溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

「……もう、帰ろう」

 そうつぶやいて歩き出した私の視線の先に、ひとりの老人が見えた。
 重そうな荷物を抱えて、懸命に進もうとしているけれど、歩みは遅い。
 しかめっ面で、なんだか辛そうだ。

 放っておけなくて、思わず声をかけた。

「あの!」

「え?」

 振り向いた顔はやっぱり具合が悪そうで、顔色もよくない。
 品のいいおばあさんだった。

 声をかけてよかった。ほっとしながら歩み寄る。

「あの、もしよければ荷物、持ちましょうか」

 せいいっぱい、にこやかに微笑む。
 いきなり声をかけられたら、誰だって警戒する。
 知らない人に話しかけられるの、苦手な人も多いし。

「大丈夫よ。気にしないで」

 そう言っておばあさんは、またゆっくりと歩き出した。
 その歩き方はよたよたしていて、見ていてちょっと危なっかしい。

 急いで駆け寄り、もう一度話しかける。

「向こうに行くんですか? 私もあっちに用があるんです、ご一緒します」

 荷物をじっと見つめ、にこっと笑った。

「あの、ついでなんで、荷物持ちますよ」

 おばあさんが私をじっと見つめる。
 しばし沈黙。そして。

「そうかい? なら、ちょっと持ってもらおうかしら」

 ふう、と息をついておばあさんが微笑んだ。

 よかった。

「どこまで行くんですか?」

「え? ええと……」

 道すがら、他愛もない話をしながら、おばあさんを家まで送っていった。



 そして、気づけばもう夕方になっていた。
 窓から差し込む日差しが赤くなっていて、やっと時間の経過を知る。

 おばあさんを無事に送り届けた私は、そのまま家にあがった。
 「どうしても」と笑顔で言われてしまったら、無下になんてできない。

 世間話に花を咲かせながら、ジュースとお菓子をご馳走になる。
 おばあさんも最初は遠慮がちだったけれど、慣れてくるとよく話す人だった。
 一人暮らしのせいか、私と話せてとても嬉しそう。

 本当なら今日はウインドウショッピングを楽しむつもりだったけど、
 それ以上に、思わぬ収穫を得た気分だ。

 このおばあさんの笑顔。
 それだけで、十分に満足だった。



 おばあさんの家からの帰り道。
 「いい一日だったなあ」と大きく伸びをする。

 さ、これから夕食の買い物をして、家に帰って、ご飯の用意をしないと。
 そんなことを考えながら、浮かれ気分でスキップを踏んだ。

 そのとき、私の横を通り過ぎた男性がハンカチを落とした。

 ――え?

 足を止め、落ちたハンカチを見つめる。
 男性は気づかないまま歩き去っていく。

 気づいてないのかな?
 私は急いでハンカチを拾い、彼のもとへ走った。

「あの! 落としましたよ!」

 声をかけると、男性が振り返った。

 キャップ帽を深くかぶり、マスクをしていたから顔ははっきり見えなかった。
 だけど、わかってしまった。

 立ち姿から、その目から、全身から溢れ出すオーラから。
 ……かなりのイケメン。
 そんな雰囲気がありありと感じられた。

 こういうのって、なんとなくわかるものだよね。
 芸能人に会ったときって、きっとこんな感じなんだろうな。

 ぼうっと見つめていると、男性がゆっくり近づいてくる。

 なんだろう、すごく緊張する。
 どきどきしてきた。

 近づけば近づくほど、その思いは確信に変わっていく。

 ――やっぱり、イケメンだよ。絶対。

 至近距離で見れば、その造形美はさらに際立った。
 そんじょそこらの男性とは格が違う。ごくりと唾を飲み込む。

「ありがとう」

 私が差し出したハンカチを、男性がそっと受け取った。

 う、動けない。
 金縛りにあったみたいに体が固まってしまった。

 だって、彼の瞳がとても綺麗で。
 吸い込まれるみたいに、目が離せなかった。

 見たこともないような、澄んだ瞳。

「あの」

 男性の声で、我に返る。

「あ! は、はい!」

 やだ、私、見惚れてた?
 顔が一気に熱くなる。

 あまりのイケメンぶりに、我を忘れてたんだ。

「そ、それじゃあ」

 恥ずかしさを誤魔化すように、くるりと方向転換して歩き出す。
 そのとき、ふいに腕をつかまれた。

「ちょっと、待って」

 ――え? な、なに?

 驚いて振り返ると、男性が私をじっと見つめ、つぶやいた。

「あの、お礼を。少しだけいいですか?」

 お、お礼? なんでいきなり。
 ハンカチ拾っただけなのに?

 なぜか頷いてしまった。

「……はい」

 そう。これは、乙女がなしえる素直な反応だったに違いない。