、ヌオターレだっていろんな人と出会って話ができるんだから。
その方が絶対に楽しいし、
新しい発見だってたくさんあるはずだよ」
私は立ち上がり、
服についた泥をパンパンと払った。そしてヌオターレの手(翼?)を引っ張り、
この近くに人が暮らす町や村がないかを探すために歩き出すことにした。
もし道沿いに「冒険者ギルド」みたいな施設でもあれば、
そのまま加入して生活拠点を作れれば一番いいのだが……世の中、そんなに都合よく物語みたいにうまくはいかないだろう。
そもそも、私は周りから「災害を引き起こす危ない存在」として『湖水の魔女』なんて物々しい二つ名で警戒されている身なのだ。
そう簡単に人里に受け入れられて、順調に事態が進むとは到底思えない。 やっぱり、人の目が届かない遠くの土地を目指すのが安全策かもしれない。
「ねえ、ヌオターレ。一応念のために聞くけど……地図とか持っていたりしない?」
「ちず……とは?」
やっぱりか。ここでも見事なまでの「世間知らず」が発動してしまった。 どうやら道案内や地理の知識は、このペンギン妖精には一微塵も期待できないらしい。
それにしても、歩くにつれて空腹感が容赦なく私の体力を奪っていく。
ただでさえ魔力のコントロールで精神を削られているのに、
この状態で長時間の徒歩移動に私の足腰が耐えられるのだろうか?
はぁ……こんなことなら、ここに来る前に大好きなカレーを死ぬほどお腹いっぱいに食べておけばよかった……。
確か、カレーってスパイスと小麦粉のおかげで腹持ちが良いって何かの本で読んだことがある。
そんなことを考えている時点で、私の思考は完全に食べ物に支配されていた。
ふと空を見上げると、眩しい太陽が頭上高くに昇っている。
時計なんて持っていないけれど、時間的にはきっとちょうどお昼時くらいだろう。
腹時計だけは正確に「飯の時間を過ぎている」と主張していた。
そんな私の不毛な空想を断ち切るように、
隣を歩いていたヌオターレが急に足を止め、目を細めて遠くの街道の先を凝視した。
「ラーギ様……あそこにいる者たちは、いわゆる『さんぞく』というものではないのですか?」
「えっ?……山賊!?」
私も慌ててヌオターレの視線を追う。
街道の少し開けた場所で、
粗末な革鎧を身にまとい、
物々しい斧やナイフを手にしたガラの悪そうな男たちが数人、
暇そうにたむろしているのが見えた。
そういえば、この世界にはファンタジーのお約束通り、
海には海賊、空には空賊、そして陸には山賊といった無法者たちが当たり前のように横行していると聞いたことがあった。
私は男たちに見つからないよう咄嗟に草むらに身を隠しながら、
ふと不思議に思ってヌオターレの横顔を見つめた。
あれ……『ごはん』も『趣味』も『地図』も知らないのに、『山賊』の存在は知ってるんだ……?
ヌオターレの脈絡のない謎すぎる知識の偏り方に、
私は緊迫した状況であることも忘れて、
心の中で深く感心してしまうのだった。
水面を鏡代わりにして自分の顔を眺めていた私に、
ヌオターレが問いかけてきた。
「ラーギ様は、本当は何者なのですか? 出身はどこなのですか?」
突然の問いに、
私は首を傾げた。
「出身の地域……というか、どの地方の生まれなのですか?」
「石川県」
深く考えず咄嗟に答えてから、
私はハッとした。
……しまった。
この世界に、そんな場所なんてないのに!
「いしかわけん……?」
「ううん、なんでもない! 今のは忘れて? それより、ヌオターレ自身のことを教えてよ」
「我のこと、ですか?」
「うん。私はもっと、ヌオターレのことをよく知りたいの」
自分でも無茶苦茶な誤魔化し方をしている自覚はあった。
けれど、この気まずい状況をどうにか切り抜けようと、必死に思考を巡らせる。
「我のことを知って、一体何になるというのですか?」
「それを言ったら、ヌオターレだって私のこと聞いてきたじゃない」
……これはさすがに、屁理屈というものだろうか。
「ヌオターレってさ、ずっとこの洞窟の中に引きこもっているの?」
私は、気まずい空気を払拭するようにさりげなく疑問を投げかけてみた。
改めて周囲を見渡してみても、
この洞窟には生活感というものがまるで存在しない。
本当に「ただの岩の洞窟」であり、ほとんどと言っていいくらい何もないのだ。
だが、不思議なことが一つある。
洞窟の内部には松明もろうそくも、もちろん電気や科学的な照明装置なんてものもないのに、
なぜか全体がじんわりとした淡い光に包まれていて、
妙に明るかった。
天井や壁面の岩石自体が薄っすらと発光しているのかもしれない。
「そうなのですが……それが何か問題でもあるのですか?」
「問題というか……たまには外に出て気分転換とかしたくならないの? っていうか、普段のごはんとかどうしてるの? 私、お腹がすいたんだけど」
私は情けない声を漏らしながら、空っぽになった自分の腹のあたりを軽くなでてみせた。
ぐぅ、と小さな虫の鳴き声のような音が鳴った気がして、
少し恥ずかしくなる。
「ラーギ様の仰る『きぶんてんかん』や『ごはん』とは、一体どういう意味なのですか?」
ヌオターレは小さなペンギンの翼をパタパタとさせながら、
首をコテンと傾げた。
そのクリッとした丸い瞳には、
一切の悪びれる様子がない。
……この子、思っていた以上に世間知らずだ。
心の中でそっと溜息をつく。
だが、よくよく考えてみれば当然のことなのかもしれない。
ヌオターレが一体いつからこの洞窟にいるのかは知らないけれど、
もし生まれた時からずっとこの暗い洞窟の中で暮らしていたのだとしたら、
私の知る人間界の「日常」や「常識」が通じるはずもないのだ。
もっと言えば、私自身だってこの異世界の常識なんてこれっぽっちも分かっていないのだから、
人のことは言えないのだが。
「……じゃあさ、何か趣味とかはないの? 普段暇な時、何して遊んでるの?」
「しゅみ……とは?」
やっぱり、そう来たか。
最初は一つひとつの噛み合わなさに驚かされてばかりだったけれど、
ここまで世間離れしていると、
逆に清々しくて慣れてきてしまう。
「じゃあさ、気分転換に外に出てみるっていうのはどうかな?」
「我は、この中で果たすべき役割があると聞いておるのです」
「何の役割?」
「……思い出せないのです」
「思い出せないなら、それはもう果たせていないも同然なんじゃない? よく分からないけれど」
私が呆れ半分に言い放った、
まさにその瞬間だった。
グラグラッ――!
突如として、足元から地響きのような激しい揺れが襲いかかってきた。
洞窟の天井からパラパラと細かな砂利や土埃が降ってくる。
「きゃっ!? じ、地震!?」
この世界って、こんなに地震が起きやすい場所だったっけ? いや、今はそんな悠長な分析をしている場合じゃない。
「ヌオターレ、危ない! 避難するよ!」
見上げると、岩肌に大きな亀裂が走り、天井の巨大な岩がメリメリと音を立てて剥がれ落ちようとしていた。
洞窟全体が、まるで生き物のように悲鳴を上げて崩れ始めている。
待って、もしかして私が何かNGワードでも言っちゃった!? 『役割を果たせてない』とか言ったのがフラグだったの!?
もし自分の軽はずみな発言が原因でこの洞窟が崩壊しているのだとしたら、罪悪感で押し潰されそうだ。
まあ、どちらにしても「具体的にどの言葉が禁句だったのか」なんて問い詰められたところで、心当たりが多すぎて思い当たりもしないのだが。
「し、しかし! 我の役割が――」
「いいからついて来て!」
ヌオターレは崩れゆく洞窟の奥を振り返り、
何か未練でもありそうに言いかけたけれど、
私にはそれを取り合う余裕なんて微塵もなかった。
ペンギン姿のヌオターレを力任せに脇に抱え込むと、
必死の思いで入口に向かってダッシュした。
ドカァァァン――!
背後で凄まじい落盤の音が響き渡り、大量の土煙が外へと吹き出してくる。
間一髪のところで太陽の光が差し込む外へと飛び出し、
勢い余って草原の上に転がり込んだ。
息を荒げながら振り返ると、
さっきまで私たちがいた洞窟の入口は、
完全に瓦礫の山と化していた。
原型すら留めていない。
もはや「崩れた」というより「跡形もなく潰れた」という表現が正しかった。
抱え上げられたままのヌオターレは、崩れ去った我が家(?)を呆然と見つめ、
何とも言えない複雑な表情を浮かべている。
一方の私も、開いた口が塞がらなかった。
えっ、なにこれ……。
いくら何でもあっけなさすぎない? この洞窟、そんなに構造的にもろかったわけ?
本当なら、どうしてこんな突然の崩落が起きたのか、
原因をしっかり突き止めたいところだ。
けれど、下手に瓦礫に近づいて二次災害に巻き込まれるリスクを考えれば、
今調査をするのはあまりにも危険すぎる。
「……よし、行こか! 最優先事項は『安全な場所の確保』だよ、ヌオターレ!」
「あんぜんなところ……なのですか?」
「そう! これが異世界を無傷で生き抜くための絶対的な鉄則なの!」
「ラーギ様は、急に何の話をしておられるのですか?」
「いいのっ! いちいち私の独り言に突っ込まなくていいから! 外に出れば、、ヌオターレだっていろんな人と出会って話ができるんだから。
その方が絶対に楽しいし、
新しい発見だってたくさんあるはずだよ」
私は立ち上がり、
服についた泥をパンパンと払った。そしてヌオターレの手(翼?)を引っ張り、
この近くに人が暮らす町や村がないかを探すために歩き出すことにした。
もし道沿いに「冒険者ギルド」みたいな施設でもあれば、
そのまま加入して生活拠点を作れれば一番いいのだが……世の中、そんなに都合よく物語みたいにうまくはいかないだろう。
そもそも、私は周りから「災害を引き起こす危ない存在」として『湖水の魔女』なんて物々しい二つ名で警戒されている身なのだ。
そう簡単に人里に受け入れられて、順調に事態が進むとは到底思えない。 やっぱり、人の目が届かない遠くの土地を目指すのが安全策かもしれない。
「ねえ、ヌオターレ。一応念のために聞くけど……地図とか持っていたりしない?」
「ちず……とは?」
やっぱりか。ここでも見事なまでの「世間知らず」が発動してしまった。 どうやら道案内や地理の知識は、このペンギン妖精には一微塵も期待できないらしい。
それにしても、歩くにつれて空腹感が容赦なく私の体力を奪っていく。
ただでさえ魔力のコントロールで精神を削られているのに、
この状態で長時間の徒歩移動に私の足腰が耐えられるのだろうか?
はぁ……こんなことなら、ここに来る前に大好きなカレーを死ぬほどお腹いっぱいに食べておけばよかった……。
確か、カレーってスパイスと小麦粉のおかげで腹持ちが良いって何かの本で読んだことがある。
そんなことを考えている時点で、私の思考は完全に食べ物に支配されていた。
ふと空を見上げると、眩しい太陽が頭上高くに昇っている。
時計なんて持っていないけれど、時間的にはきっとちょうどお昼時くらいだろう。
腹時計だけは正確に「飯の時間を過ぎている」と主張していた。
そんな私の不毛な空想を断ち切るように、
隣を歩いていたヌオターレが急に足を止め、目を細めて遠くの街道の先を凝視した。
「ラーギ様……あそこにいる者たちは、いわゆる『さんぞく』というものではないのですか?」
「えっ?……山賊!?」
私も慌ててヌオターレの視線を追う。
街道の少し開けた場所で、
粗末な革鎧を身にまとい、
物々しい斧やナイフを手にしたガラの悪そうな男たちが数人、
暇そうにたむろしているのが見えた。
そういえば、この世界にはファンタジーのお約束通り、
海には海賊、空には空賊、そして陸には山賊といった無法者たちが当たり前のように横行していると聞いたことがあった。
私は男たちに見つからないよう咄嗟に草むらに身を隠しながら、
ふと不思議に思ってヌオターレの横顔を見つめた。
あれ……『ごはん』も『趣味』も『地図』も知らないのに、『山賊』の存在は知ってるんだ……?
ヌオターレの脈絡のない謎すぎる知識の偏り方に、
私は緊迫した状況であることも忘れて、
心の中で深く感心してしまうのだった。



