レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜

「いやぁ、いやぁ。いいよるだ。まったく、すばらしいねぇ」

 数年前に亡くなった妻にこの光景を見せてやりたい、とイーサンの曽祖父・ヴィクトルは美味しいワインとアラカルトでさらに陽気な表情を緩めていた。
 その隣で歌う、イレール──イーサンの祖父で、一族で最も話好き──も、同様に上機嫌であった。長年片思いを燻らせていたイーサンが、初恋の相手と婚約を果たしただけでなく、お互いきちんと想い合っているのだ。深度は違えど、無事に結ばれたことは嬉しい。加えて周囲も好意的に受け入れて祝福してくれている。
 幸せの相乗に、喜ばないわけがない。浮かれて騒ぐのが正解だ。

「お二人とも、まだそんなにはしゃぎ過ぎないでください」

 今日何度目かの乾杯を交わすす父と祖父に、デービッドは厳しい目を向ける。イーサンとアナベルを間近に見てきているデービッドとしては、はしゃぎすぎて欲しく無いのだ。若者たちの仲は日進月歩で、周囲が騒げばその分、アナベルが気負う恐れがある。それはイーサンの本意ではない。
 しかし注意を聞こうとしないイレールたちの様子に、デービッドの横で話を聞いていたノエが苦笑する。

「あのこたちなら、支えてくれる私たちに、バーンズご家族、友達だっているんだ。だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 ヴィクトルは会場を大げさに見渡して見せた。実に喜びに溢れ、親愛が示されている。それが証明されているじゃないかと、デービッドに自信満々に笑う。
 かつては唯一の外出が保養地区内に留まっていたほど病弱な子供だったが、今は父親であるデービッドの背をも追い越し、学校に通い、使用人や友人らと一日町を遊び歩ける立派な男性に育った。
 これからも、成長していくに違いない。最愛の女性ともに。

「そうだ、そうだ!一番わかってるくせに。なぁノエ」

 顔を赤くして酔いが回っているイレール。アルコールの香りが混じる父に、デービッドはため息をついた。一旦ワインを取り上げた方がいいか。
 すると彼よりも先に、咎める者の声がした。表の入り口ではなく裏から現れたのは、イーサンよりも少しばかり低い背丈の青年だ。

「あまり飲みすぎれば体に触るぞ。イレール・キャンベル」

「これはアレクサンドル王子。ようこそいらっしゃいました」

 白いタキシードに身を包み、その下には引き締まった健康的な体格を持っていると伺える。少しばかり幼さが残るも、隈の浮かぶ鋭い目元としっかりと結ばれた口元はその厳格さと真面目さを物語っている。彼はアナベルたちが通う学園の卒業生で、先輩でもあった、この国の王子だ。在学中生徒会長でもあった彼は、アナベルたちとも深く関わりがあったために、来るかは分からないが今夜のパーティーに招待状を送っていたのだ。
 デービッドらは彼に頭を下げる。
 王子の登場に気づいた夜会招待客がざわりと湧き立つ。

「今夜の主役はアナベルとイーサンだ。私のことは気にしなくていい。無礼講だ」

「……では、気楽にさせていただきましょう」

 メイドがデービッドに白ぶどうのジュースの入ったグラスを渡す。くるりとかき混ぜ、口に含んだ。そしてそれを王子に渡す。「ありがとう」と、渡されたそれでアレクサンドルは喉の渇きを潤した。

「さてあの子たちは今……あー、先ほどまでいたんですがね」

 主役の姿が見えない。先ほどまで二人と一緒にいたノエに目線を移せば、彼は肩をすくめた。

「構わない。どうせ後で会うからな。先にあちらこちら挨拶して回ることにする。まず、この度はご子息のご婚約おめでとう」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げたデービッドが頭を上げると、未来を背負う次期国王の表情は含みを持って笑う顔があった。

「まさか、だったな。まったく。生徒会でも付き合いがあるからある程度人となりはわかっていると思っていたが、いつまでも読めない奴だ」

「以前申し上げたでしょう? 人は簡単には図れないと」

 王子の脳裏に、かつての会話が思い出される。今よりももっと幼い頃、王家の内情が荒れていた時期にこの男にあることを問うた、その思い出。ふ、と王子の口が大きく弧を描いた。見る者によっては魔王がごとく迫力があるが、慣れているキャンベル家には、彼がようやく気を抜いたのだなと思うだけだ。 

「肝に銘じておく。さて、バーンズ伯爵夫妻は」

「あちらですわ、アレクサンドル王子。レティシアもおります。呼んで参りますよ」

 方向を示したのは、イーサンの祖母・ローラだ。舞踏室の入り口に近い、ここからは遠い場所で談笑している。招待客と話に盛り上がっているようで、王子の来訪にまだ気づいていない。

「私の方から向かう。ありがとう。それでは失礼する」

 アレクサンドルは丁寧に頭を下げると、ゆったりとした足取りで向かっていく。
 王子の来訪に、人が勝手に場所を譲り勝手に道ができてゆく。皆が浮かれている中、一人しっかり背を伸ばして歩く王子にイレールは感心しながらも若干の呆れを滲ませた。

「相変わらずだな。来年ご結婚だというのに……こっちの幸せ成分分けてくるか?」

「やめてください。イーサンに災難が降りかかりますから」

「余計なお節介だと思いますよ」

 すかさず息子とその悪友に止められて、不服そうに彼は唇を尖らせた。流石に飲み過ぎだと、最愛の妻にグラスを取り上げられたイレールは、ジュースを嗜むことになったのであった。

「ふふん! ジュースとて料理人たちのおかげで美酒にも勝る! ほら、かんぱーい、めでたーい」

「かんぱぁい!」

 彼らの様子に笑いが起こる。アルコールが抜けたとて、浮かれ騒ぐ喜びは一向に冷めそうにない。
 まあ。幸せならばいいものだ。
 だって今宵は喜びの宴。幸せに浸かるが本懐である。



 さて。
 バルコニーから会場に戻ったアナベルとイーサン。アナベルからの告白で、ますます顔が赤くなったイーサンは、何があったのかとさらに揶揄されながら、招待客を持てなし、時間を楽しむ。皆の興味を満たさんと、今夜ばかりは無理をしてでも徹夜の覚悟だ。アナベルとの話を聞かせてと引っ張りだこであったが、アレクサンドルとも無事に合流した。

「……あの人のせいで迷惑をかけたと聞いている。本当に申し訳ないことをした」

 王城は広いが、想像よりもはい。箝口令が敷かれても、人の口に戸は立てられないのが現実だ。アレクサンドルは、後輩たちの人生を変えてしまうような不埒な手助けを父親がしたことを知っていた。今夜はそれを謝罪しに来たのだ。

「気にしておりません、といえば嘘ですが、おかげで大切なことにも気づけました。こうして…私はここにいるのですから。それこそが大切なことです」

「……貴女はまた一段と逞しくなったな」

 アレクサンドルの言葉に、アナベルは目を丸くする。そう思ったことなどないが、夏の間に色んな事があった。逞しくなっても当たり前か、と、アナベルの唇は大きく弧を描いた。
 夏以前ならば神妙な顔つきを浮かべたに違いなく、力強く不敵に笑ってみせるなどしなかった。アナベルの変化に、アレクサンドルは目を見開いた。
 夏の間に、アナベルに変化が訪れた。そのきっかけか、原因になった隣に立つ細身の後輩に目を移す。ニコニコと笑みを浮かべ、酔っていないのに頬は赤い。その姿はワインと上機嫌に酔う彼の祖父の姿と重なった。深くはないが、アレクサンドルとイーサンも幼少期から知り合いだ。ある程度の人となりは掴んでいると自負していたが、長年熱い想いを抱いていたなど、学園での付き合いがあっても微塵も思わせなかった。
 卒業後、秘書よりアナベルと婚約したと話を聞いた時、彼もまたキャンベルの家の者なのだと痛感させられ、笑いが漏れるのを抑えられなかった。

「いつかはお前の本性を見たいものだな」

「? いつでもイーサン・キャンベルはイーサン・キャンベルですよ」

 イーサンの返答に不服そうに唇を尖らせた王子を、彼の幼馴染であるエズメが可笑しそうに強めに背を叩く。それにエズメの婚約者がヒヤリ肝を冷やしたのは、彼だけの秘密だ。
 イーサンとアナベルはお互いの顔を見合わせ、首をかしげるばかりである。





 なんでもいいのさ。
 溺れ、踊り明かそうじゃないか。
 疲れて泥のように眠り寝坊しようとも。
 美味しい食事で明日からのウェスト周りを機にしようとも。
 翌日、話しすぎで喉を痛めようとも。

 それでいい。いいじゃないか。

 だって今宵は喜びの宴。幸せに浸かるが本懐である。





 しかし世は無情。楽しい時間ほど、朝見る夢がごとくあっという間に過ぎていく。
 十七時から始まった夜会も、終わりを迎える。
 一時を告げる時計の音が鳴り響くと、夜会はお開きとなった。
 サイドハウス・ノアの夜会。
 夏を騒がせた一家とその家族が開いた催しは、参加した全ての人々に暖かな光を灯して、幕を下ろした。

✴︎

 静かに幕は下りた、かと思えば。そんなことはない。夜会翌日だって、サイドハウス・ノアは大騒ぎだ。届いた朝刊の一面が、夜会でのアナベルとイーサンで独占されていたからだ。

──夏の夜に、翠に染まる令嬢。女神の輝きで、夜だけでなく人々の心をも照らす。

 大見出しの情緒的な文言に、実に仲良く並ぶ2人の姿が収められた写真が大きく載っていた。わざわざ開かなくても、受けとってすぐに目に入る場所に取り上げられていたために嫌でも目に入った。配達人から新聞を受け取ったフットマンが、その紙面と見出し分に驚きのあまりその場で固まってしまう。あんぐり口を開けて動けなくなった仲間の手元を覗き、その衝撃は屋敷を巡る。
 熱に浮かれる仲間の中で、ナルシスは冷静に指示を出す。任されたローガンは、サイドハウスノアで取っていない新聞社の朝刊を求め街へと馬に乗って繰り出した。数十分後、手に入れた他朝刊を確認すれば、全て同じ話題を取り上げていた。
 見よ! 我らが未来の主人たちが、国中で認められたぞ! これはなんと良い知らせか。今日という日に、格別ふさわしい喜びだ。全てにしっかりアイロンを掛け、シワを伸ばされた新聞は、それらは銀のお盆に乗せられ、今日朝一番に目覚める彼女へと贈られた。
 本来なら屋敷主人であるデービッドの元へ、またはアナベルかイーサンに渡されるそれらだが、今日は彼らの「最愛の人の喜び」を最優先したのだ。

「なんてこと! なんてこと! なんて素敵なプレゼントでしょう! これがまさに祝福よ! 天国にも地獄にも祝われているのだわ!」

 それは朝早くに起きたレティシアの元へ。
 眠気など彼方へと吹き飛び、顔を輝かせて彼女は喜び舞う。そのまま夫の元へと飛び込んだ。
 妻の温もりが離れ、うっすらと意識を浮上させていたデービッドは「目を覚ますか」と思った矢先。勢いよくレティシアに起こされ、彼は驚きで飛び起きた。
 見れば頬をリンゴのように染めて、レティシアは新聞を広げている。興奮止まぬ様子だ。彼女から新聞を受け取り、目を通したデービッドに優しい笑みが浮かぶ。

「これは良い贈り物だね」

「えぇえぇ! それにこの新聞! 見てここの箇所! 私たちの写真もあるのよ。皆さまのも! 素晴らしいわ、夢みたいだわ」

 新聞には、夜会を楽しむ自分たちの写真が掲載されていた。カメラマンの腕は見事で、皆の幸せをそのままに写し取っている。
 記事を読めば、実に気持ちの良いものだ。アナベルとイーサンの仲の良さ、両家族が認め合う婚約、夜会参加者は全てこの婚約は素晴らしいものだと認めている、など。世間の印象を、キャンベル家とバーンズ家の良い方へ向かわせる内容だ。
ふとデービッドの脳裏に、王都にいる、かの人や他権力者の顔が浮かんだ。彼らにはあまり良い印象を与えないだろうが、この記者とてキャンベル家が些細なことを気にしないことを分かっているが故の記事に違いない。
 今更こんなことで目くじらをかけないでしょう? 何かあっても、貴方たちはやるじゃないですか。
 なんて、新聞社の意見すら感じられる。事実、長年キャンベル家が他貴族と色んな意味で一線を画した存在であることは、子供も知る常識だ。

「けど良いのかしらね。こんなに取り上げてもらっちゃって」

「良いよ。皆が祝ってくださる、今日はそれに浸ろうじゃないか」

 何かあったら、あったらだ。幸せを壊そうとする無粋者には、それこそ目に物見せてやる。夫の言い分に、新聞に顔を隠し伺っていたレティシアはニヤリと笑った。無邪気な姿に、デービッドの目元も緩む。化け物と言われる彼のこんな姿を引き出すのも、彼女の他にはいない。

「ソフィア! ソフィア! 額縁を作りましょう? 飾らなきゃだわ!」

「手配済みでございます。明日お越しになりますよ」

「さすがねぇ! ねぇあなた!」

 夫妻の寝室はそれぞれ、デービッドの個室、レティシアの個室とつながっている。レティシアの部屋側の扉が大きく開かれ、そこにはソフィアが立ち控えている。彼女の背後には使用人たちが並び、それぞれ銀盆を携えている。ソフィアはデービッドに一つしっかりと頷いてみせた。新聞一式は家族全員分用意している。さらには丸ごと保存用、切り抜き保存用、観賞用とそれぞれ用意している、と伝える合図。優れ過ぎている使用人たちだ。
 全く、本当に。彼女たちの配慮や忠誠、仕事への意欲おかげで、我々も成り立っているのだと、強く思う。ありがたい話である。本当に。


 おかげで今日をより素晴らしいものへと昇華した。腕の中の輝きがその証拠である。ニコニコニコニコ。デービッドは、笑顔の止まらぬ愛おしい人の額に軽い口付けと、贈りたかった言葉を送る。

「お誕生日おめでとう、レティシア」

「お誕生日おめでとうございます、レティシア様」

 最愛の伴侶の言葉に続き、長年連れ添った侍女も、そして後ろに控えていた使用人たちも祝いの言葉を送る。

「ありがとうデービッド! ありがとうみんな!」

 レティシアはより一層笑顔をほころばせた。



 そう、まだまだ祭りは続くのだ。
 今日は何を隠そう、いや隠す必要もない。
 待ちに待ったレティシアの誕生日である。