レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜

『あれ、無い……。登城証』

 アナベルが姿を消した日まで話を戻そう。

 王の呼び出しに応じたイーサンは出発してからほどなくして、無くてはならないものを持っていない事に気がついた。
 それは登城証。
 手の甲サイズの丸く薄い石板で、家紋と名前が彫られている。登録者本人の血が使われており、本人でなければ施された魔術が発動しない仕組みになっている。
 屋敷に出る前にはきちんとナルシスらが用意し、胸ポケットにしまったそれが、何故かなくなっていた。何度触っても平らだ。両親にも、付き添いのナルシスにソフィア、さらには使者にも確認してもらっても、無い物は、無い。
 登城証が無い場合、複数部署の確認を通さないといけない。謁見は最低でも一時間は遅れてしまう。

『別に息子がいなくてもいいだろう。私たちがいれば問題ない。そちらだって、各部署に確認を通す面倒は省きたいだろう?』

 使者は抗議に眉をひそめたが、証がなければ面倒なのも事実。朝早くに起こされ、わざわざ馬車で迎えに来たのだ。だが今更戻るのも正直億劫。さてどうするか。

『良いさ。”イーサン・キャンベルは体調不良”。なにいつもの事だ』

 頭を悩ませる使者の中から、話を纏める者が現れた。
 イーサンが虚弱体質であったことも、昔体調が悪いのを無理して呼び出された際に倒れ、王家とキャンベル家の間で一悶着あったことをよく知る者だ。
 幽霊子息は無理して寄越さなくて良い。不名誉なお達しが浸透している。だから今回もいなくても、不審には思われない。そんな現場判断だ。

『だが、今日は屋敷からでないでくれよ。病人として扱えなくなる』

 病人(扱い)のため騎士の付き添いの元、イーサンはサイドハウス・ノアに戻ることになった。
 イーサンが屋敷に到着する手前、魔術をかけられたアナベルが門から出たタイミングが重なったのだ。
 誰もいないはずなのに、勝手に開く門。得体の知れない馬車は、誰かが乗り込んだのか不自然に動く。
イーサンは胸ポケットから物を取り出し、とっさに騎士に手渡す。

『あの馬車にこれを引っ掛けてください!』

 騎士も不自然な様子を感じ取り、イーサンから受け取ったものを躊躇なく馬車へと投げた。綺麗に挑戦に放たれたそれは、上手く引っかかった。
 そして馬車は走り出す。
 イーサンと騎士は走り去る馬車を横目に、敷地の中へ。状況の把握が先決だ。屋敷の中は優駿は使用人たちが慌てふためき、右往左往と混乱状態。帰宅したイーサンに気付き、使用人たちは叫ぶ。

『イーサンさま!』

『アナベルさまが、アナベルさまが消えたんです!』

『……! スーニー、クゥポランド! 外にある、私の気配を探れ!』

 イーサンに言われるまま、スーニーは鼻をひくつかせ、クゥポランドは気配を探す。早々と探知したメイドたちは、屋敷を飛び出した。

『今から駆ければ侯爵らに追いつくな。失礼だが失礼する』

『お願いします』

 侯爵家で起こった騒動に只事ではないと騎士は馬を走らせ、上官とデービッドらに知らせに向かった。
 しばらくすれば、アナベルを乗せた馬車が古屋敷にたどり着いたと、サイドハウス・ノアに戻ったスーニーから知らせを受けた。地図で場所を確認すれば、元伯爵家であり、脱税が暴かれ没落した旧ラドン邸。
 精霊化したクゥポランドが引き続き屋敷の探索を行ない、戻ったのは日も暮れた夜。早急なアナベルの救出は難しいと断言した。
 ガタイの良い怪しげな男たちに、魔術も施されている屋敷に簡単には忍び込めない。その知らせに屋敷中が絶望の淵に落とされる。

『手はございます。イーサン様、こちらを』

 そう言って彼女が広げたのはハンカチであった。ガタイの良い男が、日が沈んでからわざとらしく、ハンカチを投げ捨てたという。そこに誰かがいると確信した様子で。
 ハンカチに染み込まれた万年筆の文字。右肩上がりの癖文字には、見覚えがあった。それは独立して、ここ二年間大陸を巡っていた、元キャンベル家の料理人の一人。その男がカイである。


──アナベル様の祖父君、誘拐。
  五日後に、ルロワ伯爵と挙式させるとのこと。
  カイ


『父さんの予感が当たったか』

 何故彼が誘拐先にいるか不明──カイはジャック、アイザック、タイスと共にイーサンの幼少期の食事事情を支え、キャンベル家の料理の質を挙げた1人。イーサンとアナベルの婚約の報告を受け、一時的に帰国していた。国に帰るなり元主人とその婚約者への不穏な会話を聞きつけ、潜り込んだ──だが、辞めてもキャンベル家族と元仲間たちを気に掛け手紙や贈り物を送ってくれる、信頼している彼の文字は確かである。
 探していたヘンリー・バーンズ。まさか孫娘を攫い、他の男と結婚させようとするとは。父の懸念は当たっていたと、イーサンは下唇を噛む。

『ルロワ伯爵を調べてくれ。あと屋敷の間取り図を』

 使用人に指示を出し、彼らは密かに、かつ速やかに情報収拾が始められる。
 イーサンの方でも情報や助ける方法を探りながら、彼らの集めてくれた情報をもとに作戦を立てる。
 本当は両親の力を借りたかったが、騎士が報告に戻ってくれたにも関わらず王都から帰ってこない。
 バーンズ家とも連絡がつかない。
 何が起こっている。
 バーンズ家の状況に関しては、ある女性からもたらされた。夏休みがは閉まる前、王都でアナベルとイーサンが買い物帰りに立ち寄ったカフェの店主だ。アナベルの妹ミラからの伝言を持ってサイドハウス・ノアに駆けつけた。

──お父様もお母様も帰ってこない。屋敷には知らない人いる。

 一昨日から異質になったバーンズ家の屋敷。外出も叶わなくなり、何かが起こっていると考えたミラが侍女に指示を出した。姉からカフェの話を聞いていた彼女は、そこからイーサンに連絡がとれる、そう判断したのだ。ヘンリーに遣わされた大人たちは、幼い子供が外部と連絡をとる策を弄していると考えなかった。
 ミラの伝言の紙を携え、必需品の買い物だと外出を許された侍女が、客を装って店員に見事伝言の紙を渡した。その場にはノアも休憩に訪れていた。緊急を要する内容に、タイスは店を閉じるとサイドハウス・ノアに。ノアは王都にいる悪友夫妻を探す。
 夜、カイからバーンズ家伯爵夫妻も、ラドン家旧屋敷に攫われてたと情報が届いた。

 ミラたちの救出、アナベルと伯爵夫妻の奪還。
 使用人たちと共に、イーサンは作戦を執り行った。

 まずはミラたちの救出が行われた。バーンズ家使用人たちが、何かのきっかけになるかもと機転を利かせて警備に穴を用意してくれたため、救出は早かった。
キャンベル家お抱えの影の守護者にて不審者たちを掌握。
 ミラたちを助け出した後は、サイドハウス・ノアで匿った。バーンズ家屋敷から報告が行かないよう見張りを付け、話のわかる相手は金で雇い、古屋敷にバレないように手を打った。
 アナベルの救出には慎重にタイミングを見計らう必要と、人手が必要であった。
 屋敷には最初イーサンが潜入しようとしたのを、アイザックが自ら手を挙げ潜入を申し出た。
危険と隣り合わせの潜入は最上の策とは言えないと分かっていたからこそ、イーサンは自身で行うつもりだった。

『イーサン様はお顔がばれておりますでしょう。しかし、私のような者にまで彼らが時間をかけて把握したように思えません。覚えていたとしても、まさか料理人が潜入するなど誰が考えるでしょう?カイもおります。なによりイーサン様、アイザックはわかっております。わかっておりますよ』

 正直無茶な言い分である。彼は体躯に恵まれただけであり、ただの料理人。片手にフライパンを持てばまだ戦えたかもしれないが、その身1つで潜入しないといけない。非常に危険な任務。
 それでもアイザックの気持ちは変わらなかった。この時、彼は強い強い確信を抱いていた。
 アナベルを救えるのは、イーサンだけだと。
 策を弄するなら当主、デービッドが適任である。
 しかし、アナベルを助け出せる人物は一体誰か。
 不足の事態が起こった時、アナベルの性格から彼女がどう行動するかが分かり、すぐさま対応できる人間は。
 外を頼れない現状、いざとなった時にすばやく身動きが取れる、若い体を持つ人間は。
 もしアナベルが全てを捨てる覚悟を決めるほど追い詰められていた場合でも、その手を伸ばすほど信頼している人間は。
 イーサン・キャンベルだけなのだ。

((イーサン様に何かあれば、アナベルを助ける策を考え、成し遂げる者がいなくなってしまう。また、彼女のために動く我々を救える者も))

 それに主人である以上に、大切な家族でもあるイーサンを、危険な目には合わせられなかった。爽やかな笑顔で、服ーソフィアが用意してくれたもの。ノアから話が届き、主人の指示を受け駆けつけたーを着替え、悪い男に扮したアイザック・ファウラー。

『必ず帰ります。だって私たちも救ってくださるでしょう?たったの数日、カイと頑張ります。厨房から場所が変わっただけです。帰りましたら、美味しい食事を作りませんと』

 約束だ、と。命を救うために尽くしてくれた兄のような料理人に、イーサンは再び人生を託した。

 アイザックはカイの手引きで、屋敷には簡単に潜り込んだ。屋敷中ガタイの男たちでウロウロしており、アイザックは内部の様子を密やかにキャンベル家へと伝える。怪しまれないよう、彼らの仕事に紛れながら。
 見取り図を手に入れていた屋敷にて、アイザックとカイからの情報と重ねて、アナベル救助作戦を立てたという。そして戦時中の建物を生かした脱出劇となったのだ。

*

「遊びの中にも学びはあるということね」

「今回はそうなったね。みんなのおかげで、アナベルを助けることができたよ。」

「改めて感謝を伝えないと。貴方も、助けに来てくれてありがとう」

「最後は追いつかれちゃったけどね。……本当、無事で良かった」

 最後は二手に分かれ、馬車に乗って逃げる予定だった。
 執念深い老人だと聞いていたイーサンは、追いつかれた場合も想定していたのだが、チャーリーたちまでも駆けつけると考えていなかった。
それに無理やり馬車を向かわせたチャーリーは、深く頭を下げる。

「申し訳ない。アナベルが逃げ去れば父……いや、ヘンリーはもう後には引かないと思ったから。ああなれば、止めるには私が適任かと」

「止めれる自信があったと?」

 イーサンの問いに、チャーリーは意味深に笑う。

「私は父には似ていないから。あの人は、母親似の私の顔をよく見れないようなのです」

 歳の離れたヘンリーに嫁ぎ、夫が不在でもチャーリーを育て上げたアナベルの祖母。祖父母の関係をアナベルはよく知らない。だが、チャーリーの表情はどこか寂しげで。もっとよく知りたいが、今は追求するのは憚られたため彼女は口をつぐむ事にした。

「驚きましたが、本当に助かりました。ありがとうございます」

「こちらこそ。感謝してもしきれない。本当に、ありがとう。皆さんも。お陰で、また家族の生き生きとした表情を見れたよ」

 笑みを浮かべながら食事をいただく妻と娘たち。

「お互い自分も大切にしていこう」

「はい」

✴︎

「ところで、馬車に引っ掛けたものは回収できたの?」

「うん。これ」

 イーサンがズボンのポケットから取り出したものを見たアナベルは、言葉を失った。
 なぜならサイドハウス・ノアに忘れたとされた、登城証だったからだ。あの場で多くの人が確認したにも関わらず。何故か手元に現れたそれに、投げた騎士も気付かなかった。
 一体何が起こったのか。首を傾げる他ない。
 しかし血液と匂いの染み付いたこれのおかげで、スーニーたちは迷わず終えたのだが。

「ですから、宝石の力では?」

 そう語るポーラは、山盛りのラザニアやらローストビーフを頬張っている。
 アナベルが一目惚れしたライトグリーンの宝石は、実は古来よりその効果があると愛されたエメラルド。魔除けの効果を持つ宝石でもある。

「ただ"相性"がございます。どの宝石でも良い訳ではありません。アナベル様が誘拐される直前、宝石を落としてから姿を消したと伺っています。今まで、何か悩んでいた時、困った時に宝石が瞬いた、なんてありませんでしたか?」

 アナベルには心当たりがあった。悩みすぎた時、確かに打ち消すように宝石が輝いた。
 ただ、一目で気に入った宝石にそんな効果があるとは、話を聞く全員信じられない面持ちでポーラの話に聞き入っている。

「考えすぎ? 信じる者は救われますよ。アナベル様が買い求めたものは、まさに貴女に合った宝石。"運も勝負のうち"ならば、おひい様は一生の味方を手に入れられたわけです。ぜひ大事になさってくださいませ」

「あの宝石が……」

 今は自室で眠る宝石。
 隣で驚く、イーサンの瞳と同じ色の石。現実味のない話に足元がふわつくも、妙に納得がいく。

「なにはともあれ。助かったのだ。それで今はいいじゃないか」

 デービッドの言葉に、全員頷くのであった。
 さて。
 本作戦の立役者の一人でもあるアイザックは、現在キッチンに籠もり、存分に食材を使い、多種多様な料理を作り続けている。
 サイドハウス・ノアに戻った彼は、根城にしている小屋に戻ると身体をしっかりと洗い、コックコートに着替えた。

『さあ、イーサンさま! しこたま料理を作らせていただきます! ここすうじつまともに作ってません! 料理万歳! 笑顔沢山!』

 寝ていないからか、やけに高いテンションでフライパンを振り、鍋をかき回し、調理家電を酷使している。やつれていた姿はどこぞに消え去り、今はつやつやとした顔をしている。水を得た魚とは、まさに今のアイザックのための言葉だろう。
 ちなみにカイも負けじと厨房に立っていたが、四十五歳で慣れぬ潜入捜査で精根尽き果て、先程使用人部屋で眠りについた。『あとで、また、つくるからな』と眠りの国への門を叩く前、そう呟いていたとかなんとか。彼が作った料理も、皆を幸せにしている。

「アナベル様!こちらはいかがでしょうか」

「こちら、も。ほっぺたが落っこちちゃいそうに美味しいです」

「いただくわ」

潜入中のアイザックから、アナベルが死んだ顔で食事を摂っていると報告を受けていたイーサンは、顔をほころばせていた。アナベルが食事に手をつけない、や、何も感情のない表情で食べている、とアイザックやカイから受けた報告に胸を痛めていた。
 今はどうだ。隣で頬を膨らませながら食事をとる婚約者は、至極幸せそうなのだから。
 トラウマになっていないか、医者に診て貰う必要があるが。安心していいだろう。
 皆、ここにいる。パクパクと食べ進めるアナベルに釣られるようにイーサンも皿に乗せられたエクレアを一口頬張ると、甘く優しい味が広がった。

(良かった。本当に……)

噛み締めるごとに、イーサンはようやく落ち着くことができた。


 お腹を満たされ、心に余裕ができたキャンベル家とバーンズ家族は、のんびりと過ごしていた。
 アナベルの膝の上には先程まで彼女の妹たちが乗っていたが、お腹がいっぱいになり、今は両親に抱きしめながら眠っている。なんとも微笑ましい光景に、イーサンは目を細めた。

 アナベルも、妹たちに目を向けながら、その隣に座るイーサンの顔も盗み見ていた。
 疲れが出ているようで、目の下にはうっすら隈ができており、顔色もだいぶ白くなっている気がする。身体が丈夫ではないのに、自分のために無理をさせてしまい、アナベルは心が傷んだ。
 ふっとイーサンが笑った。

「どうしたの?」

「ん? 休み方って人それぞれだなぁ、って」

 肘をつき、そう呟くイーサンをアナベルは見つめ続ける。
 細長い身体にぴったりと合うスーツ、真っ黒な髪、声、香り。そして、こちらを不思議そうに見つめる、キョトンとしたライトグリーンの瞳。
 たった数日会っていないのに、数十年も会っていないほど懐かしい。

「ただいま、イーサン」

 つい溢れでた言葉。場の雰囲気に合っていたいことはわかっているものの、どうしても今、伝えておきたかった。彼は一瞬驚きに目を見開いたが、すぐに優しい笑顔に変わる。

「おかえりなさい、アナベル」