溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

 それは、思ってもみなかった言葉だった。

 アメリカへ……?

 皿を洗っていた手がぴたりと止まり、ぽかんとしたまま守兄を見つめた。
 彼は穏やかに笑い、ゆっくりと話しはじめた。

「最近、思ったんだ。日本から離れるのも、ひとつの方法なんじゃないかって。
 前から少しは考えてたけど、本気ではなかった」

 一度言葉を切り、少しだけ考え込むように眉を寄せる。
 そして再び、真剣な声で続けた。

「星を日本から連れ出すなんて……って、ずっと足踏みしてた。
 育った環境って、大切だから。
 アメリカでの暮らしは大変だし、文化も違う。知り合いもいない。
 でも俺は向こうに慣れてるし、仕事だってどっちでもできる。住む場所は関係ないんだ」

 ふっと息を吐き、まっすぐに私を見つめる。

「最近の星を見ていて、思った。
 俺とアメリカに行くっていう選択肢も、あるんじゃないかって」

 胸がドクンと大きく跳ねた。
 思ってもいない言葉の数々に、頭が追いつかない。

「あいつの側にいるのがつらいなら、遠くへ行けばいい。
 俺と二人で。ずっと支えるから。
 あいつのことだって、いつかきっと忘れさせてみせる」

 熱を帯びた視線に射抜かれ、その刹那、私は彼の胸にぎゅっと抱き寄せられた。

「星、愛してる。俺と一緒に、アメリカへ行こう」

 まるで、改めてプロポーズされたみたいだった。

 かあっと顔が熱くなり、頭の中が真っ白になる。

 でも、彼の想いは痛いほど伝わってきた。
 熱くて、優しくて……こんなにも大切に想ってくれている。

 なんて、幸せ者なんだろう。
 じわりと涙がにじみ、心が愛しさと感謝でいっぱいになる。

 この人となら、きっと――。

 縋るように彼の背中に手を回し、ぎゅっと服を握りしめた。

「……少しだけ、考えさせて」

 時間が欲しかった。

「……ああ」

 短く、静かな返事が返ってきた。



 その夜、私は太陽に相談することにした。

 真剣な声で呼びかけると、彼は目を丸くして驚いたものの、素直に私の前へ腰を下ろす。
 少し緊張しているように見えるのは、なにかを感じ取っているからだろう。

 太陽は、私にとって唯一の家族であり、大切な弟。
 だから、隠してはいられない。

 守兄から「一緒にアメリカへ行かないか」と誘われたことを、包み隠さず話した。

 黙って聞いていた太陽は、話が終わるとふっと優しく笑う。

「そっか……いいよ。お姉ちゃんの好きにして。
 今までさんざん苦労してきたんだもん。僕のことは心配しないで。一人でもやっていけるから」

 強がるように笑ったその声は、かすかに震えていた。
 胸が痛む。きっと不安なのだ。まだ十四歳の子どもなのだから。

「太陽……無理しなくていいんだよ。
 私は、あなたを傷つけてまで行こうなんて思わない」

 そう伝えると、太陽の目に涙がにじむ。

「僕だって、お姉ちゃんと一緒にいたい。
 ひとりぼっちは嫌だ。
 父さんも母さんもいない。姉ちゃんまでいなくなったら……でも」

 言葉を詰まらせたあと、涙を浮かべた瞳がまっすぐこちらへ向けられる。

「姉ちゃんが苦しんでる姿を見る方が、もっと辛いんだ!」

 その叫びとともに、太陽は勢いよく抱きついてきた。

「太陽……」

 震える弟をぎゅっと抱き返す。
 すすり泣く背中を優しくさすりながら、必死に考え続けた。

 ――どうしたらいいんだろう。

 あきらのそばにいるのは、正直つらい。

 守兄が言うように、離れた方がいいのかもしれない。
 彼と一緒なら、きっと幸せになれる……。

 でも、その一方で気がかりなのは太陽の存在だった。

 彼をひとりぼっちにするなんてできない。
 私たちは、たった二人だけの家族なのだから。

「ねえ、太陽。
 もし、私がアメリカへ行くってなったら……あなたも一緒に来る?」

「えっ?」

 太陽が驚いたように目を丸くして、私を見つめる。

 口にしてから、自分でもあきれた。
 なんて勝手なことを。
 まだ中学生の弟に、そんな重い選択を迫るなんて。

 私のせいで、彼の人生を振り回してしまうことになる。

「ごめん。今のは忘れて。そんなの、できるわけないのにね」

 しゅんと肩を落とす。
 やっぱり、ただのわがままだ。

 けれど、太陽はすぐに首を振った。

「ううん! 僕も一緒に行く。姉ちゃんと離れたくない」

 まっすぐな瞳に、息をのむ。

 ……ほ、本気なの?

 嬉しかった。
 私だって太陽と離れたくはない。

 けれど、同時に心配も募る。
 彼の負担にならないだろうか。
 私の都合で、弟の人生を大きく変えてしまうかもしれない。

「で、でも」

「姉ちゃん!」

 たじろぐ私に、太陽がすがりつく。
 その眼差しには、はっきりとした決意が宿っていた。

「……わ、わかった。とりあえず、守兄に相談してみる」

 そう返すと、弟はほっとしたように笑った。



 ――その夜。
 私たちは久しぶりに、同じ布団で眠った。

 いったいいつ以来だろう。
 小さな頃は、よくこうして肩を並べて眠ったな。

 隣で眠る太陽の顔を見つめ、そっと微笑む。
 すると、太陽がこちらを向き、優しい笑みを浮かべながらつぶやいた。

「姉ちゃん、おやすみ」
「おやすみ」

 小さな声で交わした言葉に、心がじんわりと温まる。
 隣から伝わる体温を感じながら、私は静かにまぶたを閉じた。