レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜

「今日までありがとう。とっても楽しかったわ。それに色々とアドバイスも……。また会いましょう」

 夏の終わりはなんて物悲しさに包まれているのか。長かった夏休みも残り4日。非常に名残惜しいが、サイドハウス・ノアから王都へと帰る日だ。

 つまりここでポーラとはお別れである。長く会っていなかった期間の方が長いにも関わらず、急に寂しくなって顔を伏せるアナベルに、ポーラは優しく背中を撫でた。いつもの饒舌も、この瞬間は鳴りを潜めている。

「これからはいつでもお会いできるのですから。その時は是非競いましょう」

「ふふっ。そうね。そうよね」

 そうだ。もう二度と会えない訳ではない。石投げの勝負も負けたままではいられない。今回はまた、がある。
 にこりと笑うアナベルに、ポーラは満面の笑顔を咲かせる。
 荷物を積み終えた大きな借馬車も合わせて五台。それでも足らないため何人かは事前に王都へと戻っており、また残った何人かは明日から順番にキャンベル家中央区屋敷へと戻る。
 アナベルとイーサン、侯爵夫妻、そして馬車で戻る本邸勤めの使用人たちは、サイドハウス・ノアを出た。
 ポーラ、また明日から帰る使用人たちは手を振り見送る。

「またのお帰りをお待ちしてますよぉ! 次は雪合戦でもしましょぉ!」

「えぇ! 望むところだわ!」

 馬車の中も、見送る使用人の中にもどっと笑いが起こる。また次に会うまでに、作戦と練習をしなければならないとアナベルは遠ざかる屋敷を眺めながら心に決めた。まずバーンズ家屋敷に練習場を作らなければならない。
 彼女たちの姿が見えなくなると、ようやくアナベルは馬車内へと戻る。

「またすぐに会えるわ。今度は私も混ぜてもらうわね!」

 一つ歳を取っても依然として溌剌と、いやいっそ若さを取り戻した豪快なレティシアの笑顔に、アナベルも笑顔で返す。隣に座る夫の瞳と同じ色の宝石のブローチが輝いている。

「……もう夏休みも終わりか」

 ポツリと呟いたイーサンは、明らかに憂いている。学園生活は面白いが、アナベルと離れなければならない。毎日好きな人と過ごせる日々に慣れた彼には離れがたい。適度な距離を気をつけて来た紳士の中の紳士としては珍しく、アナベルの隣に座りぴったりと身を寄せている。

 寂しがりやか。

 両親からの微妙な目線を素知らぬ顔で、イーサンは無視を決め込んでいる。
 アナベルはつん、と頬をつつくと、イーサンは頬を膨らませた。
 婚約してから、あらゆる彼の姿を見てきたが、あまりの変わりっぷりに流石のアナベルも苦笑を漏らす。
 あらゆる人々が一目おく、冷静沈着なイーサン・キャンベルはどこにいったのやら。

「だって……きみの側にいられなくなる」

 まるで幼い子供のようにいじける婚約者に、アナベルは可笑しさを感じた。夫妻も苦笑している。何より今日まで毎日のように一緒にいたというのに、こんなにも残念に感じている。

「とは言っても同じ学園に通って、毎日顔を合わすのよ?学年が上がるし勉学により励まないと。まずは新入生歓迎会に力を入れなきゃ!」

 学園に所属している二人は明後日から生徒会員として入学式の準備がある。最高学年になるのだ。クラス替えがあり、新しい後輩を迎え、想像もしない日々が待っている。
 あと少しで迎える新年度に、アナベルは身が引き締まる。
 夏にゆったり過ごせた分、これからの生活への活力も漲っていた。勉学や生徒会活動、妹たちや友人たちと遊ぶことなど、やることはたくさんある。夏休みは周囲に気を使わせ、自由にさせてもらった。そのお返しをしたいし、約束は叶えるつもりだった。
 夏休みは気を使わせ、自由にさせてもらったのだ。そのお返しをしたいし、約束は叶えるつもりだ。
 イーサンの顔が少し青ざめた。このままではあっという間にアナベルの予定が埋まってしまう。

「次の休みは? 一緒に過ごさないかい?」

「次の休みは、レティシア様と買い物よ」

(いつの間に!)

 イーサンがレティシアを見れば、彼女は優雅な笑顔を浮かべている。またその次の週はどうかと聞けば、部屋の模様替えのためにインテリアデザイナーの元に向かう予定だと断られる。成すすべもなく断られるのは痛い。しかし、やりたいことがあるのはいいことだ。アナベルが自分のことで活動的に動いている。

「イーサン諦めなさい。しつこすぎるのはお互いに毒よ」

「ですね……」

 イーサンは嬉しさと寂しさ半分で、ふにゃりと笑う。
 ふと、イーサンの祖父、ヴィクトルが言ったことを思い出した。

『ふわふわなひ孫だが、これからよろしくね』

(これがふわふわしてるってこと?)

 面倒臭さが優った婚約者に、アナベルは新しい提案をする。イーサンと、もっと一緒に時間を過ごしたいのも本心だ。

「イーサン。学園が始まったら早く帰れる日があるじゃない? その時に本を買いに街へ出かけようと思っているの。付き合ってくれる? 選ばないジャンルも読んでみたくて…」

「もちろんだとも!」

 食いつく勢いは元気で、それはもう華麗に笑顔を取り戻した。輝いているようだ。
デービッドは目を細める。

「確かに夏も終わるが、まだランチもあるからね」

 別の馬車に乗っている彼らが朝早くから用意してくれた食事が待っている。彼らが何を用意してくれたのか気になるところだ。今頃少し休んでいるか、話に花を咲かせているのだろうか。

「屋敷に戻るまでがバカンスよ。最後まで楽しむわよぉ!」

 そう。帰るまでがバカンスだ。ただいまと言うまで、さらには時計の針が0時を指すまで。
 談笑する人々を乗せて、馬車は定期的に御者を交代して道を進んでいく。
 この夏は濃い日々だった。笑って、驚いて、悩んで、泣いて、絶望して。2度と忘れない。持って帰ってきた思い出がいずれ色褪せようと、何度も思い出すに違いない。
 そして、これからの日々も。

 刻々と刻まれる時間が、とてもとても大切に思えてくる。過ぎ去るだけでない。1秒に自分が刻まれていく。いつかはそれを重く感じる時もあるだろうが、今はどれも宝物でしかない。宝物の1部は思い出せば胸が痛む。治すに治せない可能性がある。なのに、不思議なもので。それも今は大丈夫だと思える。向き合い方を、何より弱くても良いことが分かったから。

「それにしてもなんて良い天気なのかしら」

「そうだね。気持ちのいい日だ」

 アナベルの胸元、そして二人の指で石たちが陽の光でキラリと光った。
 その輝きには、何か喜ばしいものを感じた。