溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

 エントランスを出て外へ出ると、すぐそばに一台の車が停まっていた。

 艶やかな黒のボディに、スモークのかかった窓。
 落ち着いた存在感を放つ、やや高級な乗用車だ。

 ためらいがちにドアを開け、後部座席に乗り込む。
 運転席の女性に声をかけた。

「いつもすみません、小森(こもり)さん」

 軽く会釈すると、彼女はルームミラー越しに私を見て、にこりと笑った。

「いいえ、これも私の仕事だから」

 彼女は、あきらのマネージャー。
 落ち着いた大人の女性で、色気のある美人。私とは、正反対のタイプ。

 艶やかな真っ赤な唇が吊り上がるだけで、胸が高鳴る。
 これが色気ってやつか。

 喉から手が出るほど欲しいもの。

「それじゃあ、家まで送るわね」

 その言葉と同時に、車は静かに動き出した。


 少し走ると、煌びやかなネオンが灯る街並みが見えてくる。

 ふと窓の外に目をやると、
 大きく飾られたアキラのポスターや、巨大モニターに映る彼の姿。

 見るたび、胸がざわつく。
 そして思い知らされる。

 私の彼氏は、アイドルなのだと。

 別れ際の、あきらの表情が頭をよぎる。
 あの切なげな眼差し。
 いつも私の心を捉えて離さない、あきらという存在。

 ああ、また会いたい。
 別れたばかりなのに。

 ふぅ、と短い息がもれた。

 それにしても……今日の彼は少し大胆だった。
 いつもより、激しく求めてきた気がする。

 思い出してしまい、かあっと顔が火照る。

 私ったら、何考えてるのよ。

 そう、私たちはまだそういう関係じゃない。
 一線は超えていない。

 彼の家には何度も出入りしているし、夜に二人きりになることも多い。
 けれど、まだ体の関係にはなっていなかった。

 もちろん、彼への愛しさはある。
 触れてほしいと思うし、キスもしたい。
 たまに抱き合って、止まらなくなりそうになることだってある。
 このままって、思ってしまう。

 でも、先に進みそうになると、あきらは必ず途中でやめてくれた。

 彼の本当の真意はわからない。
 でも……アイドルだから、という事情もあるのかもしれない。

 超売れっ子アイドルが、間違いを犯すわけにはいかない。
 そうやって自分を律しているのかも。

 あきらは優しい人だ。
 もしかしたら、私への思いやりなのかもしれない。
 少しでも嫌がる素振りを見せれば、すぐにやめてくれる。

 無意識に緊張してしまう私を見て、それで我慢しているのかもしれない。

 とにかく、いつも私のことを想ってくれる。
 そんな彼が愛おしい。

 私は、別にいいのにな……なんて思ってみたり。

 でも、今日の彼はどこか様子が違った。
 大丈夫かな。

 考えにふけっていると、小森さんが声をかけてきた。

「今日、あきら変だった?」

 その言葉に目を見開く。
 なんで知ってるの?

 驚きつつ、こくりと頷いた。

「……はい。なんだか、いつもと違ったような」

 眉をひそめて答えると、彼女がふふっと笑う。

「あの子、ちょっと大変だったのよ。ずっとやりたかった役を下ろされたの」

「え?」

 それは初耳だった。
 まあ、今日の出来事なら知らなくても当然だけど。

 あきらは何も言っていなかった。

「ライバルのアイドルに横取りされたって感じかしら。
 相当落ち込んでいたわ、可哀そうに」

 小森さんの表情が、ふっと暗くなる。
 きっと彼女も苦しかったんだ。
 あきらのことを、大切に思っているから。

 しばし沈黙が落ちたあと、彼女が問う。

「あら? あなたには何も言わなかったの?」

 どこか勝ち誇ったような笑みが、ミラー越しに見えた。

「ええ、まあ」

 そう答えるしかなかった。
 本当に聞いていないから。

 心の奥底で、ほんのりと悔しさが込み上げる。

 知らなかった。
 あきらは、私に言ってはくれなかった。

 でも、これで納得がいった。だからいつもと違ったんだ。

 だったら、もっと優しくしてあげればよかった。
 あきらは、きっと誰かに甘えたかったのかもしれない。

 黙り込んだ私に、再び彼女が声をかける。

「あなたが落ち込まなくても大丈夫よ。私がついてるから。ケアは任せて」

 小森さんが、にこりと妖艶に微笑む。
 胸がざわついた。

 小森麗(れい)。あきらのマネージャー。

 彼の側にいつも寄り添っている、大人の女性。確か二十五歳。
 色っぽくて、美しくて、仕事もできる。
 まさに完璧な女性。

 そんな人が四六時中、彼と一緒だと思うと……落ち着かない。

 続けざまに、少しきつい口調で彼女は言った。

「それと、前から言ってるけど。
 彼女なんだから、会うなとは言わないわ。けど、あきらにとってマイナスになるようなことはしないで」

 それはいつも聞かされる、おなじみの言葉だった。
 耳にタコができそう。

 そんなこと、言われなくてもわかってる。

 小森さんがあきれたようにため息を吐く。

「できれば、会うのも控えてほしいくらいよ。もし週刊誌にでも撮られたら……」

 彼女は顔をしかめる。
 それは心配というより、嫌悪に近い表情だった。
 私があきらの傍にいることを、よく思っていない。

 もちろん、周りの目には十分注意しているつもりだ。
 あきらを困らせることなんてしたくない。

 彼の仕事を応援している。
 夢を壊したくないし、邪魔になりたくない。

 私はミラー越しに小森さんをまっすぐ見据えた。

「わかっています」

 はっきり告げる。
 私の視線と、彼女の視線がぶつかり合った。

「あら、そう? ならいいんだけど」

 小森さんはふふっと笑う。
 それが決して友好的な笑みではないことくらい、私にもわかる。

 そう、このマネージャーは私たちを別れさせたいのだ。