溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

「あのあと、結局姉ちゃん足痛くてさあ。守兄がおんぶして帰ったよね」

 太陽がどこか遠い目をしながら、のんびり話す。

「ああ、そうだったな」

 隣で守兄も、懐かしそうに目を細めて笑った。

「うん……」

 私も思い出して、恥ずかしくなり視線を伏せる。

 ――あの縁日の夜。
 石段で少し休んだけれど、足の痛みは引かなかった。

 守兄が気遣ってくれ、家までおんぶしてくれることになった。
 恥ずかしいからと断ったけれど、うまく諭され……結局、守兄の背に身をあずけた。
 大きな背中と、あたたかな体温。

 思い出すだけで、恥ずかしさと嬉しさが同時に込み上げてくる。
 あのときの胸の高鳴りまで蘇ってきて。

 そっと守兄を見つめると、視線が合った。

 見られてた? なんで?

 取り乱しながらも、なんとか笑顔を返す。

「え……なに?」

 守兄はくすっと笑った。
 その笑顔に、胸が跳ねる。

「ううん、星は変わってないなあって思って」

「な、何それ。十歳のときのままだって言いたいの?
 私だって、大人になったんだからね」

 冗談っぽく返した瞬間、守兄の目つきが変わった。

「わかってるよ」

 真剣な眼差しでじっと見つめられる。
 胸がざわつき、息をのんだ。

 なんなの、その視線。

 守兄はふと視線を落とし、少し考えるように間を置いてから、ゆっくりと口を開く。

「……ごめん」

 不意に、頭を下げた。

「え! きゅ、急にどうしたの」

 あまりの展開に、思わず声が上ずる。
 さっきまで和やかに昔話をしていたのに、なんで頭を下げることになってるの?

 守兄は頭を下げたまま、しっかりとした口調で言った。

「星たちがこんなことになっているなんて、知らなかった。ごめん」

 その言葉に、ちょっとほっとした。

 ああ……そういうことか。
 彼の知らないところで、私たちがこんな極貧生活をしていたことを知って、ショックを受けたんだ。

「しかたないよ。守兄は知らなくて当然だから」

 だって、両親が亡くなったのは、守兄がアメリカへ旅立った後だった。
 その後のことを彼が知らないのは、あたりまえ。

 私がにこりと笑うと、守兄は少しあきれたように笑った。

「ほんと、星は優しいな」

 そう言ったかと思えば、表情がふっと沈む。

「日本に帰ったら、すぐに星に会おうって思ってた。
 だから、秘書に君のことを調べさせたんだ。勝手にそんなことして、悪かったって思う。でも、驚いたよ。
 ご両親は俺がアメリカへ行ったあと、すぐに亡くなっていて。しかも親戚の家に預けられた上に、そこも追い出されたって知って。もう、本当にびっくりした」

 話す彼の表情から、本気で驚いていることが伝わってきた。

 守兄は優しいからなあ。心配させちゃったか。

 やがて、息を整えるように小さく息を吐き、
 そのまま、まっすぐに私を見つめてきた。

「心配してたけど……星を見て安心した。
 こんな生活でも前向きで、明るく生きてる。星は、やっぱり強いや」

 嬉しそうに笑うその顔に、またドキッとさせられる。

 慌てて首を横に振った。
 褒められて嬉しいやら、恥ずかしいやら。

「ううん、そんな。こんなのくらい、へっちゃらだよ。
 世の中にはもっと大変な思いをしている人だっているし、私はまだ恵まれてる。
 こうやって屋根のある家に住めて、なんとか暮らせているし。
 それに、太陽がいてくれるから。寂しくもないしね。
 あと――」

 そう言いかけて、ふとあきらの顔が浮かんだ。

 ……彼がいてくれるから。

「あ、姉ちゃん。あきらさんのこと考えただろ?」

 太陽がにやにや笑いながら、肘でつついてくる。

「な! そ、そんなこと!」

 慌てる私の声を遮るように、守兄が間髪入れず問う。

「あきらって、誰?」

 その声色に、驚く。
 彼の目つきと雰囲気ががらりと変わった。
 先ほどまでの柔らかさは一気に消え、鋭い眼差しが太陽に向けられる。

 あまりの変貌に、ぱちくりと瞬いた。

「もしかして、男?」

 次の瞬間、守兄が私に迫ってきた。
 肩をつかまれ、ぐっと距離を詰められる。

 必死の形相。こんな守兄、見たことがない。

「お姉ちゃん彼氏がいるんだよ。それが、あきら」

 太陽の何気ない言葉に、彼の動きがピタリと止まった。
 まるで時間が止まったみたいに、微動だにしない。

 心配になった私は、そっと声をかけた。

「ま、守兄?」

「あ……いや、ごめん」

 はっとしたように瞬きをして、視線を泳がせる。
 そして、私からゆっくりと手を離した。

 守兄はもう一度腰を下ろし、何かを思い詰めるように下を向く。

 どうしたんだろう。
 そんなに、私に彼氏ができたことが意外だったのかな。

 ずっと子ども扱いしてきた相手に恋人ができたと知って、ショックを受けたとか。
 それって、ちょっと失礼じゃない?

 なんて、心の中でぶつぶつ考えていたとき、
 ふと、守兄が低い声でつぶやいた。

「それで、星の彼氏ってどんな奴なんだ」

 その声は、いつもより低く、少し怒っているようにも聞こえた。

「べ、べつに。普通だよ」

 彼氏がアイドル、なんて言えるわけないでしょ。
 なんとかはぐらかそうとしていると、横から太陽が口を挟んできた。

「守兄、聞いてよ! 姉ちゃんの彼氏ってアイドルなんだよ」

「……は?」

 守兄の間の抜けた声。

 私は口をあんぐりと開け、太陽を凝視した。
 なに言っちゃってんのよ!?

「た、太陽っ!」

 怒鳴ると、一瞬肩をすくめた太陽は、すぐにへへっと笑ってみせる。

 このいたずらっ子、完全に楽しんでるな。ほんと、どうしようもないんだから。
 そんなことわざわざ言わなくていいのに。
 守兄だって、そんな話を聞いたって。

 そっとうかがうと、ばっちり目が合った。
 その表情は、驚きに満ちている。

「アイドル、って……どういうことだ」

 真剣な声で迫られ、思わず身を引いた。
 綺麗な顔の人が怒ると、なんでこんなに迫力あるの?

「え? その、ちょっと……いろいろ事情があって」

「話を聞かせて」

 言いよどんだ私に、守兄がぐっと詰め寄ってくる。
 至近距離から突き刺さるまっすぐな視線に、ごくりと唾を飲み込んだ。

 この目、苦手だ。
 昔から、この目で見られると隠し事なんてできた試しがない。
 逃げ場がなくなるんだよね。

 一瞬だけ迷った。でも、しょうがないか。
 守兄になら話しても大丈夫。

 絶対的な信頼があるし、誰かに言いふらしたりしないのは百も承知だ。
 困らせたり、傷つけるようなことも絶対にしない。

 よし。

 姿勢を正し、彼と向き合った。

 守兄も同じように背筋を伸ばす。まるで「さあ、話して」と言わんばかりに。

「えっと、あのね……」

 こうして、私は彼氏のあきらについて話すことになった。