そして月日は流れ……気づけば私は、すっかり守兄の虜になっていた。
大好きなお兄ちゃん。
幼い私にとっての守兄は、ただの「お兄ちゃん」だった。
あのときまでは。
それは、私が十歳のとき。
近所の神社で毎年開かれる、夏の風物詩、縁日に出かけたときのことだった。
提灯が連なる参道は、ふだんの静けさが嘘みたいな賑わい。
あちこちから子どもたちの笑い声が響き、大人たちの話し声が重なる。
ずらりと並んだ屋台の灯りが、夜の闇をまばゆく照らしていた。
私と守兄、そして太陽。三人で人混みを歩いていく。
りんご飴、焼きそば、綿あめ、香ばしいたこ焼きの匂いまで。
まるで夢の世界みたい。
って、食べ物ばっかり? 私、食い意地張りすぎかも。
ほかにも、動物の仮面がずらっと並び、スーパーボールすくいや、色とりどりのアクセサリー屋台。
きらきらしていて、あっちもこっちも目移りしてしまう。
「星、危ないよ」
気がそぞろな私に、守兄がそっと手を差し出してくれる。
「うん……」
私はその手をそっと握り返した。
鼓動が、じわじわと速くなる。
かっこいいなぁ、と見惚れてしまう。
守兄も浴衣姿だった。
青みがかった地に朝顔の柄。涼やかで、どこか大人びていて、少し色気を感じさせる。
行き交う女性たちが、ちらちらと視線を向けているのも分かった。
そんな彼に手を握られて歩いている。
その事実だけで、胸の奥がくすぐったい。
私はお気に入りの浴衣を着ているけれど、守兄はどう思っているんだろう。
そっと様子をうかがう。
けれど、表情からは気持ちが読み取れない。
手を繋いだまま、彼の視線はずっと太陽に向けられている。
きっと、保護者のつもりなんだろうな。
そう思ったら、気持ちがふっと沈んだ。
――ん? なんで?
「いたっ」
足に鋭い痛みが走った。
慣れない下駄のせいで、鼻緒の横の皮膚が赤くなってしまった。
「どうした?」
守兄が心配そうに覗き込む。
「……ちょっと足が痛くて」
そう言った途端、守兄がしゃがみ込み、私の足元をじっと見つめる。
「ちょっとごめん」
鼻緒を少しずらすと、その部分の皮がめくれていた。
立ち上がった守兄は、私の頭をそっと撫でる。
「気づかなくて、ごめんな」
眉を寄せ、申し訳なさそうに言ったその次の瞬間、
ふわっと、体が宙に浮いた。
目の前いっぱいに、守兄の綺麗な顔。
それだけでも心臓が跳ね上がるのに、腕の中に抱き上げられた感触と、伝わる体温で、頭が真っ白になる。
これ……お姫様抱っこ!?
「わあ、いいなあ。僕も僕も!」
隣で太陽がはしゃぐ。
「ダメだよ。これは星だけの特権だから」
守兄が笑いながら太陽をたしなめた。
――え? 私だけの特権って、なにそれ。
心臓がドキドキうるさくて、顔が近すぎて、息が乱れそう。
守兄は優しく微笑むと、私を抱いたまま歩き出した。
人の波をすり抜け、屋台の通りを離れていく。
数歩進むごとに、にぎやかな喧騒が遠ざかり、夜の静けさが近づいてくる。
ぽつり、ぽつりと続く提灯の明かりの下。
私は彼の腕の中で揺られながら、まっすぐ前を見据えて歩くその横顔を見つめていた。
辿り着いたのは、神社の拝殿。
少し奥まったその一角は、人影もまばらで、空気がひんやりとしている。
風がそっと木々の葉を揺らし、提灯の灯りが柔らかく揺れた。
守兄は、先ほどから何も言わない。
そのまま私をそっと下ろし、石段へ座らせる。
「ここで少し休もう」
やわらかく微笑む守兄。
その笑顔に、私はどこか夢心地でぼんやり見惚れていた。
あとからやってきた太陽が、私の隣に腰を下ろす。
守兄は袖口から絆創膏を取り出し、私の前にしゃがみ込んだ。
「ちょっと、失礼」
そう言って、私の足にそっと手を添える。
指先が触れた瞬間、ぞくりと背筋が震え、頬がじわっと熱を帯びた。
守兄は丁寧に下駄を脱がせ、痛めた部分にそっと絆創膏を貼ってくれる。
その仕草があまりにも優しくて、
大切にされるって、こういうことなんだと思った。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
上目遣いでにこりと笑われ、また心臓が悲鳴をあげる。
視線が落ち着かず、くるくるとあちこち泳いだ。
「姉ちゃん、よかったね」
太陽が無邪気に声をかけてくる。
「う、うん」
ぎこちない返事をしながら、機械仕掛けの人形みたいにカクカクと頷く。
そして、もう一度守兄へ視線を戻す。
その瞬間、じっとこちらを見つめていた彼と目が合った。
「な、なに?」
慌てて問いかけると、守兄はゆっくりと首を振った。
「何でもない。……綺麗だなって思って」
まだ片膝をついたまま、私を見上げる姿勢でそう言う。
「ごめん、何言ってるんだろう。星はまだ子どもなのに」
視線をわずかに揺らす守兄。
その頬は、ほんのりと赤かった。
「星も、もう十歳なんだね。
これから、もっと綺麗になっていくんだろうな。楽しみだ」
にこりと微笑まれ、もうどうしていいかわからない。
ただ、ドギマギするばかり。
守兄はゆっくり立ち上がると、私の隣へ腰を下ろした。
ちょうどそのとき、夜空に花火が打ち上がる。
ドーンという大きな音とともに、漆黒の空に大輪の花が咲いた。
ここからだと、花火がとてもよく見える。
色とりどりの光が夜空いっぱいに絵を描き、次々と形を変えては消えていく。
私は目を細め、夢中でその光景を追った。
「わあ、綺麗……」
思わず声がもれる。
「綺麗だねー」
太陽も嬉しそうにはしゃぐ。
そっと隣を見ると、守兄も静かに花火を見上げていた。
その横顔があまりに格好良くて、胸がきゅっとなる。
ふいに守兄がこちらを見て、バチッと視線が重なった。
心臓が跳ね、私は慌てて目を逸らす。
「どうした?」
優しい声が降ってくる。
でも、恥ずかしくて顔を向けられない。
「な、なんでもない。は、花火綺麗だね」
必死に言葉を探す私に、
「……ああ、そうだね」
守兄は短く答え、再び花火へ視線を戻した。
私はまた、こっそりと横顔を盗み見る。
はあ、格好いい。
心臓はさっきからずっと鳴りっぱなしだ。
これって、恋?
まだ恋をしたことがないから分からない。
でも、守兄に触れられると、見つめられると、冷静でいられなくなる。
ドキドキして、彼のことばかり気になる。
視線が外せないのに、目が合うと慌てて逸らしてしまう。
ずっと一緒にいたい。離れたくない。
――やっぱり私、守兄に恋をしてるんだ。
その夜、私の中で守兄は「大好きなお兄ちゃん」から
「大好きな人」へと変わったのだった。
大好きなお兄ちゃん。
幼い私にとっての守兄は、ただの「お兄ちゃん」だった。
あのときまでは。
それは、私が十歳のとき。
近所の神社で毎年開かれる、夏の風物詩、縁日に出かけたときのことだった。
提灯が連なる参道は、ふだんの静けさが嘘みたいな賑わい。
あちこちから子どもたちの笑い声が響き、大人たちの話し声が重なる。
ずらりと並んだ屋台の灯りが、夜の闇をまばゆく照らしていた。
私と守兄、そして太陽。三人で人混みを歩いていく。
りんご飴、焼きそば、綿あめ、香ばしいたこ焼きの匂いまで。
まるで夢の世界みたい。
って、食べ物ばっかり? 私、食い意地張りすぎかも。
ほかにも、動物の仮面がずらっと並び、スーパーボールすくいや、色とりどりのアクセサリー屋台。
きらきらしていて、あっちもこっちも目移りしてしまう。
「星、危ないよ」
気がそぞろな私に、守兄がそっと手を差し出してくれる。
「うん……」
私はその手をそっと握り返した。
鼓動が、じわじわと速くなる。
かっこいいなぁ、と見惚れてしまう。
守兄も浴衣姿だった。
青みがかった地に朝顔の柄。涼やかで、どこか大人びていて、少し色気を感じさせる。
行き交う女性たちが、ちらちらと視線を向けているのも分かった。
そんな彼に手を握られて歩いている。
その事実だけで、胸の奥がくすぐったい。
私はお気に入りの浴衣を着ているけれど、守兄はどう思っているんだろう。
そっと様子をうかがう。
けれど、表情からは気持ちが読み取れない。
手を繋いだまま、彼の視線はずっと太陽に向けられている。
きっと、保護者のつもりなんだろうな。
そう思ったら、気持ちがふっと沈んだ。
――ん? なんで?
「いたっ」
足に鋭い痛みが走った。
慣れない下駄のせいで、鼻緒の横の皮膚が赤くなってしまった。
「どうした?」
守兄が心配そうに覗き込む。
「……ちょっと足が痛くて」
そう言った途端、守兄がしゃがみ込み、私の足元をじっと見つめる。
「ちょっとごめん」
鼻緒を少しずらすと、その部分の皮がめくれていた。
立ち上がった守兄は、私の頭をそっと撫でる。
「気づかなくて、ごめんな」
眉を寄せ、申し訳なさそうに言ったその次の瞬間、
ふわっと、体が宙に浮いた。
目の前いっぱいに、守兄の綺麗な顔。
それだけでも心臓が跳ね上がるのに、腕の中に抱き上げられた感触と、伝わる体温で、頭が真っ白になる。
これ……お姫様抱っこ!?
「わあ、いいなあ。僕も僕も!」
隣で太陽がはしゃぐ。
「ダメだよ。これは星だけの特権だから」
守兄が笑いながら太陽をたしなめた。
――え? 私だけの特権って、なにそれ。
心臓がドキドキうるさくて、顔が近すぎて、息が乱れそう。
守兄は優しく微笑むと、私を抱いたまま歩き出した。
人の波をすり抜け、屋台の通りを離れていく。
数歩進むごとに、にぎやかな喧騒が遠ざかり、夜の静けさが近づいてくる。
ぽつり、ぽつりと続く提灯の明かりの下。
私は彼の腕の中で揺られながら、まっすぐ前を見据えて歩くその横顔を見つめていた。
辿り着いたのは、神社の拝殿。
少し奥まったその一角は、人影もまばらで、空気がひんやりとしている。
風がそっと木々の葉を揺らし、提灯の灯りが柔らかく揺れた。
守兄は、先ほどから何も言わない。
そのまま私をそっと下ろし、石段へ座らせる。
「ここで少し休もう」
やわらかく微笑む守兄。
その笑顔に、私はどこか夢心地でぼんやり見惚れていた。
あとからやってきた太陽が、私の隣に腰を下ろす。
守兄は袖口から絆創膏を取り出し、私の前にしゃがみ込んだ。
「ちょっと、失礼」
そう言って、私の足にそっと手を添える。
指先が触れた瞬間、ぞくりと背筋が震え、頬がじわっと熱を帯びた。
守兄は丁寧に下駄を脱がせ、痛めた部分にそっと絆創膏を貼ってくれる。
その仕草があまりにも優しくて、
大切にされるって、こういうことなんだと思った。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
上目遣いでにこりと笑われ、また心臓が悲鳴をあげる。
視線が落ち着かず、くるくるとあちこち泳いだ。
「姉ちゃん、よかったね」
太陽が無邪気に声をかけてくる。
「う、うん」
ぎこちない返事をしながら、機械仕掛けの人形みたいにカクカクと頷く。
そして、もう一度守兄へ視線を戻す。
その瞬間、じっとこちらを見つめていた彼と目が合った。
「な、なに?」
慌てて問いかけると、守兄はゆっくりと首を振った。
「何でもない。……綺麗だなって思って」
まだ片膝をついたまま、私を見上げる姿勢でそう言う。
「ごめん、何言ってるんだろう。星はまだ子どもなのに」
視線をわずかに揺らす守兄。
その頬は、ほんのりと赤かった。
「星も、もう十歳なんだね。
これから、もっと綺麗になっていくんだろうな。楽しみだ」
にこりと微笑まれ、もうどうしていいかわからない。
ただ、ドギマギするばかり。
守兄はゆっくり立ち上がると、私の隣へ腰を下ろした。
ちょうどそのとき、夜空に花火が打ち上がる。
ドーンという大きな音とともに、漆黒の空に大輪の花が咲いた。
ここからだと、花火がとてもよく見える。
色とりどりの光が夜空いっぱいに絵を描き、次々と形を変えては消えていく。
私は目を細め、夢中でその光景を追った。
「わあ、綺麗……」
思わず声がもれる。
「綺麗だねー」
太陽も嬉しそうにはしゃぐ。
そっと隣を見ると、守兄も静かに花火を見上げていた。
その横顔があまりに格好良くて、胸がきゅっとなる。
ふいに守兄がこちらを見て、バチッと視線が重なった。
心臓が跳ね、私は慌てて目を逸らす。
「どうした?」
優しい声が降ってくる。
でも、恥ずかしくて顔を向けられない。
「な、なんでもない。は、花火綺麗だね」
必死に言葉を探す私に、
「……ああ、そうだね」
守兄は短く答え、再び花火へ視線を戻した。
私はまた、こっそりと横顔を盗み見る。
はあ、格好いい。
心臓はさっきからずっと鳴りっぱなしだ。
これって、恋?
まだ恋をしたことがないから分からない。
でも、守兄に触れられると、見つめられると、冷静でいられなくなる。
ドキドキして、彼のことばかり気になる。
視線が外せないのに、目が合うと慌てて逸らしてしまう。
ずっと一緒にいたい。離れたくない。
――やっぱり私、守兄に恋をしてるんだ。
その夜、私の中で守兄は「大好きなお兄ちゃん」から
「大好きな人」へと変わったのだった。


