レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜

 イーサンは自身が不在の間、祖父たちがアナベルの家族に恥ずかしい何かを聞かせるのではないか、と考えるだけでも恐ろしかったが、珍しく急を要している友人の頼みは断る理由がない。
 何より自分たちのことだ。馬車で工房入口に近い大通りまで向かい、そこからはのんびりと歩きながら、届いた手紙について話す。

「九割完成であと一割、私たちに仕上げを手伝って欲しいって話よね」

「みたいだ。加工作業があるから、夜でもいいから今日工房に来て欲しいって。いつも完成形で渡してくるのに。慎重になってるのかな」

 立派な顎髭がある彼の顔が浮かぶ。大きな手であったが、非常に器用にものを作る長い友人。幼い頃1枚の巨大な紙で連なった千羽鶴をつくってくれたと、イーサンは懐かしさに目を細めた。健康体になってから『ずっと残すのは病魔を呼ぶ』と、それは炊き上げてしまったが、小さな鶴が連なり並ぶ様は非常に見事であった。
その話に、アナベルはますます期待が高まる。

「とても素敵なものができているのでしょうね」

「ああ、うんと素晴らしいものが出来上がっているよ」

「すごく楽しみだわ」

 アナベルとイーサンの名前を呼ぶ声が聞こえた。前を向けば、体躯のよい職人の1人が手を振っている。親方をすぐ呼ぶと、妙にテンションの高い彼は建物の中に消えていく。
 いつのも足取りで、受付場にある椅子に座る。なんだか工房の隅々から高い気配を感じ、二人は少しずつ気が浮かび、ソワソワしながらボンドの来訪を待った。
 大きな足音が聞こえてきたと思えば、勢いよく目の前に巨石が転がり込んできた。ボンドである。彼はまず急に呼び出したことを謝る。息を整えるのも惜しみ、彼は手袋をはめ、慎重に丁寧に雅な装飾が施された二つの箱を並べ、開いた。
 一つはスケッチブックと相談を重ねた、大きさの違うシルバーのリング。もちろんアナベルとイーサンの婚約指輪だ。試作品からさらに調節され、ため息が漏れるほど美しい。ただそれぞれまだ足りない。何も嵌められていない窪みは、主人の不在で空っぽな王座のよう。

「そう、呼び出したのは最後の宝石選びさよ」

 もう一つの箱には、色も形も、きらめきも違う豊富な宝石が、クッションの上に並んでいる。有名なものから、希少なものまで。
 その中で、一際目を奪われた宝石があった。バイカラーの宝石だ。スカイブルーからライトグリーンにグラデーションしている。

「お、いいだろ。エメラルドなんだな、これが」

 なんと! 二人は目を大きく開き、珍しい宝石から目を離せない。二色の宝石はサファイヤやトルマリンが有名だ。緑の色が美しい宝石が、青の色も持ったものは見たことがない。

「これは……どうやって」

「ふふん。前にな、ツテというツテを巡り回って、出会ったんだ」

 それ以上、工房の主は語らない。実はこの美しく珍しい、バイカラーのエメラルドは、友人への恩と彼らへの幸せを願う者たちが協力し合い、工房までやって来た。
 ボンドは心にかつての友人の姿を思い描く。いや、この宝石探しに協力した全ての者たちが浮かんでいるだろう。哀れなほど弱い存在だった彼、その出会いをきっかけに切り開かれた未来、運ばれて来た幸福の数々を。少しでも彼からもらった幸せを、返したかったのだ。その事実は、彼らは知らなくて良いこと。だって勝手にやっただけで、何より思いはこの宝石に託した。語ることなど野暮というもの。
だから特に伝えない。必要もない。

 顔を見合わせ笑う、アナベルとイーサン。宝石と同じ色の瞳がお互いを映し、その瞳は輝いている。

「この宝石以外考えられないよ」

 その答えにボンドは一層優しく微笑んだ。
 選ばれた宝石を加工する。彼の大きな手は器用に小さく砕かれ、削られ、瞬く間に宝石は指輪と一つになった。

「一生出会えないほどの宝物をありがとうございます」

「なぁに、俺だけじゃ作れなかった代物さ。何よりそのデザイン、宝石、そして造り手に俺をお前さんたちが選んだんだからな」

 ケースに入った婚約指輪を受け取った二人は、大事に胸に抱く。

「おめでとう。自分ごとのように嬉しいよ。また遊びにきとくれ」

「当たり前じゃないか。明日の夜会にも付けて参加する」

「そうね。本当にありがとうございます。明日お会いできるのを楽しみにしています」

 仲むずましい様子に、ボンドたちは照れ臭そうに頬を掻いた。全く、今から夜会が楽しみだ。
 工房の皆に見送られ、アナベルとイーサンは宝物と共にノアに帰宅した。



 出迎えたアイザックとソフィアから、家族は皆中庭のテラスにいることを知った。アナベルとイーサンは足取り軽く、彼らの元へと向かう。
 テラスは大変面白い様相であった。遊びに興じるもの、音楽に耳を澄ませるもの、談笑するもの、景色を楽しむもの。
イーサンの祖父らに遊んでもらい、きゃあきゃあと楽しそうな声をあげる妹たちの声に、二人の顔はさらに緩んだ。
 イーサンとアナベルに気づいたデービッドが手を挙げる。帰ってきた2人を、皆で迎えた。

「宝物を得たようだね。顔を見ていれば分かるよ」

 大切にアナベルの胸の中に抱かれる、指輪ケース。幸せを呼んだそれらの姿は、一体どうだ。家族の興味はそそられる、が。

「タイミングも大事よね。明日の夜会の前はいかが?ドレス姿での披露。滅多にない、いい思い出になるわ」

「それは良いわね」

 家族へのお披露目も決まった。指輪は厳重に保管することになり、アナベルの部屋の金庫に仕舞われた。


 外は陽が大地に近づき、伸びる影も闇と交わる。のんびりとガーデンチェアに座っていたイーサンは立ち上がると、徐に手を差し出した。アナベルがイーサンの手を取ると、彼はゆっくりと踊り場に導く。
 蓄音機から流れる曲と、動きに合わせて2人はステップを踏む。
 くるくる ひらひら。
 空に紺色の幕が下がり、今日という日が終わる境目の時間。少し残るオレンジ色の光が、二人を照らす。妹たちやイーサンのいとこたちも加わり、踊る。
 楽しそうな声が聞こえてくる。子供達の楽しそうな姿を、大人達は嬉しそうに見つめ続けた。


 料理人たちが腕を鳴らし、力を合わせて用意した、極上な夕食を楽しんだ後のこと。
 チャーリーが神妙な顔で、今後ヘンリーの捜索に力を入れていくという話を切り出すと、キャンベル家側からはあっけらかんと受け入れられた。

「我々も彼に聞きたいことがあるからね。今度こそ捕まえよう」

 キャンベル家とバーンズ家。そして両家の親戚も加わった、追いかけっこも始まった。





 今日は本当に一日、大層賑やかであった。イーサンの父方の祖父、イレールは聞く側が真顔になる程話が好き。聞くのも話すのも。話題になる本人には恥ずかしくとも、彼によって家族の思い出は語られ、色んな面白い話が展開された。
 それでもまだまだまだ話し足らず、動こうとしないイレールは、彼の妻ローラに強引に襟を掴まれ、連れていかれてしまった。
 イレール劇場はこれにて閉幕。精神的負荷を追った子たちは明日の部屋へ撤退し、話を聞いていた大人組は別室でもう少し談話することにしたようだ。少しずつ部屋から人がいなくなる。
 イーサンは深く椅子に座り、天井を見上げて羞恥と疲労に悶えていた。

(すごく疲れた…)

 敬愛する祖父であるが、話が止まらなくなる癖は年々激しくなっている気がする。椅子にすわまったまま少しぼんやりしていると、隣にアナベルが立つ気配がした。顔を向ければ微笑む想い人と目が合う。移動があっても、彼女は疲れを見せず、余裕そうだ。

「話が長かったろう? 疲れてない?」

「いいえ。すっっごく楽しかったわ」

 心から楽しんだ笑顔に、イーサンの羞恥も少し和む。和むだけでなくならないが、この柔らかな笑顔を見れたのなら祖父たちには感謝だ。アナベルは屈むと、イーサンの耳にそっと耳打ちする。

「懐かしい貴方に会えて、嬉しかったわ」

 イーサンの祖父らの話では、笑い泣き、失敗もあり、拗ねて不貞腐れて不思議な縁を結び、家族を心底心配させて…それはもう、知る以上に人間臭い彼がいた。しかし思い返せば、そうであった。彼もよく倒れていたし、しょげて膝を抱えてもいた。
 それでもいつの間にか、体が弱くとも自分らしく前向きに、誰にでも公平で、大人の雰囲気を漂わせ、頼れる一人の男性に成長した。

「………少しでも、好きなこの前ではカッコつけたいものだろう?」

「ふふふ」

 少し拗ねてものを言う彼に、懐かしい少年の姿が重なる。アナベルはさらに笑みを深めた。

「けど、これからはありのままの貴方も見せてね。…どの貴方も、とても素敵なのだから」

 イーサンは顔を真っ赤に茹で上げた。お手上げだ。これが惚れた方が弱い、というやつだ。彼は顔を上げる。すると懐かしい、元気いっぱいに口角を上げる少女の姿が重なる。もう久しく見ていなかったような気がして、それでも彼女は精一杯前を向いて、忍耐強く、面倒見がよく、美しい女性へと成長した。イーサンの胸はいっぱいになる。

「それは君も同じだよ」

 あぁ。こんなにも。
 えぇ。こんなにも長い間、一緒にいても。

 分からないことはある。
 隠してしまっていることはある。

 いつか大きな喧嘩をするかもしれない。
 すれ違いで、憎んでしまうことがあるかもしれない。

 けれど。
 それでも。

 貴方となら、大丈夫。
 なんて思ってしまえるのは。

 多分長い間に培われてしまった。
 傲慢?なのかも。
 せめて信頼と呼びたいけれど。
 その答えはきっと、未来にしかない。

「明日が楽しみね」

「うん。明日が楽しみだ」





 だから今はやれることを。
 アナベルはレティシアを探しに出た。