溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

 守兄に連れられてやってきたのは、ショッピングモールの中にある静かなカフェだった。

「ここでいいかな?」

 ちらりと私を見てつぶやいたその笑みは、どこか力なく、それでも変わらない優しさがにじんでいた。

 小さく頷くと、彼はほっとしたような笑みを返し、中へ入っていった。


 案内された奥の窓際の席に腰を下ろす。
 互いに無言のまま。
 耳に届くのは、店内に流れる音楽と周囲のおしゃべりの声だけ。

 そっと守兄に目をやると、視線が合った。

「好きなもの、頼んでいいよ」

 優しい笑みに、張りつめていた空気が少しやわらぐ。
 ほっとしながらメニューを開いたけれど、食欲はない。

「じゃあ、ホットコーヒーで」

 私の答えを聞くと、守兄はすぐに店員に注文を済ませる。
 そのあと、なぜかふっと笑った。

「星って、昔からブラックだよな?」

 くしゃっと嬉しそうに笑うその顔は、よく知っている彼の顔だった。

「え? ああ、うん」

 なんとなく気恥ずかしくて、曖昧に返す。

 そう、私は小学生のころからブラック派。
 女子でそんなのは珍しいと、よく守兄にからかわれたっけ。

 昔を思い出して、頬がゆるむ。

「小さな女の子が、コーヒーはブラックだって言い張るのが、いつもツボだったな」

 彼は懐かしそうに目を細める。

 もう、なによ。そんなふうに言わなくても。
 私だって女の子らしくないかなって、自分でちょっと恥ずかしかったんだから。

 じとっと見やった。

 守兄は窓の外に目をやっていて、その綺麗な横顔に目を奪われてしまう。
 今の会話のせいかな。
 張りつめていた緊張はやわらぎ、ほっとした空気が流れていく。

 ――よかった。なんだか昔を思い出すな。
 彼といるときに感じる、安心するような、それでいて少しドキドキするこの感覚。

 あの日のままだ。

 この前、守兄が私に迫ってきたあのときから……もうこの関係は終わってしまうのかもしれない。
 そんな不安をずっと抱えていた。

 大切な存在を失いたくはなかった。
 たとえ恋人になれなくても、その想いは変わらない。
 彼とはずっといい関係を築いていたい。

 私はそう思っているけれど、彼はどうなんだろう。

「守兄はひどいなあ。いつもそうやって、私のことからかうんだから」

 つい口をついて出た。
 このまま、この柔らかな雰囲気が続いてほしいと願う。

 私が微笑むと、守兄もふっと笑みを返した。

「よかった。星が笑ってくれて。
 もう二度と、俺にそんな顔を見せてくれないかと思ってた」

 視線を落としながら、小さくぽつりとつぶやく。

「え……別にそんな」

「お待たせいたしました」

 言いかけたところで、タイミング悪く店員がコーヒーを運んできた。
 私たちはまた黙り込む。

 店員が去っていき、
 しばらくしてから、守兄が突然、深々と頭を下げた。

「ごめん! この前のこと」

 私は目を丸くし息をのんだ。
 守兄は震える声で続ける。

「あれは、本当に申し訳なかった。
 自分でも自制が利かなくなって、星があいつに取られてしまうと思ったら、ついカッとなってしまって……ごめん」

 頭を下げたまま、彼は動かない。
 どうしていいかわからず固まっていた私は、慌てて首を振った。

 まさか、守兄に頭を下げられる日が来るなんて。

「もういいよ。守兄がそんな人じゃないって、ちゃんとわかってる。
 そりゃあ……驚いたし、悲しかったけど」

 一度、言葉を飲み込み、ゆっくりと告げる。

「あのことは忘れる。でも、二度としないでね」

 守兄はようやく顔を上げた。
 静かに私を見つめるその瞳はうっすら濡れていて、静かに揺らめく。

 ……綺麗な瞳。
 私は知っている。彼が心の綺麗な、優しい人だって。
 そんな人があんな行動を取ったのだから、きっと相当な葛藤があったに違いない。

 もし私がその元凶なら、むしろ謝るべきは私なのかもしれない。

 そんな想いを込めてほほ笑みかけると、守兄は驚いたように目を見開き、そして嬉しそうに笑った。

「……ありがとう。やっぱり優しいな」

 口元を手で覆い、照れたように笑う。
 その頬がほんのり赤く見えた。

 逸らした視線が、また私へ戻る。

 その瞳からは、愛しさがあふれていた。

「俺は星が好きだ。好きで、好きで、どうしようもなくて。
 誰にも渡したくない。

 頭ではわかってたんだ。あきらめなきゃいけないって。
 何度も何度も、星の幸せを考えようって。

 でも、どうしても」

 俯いた彼が、そこで言葉を切る。
 しばらく押し黙ったあと、何かを決意したように顔を上げ、真っ直ぐに私を見つめてきた。

 力強い瞳。その視線に、心臓がどきどきと高鳴る。

「誰よりも星を大切にするし、幸せにする自信がある。
 一生守って、側にいて。きっと、あいつより……

 星、俺と――結婚を前提に付き合ってほしい」

「え!!」

 あまりに突然のプロポーズに、素っ頓狂な声が出てしまった。