溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

 足が重い。
 一歩一歩を引きずるように、ふらつきながらエレベーターへ向かい、地下へ戻った。

 視線の先には、小森さんの待つワゴン車。

「あきら!」

 俺を見つけるなり、小森さんが慌てた様子で駆け寄ってきた。
 そのまま勢いよく抱きしめられる。

 ただ呆然と見つめ返す。
 見上げてくる彼女の瞳には、涙がたまっていた。

 何も、感じない。

 頭の中は、星のことでいっぱいだから。

「さっきはごめんね。私ったら、つい……。
 だって、あなたが好きだから!」

 好き。
 その言葉を聞くと、胸に嫌な重さがのしかかる。
 やけに引っかかって、気分が悪くなった。

 小森さんは俺の顔を見て眉をひそめる。

「あきら……大丈夫? 顔、青いよ」

 そんなに酷い顔をしてるのか。自分ではわからない。

「うん、大丈夫」

 そう答えながらも、意識はぼんやりしていた。

 考えたくない。受け止めたくない。
 さっきの出来事があまりにも衝撃的で、感情や思考がすべて停止してしまったみたいだった。

 小森さんは、わざとらしく明るい声を出す。

「そうだ。今日はもう仕事もないし、家まで送ってあげる。
 さっきのことも、話したいし。いろいろと」

 気まずそうに一度うつむき、すぐに作り笑いを浮かべた。
 そして俺の背中にそっと手を回し、寄り添ってくる。

 その支えに導かれるように、俺はワゴン車へ乗り込んだ。

 まだ霞んだ意識の中、エンジンのかかる音だけがやけに鮮明に響いていた。



 マンションに着くと、小森さんは当然のように付き添い、部屋の中まで入ってきた。

 キッチンに立つ姿は妙に手慣れている。
 俺は何も言わず、ただソファに腰を下ろした。

 視線は宙をさまよい、頭の中はまだ整理できないままだ。

「さ、これでも飲んで」

 差し出されたマグカップから、あたたかな湯気が立ちのぼる。

「……ありがとう」

 気持ちを落ち着けた方がいい。そう思って口をつける。
 温かさと、馴染んだコーヒーの香りが少しずつ感覚を取り戻させてくれる気がした。

 小森さんが俺の横に腰を下ろし、様子を窺うような眼差しで見つめる。

「ねえ、あきら」

 甘えるような声音。
 少し身を寄せてくる仕草に、俺は自然と距離を取った。

 すると、間髪入れずに手を握られる。

「さっきのことだけど、ごめんなさい。怒ってる?」

 じっと見上げてくる視線。
 俺は心の中でため息をついた。

 やっぱり、そのことか。

 黙っていると、小森さんは焦ったように、握る手にぎゅっと力を込めてきた。

「ごめんなさい! でも、私の気持ちを知ってほしくて。
 私……ずっと、あきらのこと」

「もうやめてくれ!」

 腹の底から声が出た。
 我ながら驚くほど大きな声だった。

 小森さんはびくりと体を震わせ、動きを止める。
 俺がこんなふうに怒鳴るのを、彼女はきっと初めて見たからだ。

 きつく睨みつける。

「あなたは俺のマネージャーですよね? それ以上でも以下でもない。
 小森さんのことを好きになることはありません!」

 普段はため口だったけど、このときはあえて敬語を使った。
 その方がはっきりと拒絶の意思を伝えられると思ったからだ。

 彼女の瞳が悲しげに揺れ、涙がじわりとにじむ。

 少し胸が痛んだ。
 けれど、ここで甘い顔を見せるわけにはいかない。

「……そんなこと、わかってる。わかってたけど、想いは止められないの。
 あきらのことが好き。あなたを支えたいの。仕事も、プライベートも。
 私ならできる! 星ちゃんには無理よ。あの子より」

「星のことを悪く言わないでくれ!!」

 怒りが爆発した。

 今回のことで彼女を深く傷つけた。
 それだけでも自分が許せなくて、苦しかった。

 それなのに、さらに星を悪く言われる。はらわたが煮えくり返りそうだ。

 小森さんは口を閉ざし、下を向いて押し黙る。
 俺もうつむいたまま、重苦しい沈黙が流れた。

 やがて、彼女がぽつりと口を開く。

「星ちゃん、か……。ねえ、あの子のどこがいいの?」

 冷たい声音。
 顔を上げると、今まで見たことのないほど冷たい目をした彼女がいた。

「あの子、あなたの邪魔ばかりしてるじゃない。
 役に立ったことなんてある?
 あきらにとってプラスになるのかしら。今だって、こんなに苦しめてる」

 冷めた表情がふっと緩み、妖艶な笑みへと変わる。
 そして彼女は俺の腕に触れ、もう片方の手を胸へ伸ばそうとしてきた。

「やめてくれ」

 その手をはじいた。

「……っ」

 小森さんは目を見開き、眉を寄せる。
 傷ついたように顔を歪め、悔しげに唇を噛みしめた彼女が、叫ぶように言った。

「なによ……あの子には、あの男がいるじゃない!」

 本条守。
 脳裏に彼の姿が浮かび、ズキンと胸が痛む。

「あの人の方が、星ちゃんにはお似合いよ」

 そう言い捨て、小森さんは勢いよく立ち上がった。
 背を向けたまま、震える声で続ける。

「帰る。また仕事のとき迎えに来るから」

 僅かに肩を震わせたまま、彼女は静かに部屋をあとにした。



 しんと静まり返った部屋で、俺はひとり項垂れた。
 どれくらい、そのままの姿勢でいたのかわからない。

 頭の中に浮かんでいたのは、星のこと。

 俺はどうしたらいい?

 傷ついた彼女の顔が、頭から離れない。
 俺を見つめるあの瞳を思い出すたび、胸が締めつけられる。

 ひどいことを言ってしまった。

 「あいつの方がいい」なんて、思ってもいないことを。

 それに、小森さんとのキス。
 あれは俺の意思じゃない。あっちが勝手にしたことだ。

 でも、キスをしてしまったことには変わりなくて……星は、傷ついただろう。

 俺だって許せなかった。

 二人のキスを見たとき、めちゃくちゃ悔しくて、心が引き裂かれるほど傷ついた。
 好きであればあるほど、その想いは大きくなる。

 俺が一番、その辛さをわかっていたはずなのに。

 それなのに、あんな態度を取ってしまった。

「ああ……もう、俺は何してんだ!」

 頭を抱え、うなる。

 それからも悶々と悩み続け、気づけば夜が明けていた。