溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

「ま、守兄……?」

 何が起きたのかわからなくて、ただ彼を見つめることしかできない。

「星、好きだ。好きだ!」

 荒々しい声が響く。
 いつもの冷静な守兄じゃない。

 息は荒く、目まで血走っていて、まるで別人のようだ。

 戸惑う間もなく、唇を奪われる。

「……っ、いや!」

 叫び、顔を背けて必死に抵抗する。

 手を伸ばして押し返そうとするが、あっけなく掴まれて床に押し戻された。
 両手を押さえつけられ、身動きがとれない。

 次の瞬間、首筋に唇が触れる。

「あっ、やだ!」

 必死にもがいても、力が強くて、どうにもできない。

「やめて……やめてよ、守兄」

 涙声で訴えると、彼の動きがぴたりと止まる。
 見上げると、哀しみに濡れた瞳が私をじっと捕らえていた。

 どうして、こんなことになってしまったの。
 混乱でうまく思考が働かない。

 そのとき。

 ガラガラッと玄関の扉が開く音がした。

「ごめん、ちょっと荷物忘れた」

 太陽の声だ。こちらへ近づいてくる。

 守兄ははっとしたように私から体を離し、立ち上がった。
 私を一瞥すると、そのまま逃げるように駆け出した。

 そのとき、廊下から太陽が姿を現した。

「うわっ! 守兄?」

 ばったり出くわした太陽が驚きの声をあげる。
 けれど守兄は振り返りもせず、そのまま走り去ってしまった。

 太陽は呆然と背中を見送り、ぽつりとつぶやく。

「……いったいどうしたっていうんだよ」

 こちらへ視線を向けると、目を丸くした。

「えっ!? 姉ちゃん、大丈夫? 何があったんだよ!」

 駆け寄ってきた太陽に支えられ、私はゆっくり体を起こす。
 その瞬間、こらえていた涙がじわりと溢れ、止まらなくなった。

「ふっ、うぅ……」

 泣き続ける私の横で、
 弟は戸惑いながらも、ずっと寄り添ってくれた。



 次の日の朝。
 部屋の入り口に立った太陽が、優しく声をかけてきた。

「姉ちゃん、大丈夫? 僕、学校行ってくるね」

 そう言って、しばらく気遣うように佇んでから、静かに家を出ていった。


 私は布団の中で丸まったまま、ドアの閉まる音に耳を澄ませる。

 昨日、守兄に押し倒されたあの瞬間から、私はショックで何もできなくなっていた。

 部屋に閉じこもり、食事も取らず、ただ眠るように時間をやり過ごす。
 途中、太陽が世話をしてくれていた気がするけど、その記憶も曖昧で霞んでいる。

 弟に甘えてしまって、申し訳ない。
 頭ではわかっているのに、体が重くてどうしても動けなかった。

 学校へ行くこともできなくて、今日は休むことにした。

 はぁと大きなため息をこぼしながら、また思考にふける。

 あきらに会いたい。

 昨日のことを思えば、守兄を気にするはずだよね。
 ……なのに。
 心の中に浮かんでくるのは彼のこと。

 胸に残った不安も恐怖も、癒してくれるのは彼しかいない。
 あの温もりに包まれたい。そっと抱きしめてほしい。

 すがるような気持ちで、私はあきらに連絡を取った。


 きっと、私の声はいつもと違っていたのだろう。
 電話をしてすぐに、あきらの声色が変わった。

 どこか張り詰めたような響きになって、私が「会いたい」と言うと、二つ返事で了承してくれる。
 仕事は大丈夫なのかと尋ねると、彼は明るい声で「大丈夫」と返した。
 きっと忙しくても、私のために時間を作ってくれるに違いない。

 あきらは、そういう人だから。

 迷惑をかけている自覚はある。
 普段の私なら気を遣って、こんなことは言わなかったはずだ。
 でも……今はひとりでいることが耐えられない。

 早くあきらに会いたかった。
 会って、あの笑顔が見たい。抱きしめてほしい。

 その想いが何よりも勝っていた。

 急いで着替え、身だしなみを整える。
 本当ならそんな余裕なんてなかったけど、やっぱり乙女だ。
 好きな人に会うなら、きちんとした姿で会いたい。


 あきらと約束した場所へ向かう。
 気持ちが逸って、鼓動が大きくなっていく。

 早く、会いたい。

 彼の笑顔が脳裏によみがえり、それだけで心が少し軽くなった。

 待ち合わせの場所は、近所にある大きなショッピングモールの地下駐車場。
 一番下の階、隅の方の目立たない場所だった。

 内緒で落ち合うとき、私たちはいつもここを使っていた。

 人も少なく、誰の目にもつきにくい。

 エレベーターで最下層へ降り、扉が開くなり飛び出して、あたりを素早く見回す。
 ……人はいない。大丈夫そう。

 いつものように周囲の確認を済ませ、私はまっすぐ目的の場所へ歩いていった。



 視線の先に見えてきたのは、いつものワゴン車だった。
 小森さんが普段運転している、あの車だ。

 胸がざわつく。
 こんなときでも……あきらはあの車で来るんだ。
 もしかして、今日も一緒なんだろうか。
 私と会うのに。

 気持ちが一気に沈んだ。ふたりきりだと思っていたから。

 いつもそうだ。
 あきらと私が会うとなると、小森さんは必ずそばについてきて、まるで監視するみたいに目を光らせる。
 二人きりにはさせない、と言わんばかりに。

 まあ、デートや、あきらの部屋で会うときまではさすがについてこないけど。
 それでも送り迎えはたいてい彼女の役目。

 小森さんの鋭い視線を思い出すたび、胸がぎゅっと締め付けられる。

 ワゴン車を見つめながら、ふっとため息をもらす。

 今日は、ふたりきりがよかったな。
 でも、贅沢は言えない。
 あきらだって仕事場から急いで駆けつけてくれたのかもしれない。

 それに、小森さんは彼がその足で来られるように送ってくれたのかも。

 感謝しなきゃ、だよね。
 そう思い直して、車へと足を踏み出した。

「……え」

 足が止まる。
 心臓が早鐘を打ち、血の気が引いていく。

 目は見開き、まばたきすらできなかった。


 視線の先にあったのは、

 車の前で、あきらと小森さんがキスをしている姿だった。