BLUE YELL ―その声が届くまで―

それから、トレーニングルームで黒瀬さんと顔を合わせることが増えた。

 最初のうちは、会えば挨拶をするだけだった。

「お疲れ様です。」

「おう。」

 それだけ。

 お互い、自分のトレーニングに集中していた。

 私はレッスンで使った身体をゆっくり整え、黒瀬さんは黙々と筋力トレーニングを続ける。

 会話はほとんどない。

 それなのに。

 何日か経つと、その時間が少しずつ当たり前になっていった。

「今日も残るのか?」

「はい。」

「そう。」

 そんな短いやり取りが増えた。

 ある日、私がいつものように片足立ちのトレーニングをしていると、黒瀬さんが横を通り過ぎた。

「前より安定したな。」

「……分かるんですか?」

「見てれば分かる。」

「そうですか。」

 少しだけ嬉しかった。

 でも、それを顔に出すのはなんとなく悔しくて、私はすぐに前を向いた。

「ありがとうございます。」

「ん。」

 それだけ。

 黒瀬さんはまた自分のトレーニングに戻っていった。

 別の日には、私がストレッチをしていると、

「それ、レッスンでもやってるの?」

「はい。家でもやってます。」

「真面目だな。」

「……褒めてます?」

「別に。」

「じゃあ言わないでください。」

「分かった。」

 そんなくだらない会話をするようにもなった。

 相変わらず、黒瀬さんは愛想がない。

 だけど。

 最初に感じたほど、苦手ではなくなっていた。

 むしろ――。

 静かなこの時間は、嫌いじゃなかった。

 ある日のこと。

 いつものようにトレーニングを終えて時計を見る。

 もうすぐ九時だった。

「……そろそろ帰らないと。」

 荷物をまとめて立ち上がる。

 黒瀬さんはまだトレーニングを続けていた。

「お先に失礼します。」

「おう。」

 扉に手をかける。

「朝比奈。」

「はい?」

 振り返ると、黒瀬さんがこちらを見ていた。

「無理すんなよ。」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「……はい。」

 小さく返事をして、トレーニングルームを出る。

 廊下を歩きながら、さっきの言葉を思い出した。

 たった一言。

 それだけなのに。

 なぜか、少しだけ心に残った。