溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

 雷に打たれたような衝撃が全身を駆け抜けた。
 その場に立ち尽くすしかなく、頭は真っ白で、体は硬直して動けない。

 ふと、あきらがこちらを見た。
 目が合った瞬間、彼の瞳が大きく見開かれる。

「――星!」

 駐車場に大きな声がこだました。
 その声にはじかれるように、固まっていた思考が一気に動き出す。

「あ……」

 やっと体が反応し、無意識のまま駆け出していた。
 あきらに背を向けて、ただ、逃げる。

 背後から彼の声が追いかけてきたけど、聞こえないふりをして走り続けた。

 息が苦しい。胸が締めつけられる。
 気持ちが、悪い。

 いったい何が起きているの? 頭がうまく働かない。

 ただひとつ確かなのは、今はここから、あきらから離れたいということだけだった。


 私はそのままエレベーターに飛び込み、地上一階のボタンを何度も連打した。

 エレベーターの中。
 浮遊するような感覚に身を委ねながら、ただ呆然と前を見つめる。
 ドキドキと心臓が激しく脈打ち、頭はまだぼんやりする。

 今は、あきらから逃げることしか考えられなかった。

 さっきの光景が脳裏をよぎる。
 振り払うように首を振り、目をぎゅっと閉じた。

 到着を告げる音が鳴り、扉がゆっくりと開いていく。

 その先には、あきら。

 肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返しながら、まっすぐこちらを見ている。

 怖気づく心を奮い立たせ、一歩前に出た。
 彼の横をすり抜けようとした瞬間、腕をぐっと掴まれる。

「は、離して!」

「いやだ!」

 振り払おうとしても、びくともしない。
 必死な形相で見つめてくるその瞳からは、真剣な想いがひしひしと伝わってきた。

 怖くて、私は顔を背ける。

「お願いだ、話を聞いて」

 掴まれた腕に力がこもり、じんと痛みが走る。

 いやだ、聞きたくない。いったい何を言うつもり?
 さっきの言い訳?

 戸惑いながらも視線を戻すと、あきらの瞳がほんの少しやわらいだ。
 ほっとしたように頬が緩む。
 その表情につられて、私の肩の力も一瞬抜ける。

 その隙を逃さず、あきらは強く引いた。
 そのまま彼に連れられていく。

 強引なのに、その中でさえ優しさを感じてしまう。
 あきらは優しい人だから。
 だから、きっと……あれも違う。

 そう思いたかった。信じたかった。



 あきらに引きずられるようにして連れてこられたのは、駐車場の隅だった。
 立体駐車場の影になっていて、外からは死角になっている場所。

 そこに立ち止まると、あきらが私の方へ向き直る。
 手はまだ、しっかりと私の腕を掴んだまま。

「……聞いてくれ」

 懇願するような瞳から逃れるように、私は顔を背けた。

「聞きたくない」

 本当は、あきらを信じたい。
 でも今は、心がすり減っていて、受け止める余裕なんてなかった。

 小森さんとあきらのキスシーンが、頭の中で何度もよみがえる。

「あれは……あれは小森さんが勝手にしてきたんだ。俺がしたわけじゃない」

「もう、いい!」

 思わず声が大きくなる。

 あきらを信じていないわけじゃない。
 彼が浮気なんてするはずない。優しい人だし、私のことを好きでいてくれてるのもわかってる。信じてる。

 でも……でも!
 心が悲鳴をあげていた。

 守兄のことがあって、傷ついていた。
 本当は、その痛みをあきらに癒してほしくてここまで来たのに。
 なのに、さらに深く傷をえぐられて。

 もう、どうすればいいのかわからなかった。
 感情をコントロールできない。

 だから、言うつもりなんてなかったのに。
 つい口をついて出てしまった。

「私……ずっと我慢してきた」

 口が勝手に動く。
 奥深くに溜め込んでいた想いがあふれ出し、もう止められなかった。

「アイドルだから仕方ないって。
 普通の恋人みたいにはいかなくて、たくさん我慢した。本当はしたいこと、いっぱいあったのに。
 それでも、あきらのためならって。応援したいって思ってたのに」

 本当はこんなこと言いたくない。
 なのに、言葉は次から次へとこぼれていく。

「いつも、小森さんからもいろいろ言われて……」

「え? 何それ?」

 あきらが驚いた顔で覗き込んでくる。
 でも、振り切るように続けた。

「ずっと、つらかった! つらかったの。
 私はあきらの何なのかな? 一緒にいて、あきらは幸せなのかな」

 それは、ずっと心の中で繰り返してきた疑問。
 聞きたくて、でも怖くて、ずっと聞けなかったこと。

 あきらは戸惑っていた。
 初めて本心を突きつけられて、動揺しているのだ。

「何言ってんだよ、当たり前だろ? 俺は星と一緒じゃなきゃ」

「もう、疲れた!」

 私の叫びが、暗く重たい駐車場の空気を震わせるように響き渡った。

「ひ、星……」

 あきらは呆然としたまま、ぽかんとした顔で私を見つめていた。

 違う、こんなことを言いに来たんじゃない。

 本当は慰めてほしかっただけ。
 傷ついた心を優しく受け止めてほしかっただけなのに。

「星、ごめん。そんなに君を追い込んでいたなんて……我慢させてたなんて、知らなくて。
 でも、俺は……」

 そう言って、あきらは私を強く抱きしめた。

 いつもなら、嬉しくて幸せで仕方ないはずなのに。
 今は苦しくて、張り裂けそう。

「離して!!」

 思いきり突き飛ばすと、あきらは泣きそうな目で私を見た。

「……どうして」

 困惑した表情でつぶやいたあと、彼はうつむく。
 そして低く、ぽつりと漏らした。

「もしかして、あいつか?」

 空気がぴんと張り詰めた。
 あいつ? まさか。

 あきらが顔を上げる。その瞳は怒りに燃えていた。
 詰め寄りながら怒鳴る。

「あの、本条守だろ! あいつがいいのか?
 だから俺と別れるために、そんなこと言って、今日だってその話で俺を呼び出したのかよ」

 吐き捨てるような言葉に、心は痛み、体が震えた。

「ち、ちがう! 私は――」

「いいよ! もう」

 強い声に遮られる。

 本当は違う、勘違いだって伝えたかった。
 でも、ひどく憔悴し、うなだれるあきらの姿に、
 今は何を言っても届かない気がした。

 私も、彼も。
 ひどく傷ついていて、心を閉ざしていた。

 沈黙が落ちる。

 駐車場はしんと静まり返り、重苦しい空気に包まれていく。

「しばらく、俺たち会わないほうがいいのかも」

 あきらの言葉が、鋭く胸に突き刺さる。
 心が痛くて、涙がにじんだ。

 何か言おうとしたけれど、彼は私に背を向け、そのまま歩き出す。

「まっ……あき、ら」

 声が出ない。胸が詰まって、言葉にならなかった。

 私はただ、立ち尽くして、
 憂いを帯びた彼の背中を見送ることしかできなかった。