溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

「何してるの?」

 不意に降ってきた声に、守兄の動きがぴたりと止まった。
 私は息をするのも忘れて、その場で固まる。

 ぎこちなく顔を向けると、台所の方から太陽が顔だけひょこっと出して、こちらをじっと見ていた。

「守兄……さすがに、こんなところで姉ちゃんに迫るのはやめてよね。
 僕、いるんですけど」

 あきれ顔で肩をすくめ、大きなため息。
 そのまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 守兄は、どこか残念そうに笑って、私から身を引いた。

 張り詰めていた空気がほどけ、ようやく息をつく。
 慌てて体を起こし、深呼吸。

 た、助かった……。

 安堵したのも束の間、太陽が隣にしゃがみ込み、いきなり私の頬をつねった。

「い、いたい!」

 思わず睨みつけると、太陽も負けじと睨み返してくる。

「姉ちゃん、もうちょっとしっかりしてよ。そんなんだから悩みが増えるんだよ」

 頬をふくらませながらも、口元には悪戯っぽい笑み。

 うちの弟、やっぱり只者じゃない。
 年齢、ごまかしてないよね? どうしてこんなに大人びてるんだろう。
 あきらのことも、守兄のことも。
 私の揺れる気持ち――全部見透かされているような気がする。

 じっと太陽を見つめると、弟は勝ち誇ったようにふっと笑った。
 そして守兄に「じゃあ、またね。おやすみ」とだけ言い残し、自分の部屋へと消えていった。



 しんと静まり返る室内。
 また、ふたりきりになってしまう。

 私はそっと守兄を見る。彼も同じように私を見つめていた。

 絡んだ視線に胸が高鳴る。

 や、やばい。
 さっきのこともあって、気まずさが倍増している。

 なんとか空気を和らげようと、私は明るい声を出した。

「あ、もう遅いし……守兄、帰る?」

 言ってから、自分の言葉にはっとする。

 ――しまった。また守兄って呼んでしまった。
 さっき「守さん」って言ったばかりなのに。長年の癖はそう簡単に抜けないらしい。

 視線を泳がせていると、小さな笑い声がする。
 おそるおそる視線を向けると、そこには優しい笑顔。

「いいよ、無理しなくて。呼びやすいなら、そのままで」

 その眼差しは、愛おしさで満ちていた。

 彼は、本当に私のことを大切に思ってくれている。そう伝わってくる。

 やだ……は、恥ずかしい。
 また頬が熱を帯びる。

「う、うん。そうする」

 返すので精いっぱいで、それ以上は何も考えられなかった。

「でも、いつかは呼んでほしいけどね」

 穏やかな声色の奥に、まっすぐで熱い想いが宿っている。
 視線が私をとらえて離さない。

 心臓がまた激しく暴れ出す。

 もう、やめて。
 なんでそんなふうに揺さぶることばかり言うのよ。
 それでなくても、いまは――。

 あきら。

 その名前を思い浮かべた瞬間、胸がきゅっと痛んだ。
 脳裏に彼の顔がよぎり、苦しくなる。

 慌ててその想いを振り払う。

 私の様子に気づいたのだろう。
 守兄はふっと悲しげな目をしたあと、ゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ、帰るよ」

 気遣うように向けられた笑みに、また胸が痛む。

 ああ、私はいったいどうしてしまったの。
 どうすればいいの。

 あきらのことも、守兄のことも。

 どちらにも答えを出せなくて、ただ黙り込んでしまう。

 そんな私に背を向け、守兄は静かに帰っていった。


 ***


 それからも、守兄は毎日欠かさず私のもとを訪れた。

 優しく包み込むようにそばにいて、笑顔をくれる。私はそのぬくもりに、いつの間にか甘えていた。

 あきらとは、あれから会っていない。連絡もない。
 彼のことを想うたび、胸がぎゅっと締めつけられる。

 ……愛しい。好き。けれど、想い続けることにもう疲れていた。

 寄り添い、支えてくれる守兄。
 その肩にもたれかかる瞬間もあった。

 自分の弱さや狡さに押しつぶされそうになる。誰かに頼らなければ立っていられない。

 あきらのことは、できるだけ考えないようにしていた。
 思い出すたび、心がすり減っていく気がするから。

 なのに、心も頭も、気づけばあきらでいっぱいになる。

 守兄はきっと、その気持ちをすべてわかっていた。それでも黙って、そばで支えようとしてくれていた。

 ごめんなさい。
 心の中で、何度もそう繰り返す。

 そうして、また私はあきらからの連絡を待つ。

 卑怯だ。最低だ。

 そんな想いを抱えながら過ごしていた、ある日の夕方。


 突然、チャイムが鳴った。

「はいはい」

 玄関に向かい、扉を開ける。
 そこに立っていたのは、あきらのマネージャー、小森さんだった。

「え……」

 私は固まった。
 だって、彼女がひとりで家を訪れるのは初めてだったから。
 いつもはあきらと一緒か、迎えに来るときくらいで。

「あ、あの」

「ちょっと、話があるの」

 鋭い瞳がまっすぐに私を射抜く。
 怒っているような目。けれど、悲壮感が漂っていた。

 切羽詰まったような、張りつめた気配。

「きて」

 短くそう告げると、小森さんはくるりと背を向けた。

「え、ちょっと……」

 胸がざわつく。
 どうしたんだろう。怖い。でも、いつもと違う彼女の表情。

 もしかして、あきらに何かあったの?

 焦りに駆られ、私は小森さんの背中を追いかけた。