溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

 眠い目をこすりながら、大きなあくびがふわっとこぼれる。
 重たい体をなんとか起こして、のろのろと部屋を出た。

 居間では、太陽がテレビを見ながら朝食をとっていた。

「おはよう」

 声をかけると、口いっぱいにご飯を詰め込んだまま「おはよー」と返ってくる。
 ちゃぶ台の上には空になりかけたお茶碗。

 どうやら新聞配達を終えたばかりらしい。
 よほどお腹が空いていたのか、がつがつと箸を動かしている。

 朝からご苦労さま、と思いながらも、
 私も以前は同じ仕事をしていたから、その大変さはよくわかる。
 冬の朝の鋭い冷たさも、夏の空気の重たさも、記憶のどこかに確かに残っていた。

 今日は休日。
 しかも、珍しく私のバイトはお休み。
 だから久しぶりに、あきらとデートの約束をしていた。

 ……なのに。胸がざわつく。

 昨日のことがあって、どんな顔をして会えばいいのかわからない。
 別に浮気してるわけじゃないんだけど、どこか後ろめたさが残る。

 自分の気持ちが、まだ整理しきれていないからだ。

 ぼんやり考え込んでいると、太陽がちらりとこちらを見た。

「姉ちゃん、今日あきらさんとデートでしょ? のんびりしてたら遅れるよ」

 ほんと、しっかりした弟だな……と内心あきれながら、何気なく返す。

「ああ、大丈夫。待ち合わせは十一時でしょ? 今は――」

 時計を見た瞬間、思考が止まった。

 え、十時!?

 そこからはもう戦場だった。
 洗面所でぱぱっと化粧を済ませ、服を選び、髪を整える。
 ドタバタと走り回る私を、太陽は呆れ顔で見守っていた。

「ご飯は?」

「いい! あきらとお昼食べるから!」

 玄関で靴を履きながら大声で返すと、太陽がため息まじりに近づいてくる。

「姉ちゃん、もう少し余裕のある女性になってよ」

 ぐうの音も出ない正論に、私は苦笑いを浮かべた。

「……わかってる」

 靴を履き終えると、笑って手を振る。

「いってきます」



 駅前広場で、十一時の待ち合わせ。
 腕時計の針はすでに十時五十五分を指していた。

 ロータリーに響くバスのエンジン音。行き交う人々のざわめきと、眩しい陽射し。
 駅前は活気に包まれていた。

 私は小走りで人並をすり抜け、信号を渡る。

「はぁ、はぁ……」

 ようやく待ち合わせ場所にたどり着き、あたりを見回す。
 まだ来ていない。

 安堵の息を吐いたその瞬間。

「星!」

 背後からふいに抱きしめられた。

「きゃっ」

 驚いて振り返ると、キャップを深くかぶり、マスクをつけたあきらがいた。
 きらきらした瞳が私を射抜く。

「あきら……」

 名を呼ぶと、彼の瞳がふわりと細まり、笑みがこぼれる。

「星だ、星だ。会いたかったよ」

 ぎゅっと抱きしめられ、苦しいほど締めつけられる。

「もう、この前会ったばかりじゃない」

「一日会えないだけで寂しいんだよ」

 あきらは私をそっと自分の方へ向かせ、マスクを外した。
 そのまま顔を近づけ――

 唇が、触れる。

 ざわめく駅前での突然のキスに、心臓が跳ねる。
 人目が気になって仕方がない。

 ほんと、あきらはこういうの気にしない。
 アイドルだってこと、忘れてないよね?

 やがて唇が離れ、彼は少年みたいな無邪気な笑顔を見せた。
 その顔に、頬がじんわりと熱を帯びる。

「さ、行こっか」

 自然に私の手を取って歩き出すあきら。
 引かれるまま、私は人混みの中へと踏み出した。

 ずっと待ちわびていたあきらとのデートが、始まった。