ショートカット・スウィートケーキ

「それじゃあ、文化祭が終わるまでみんなで協力して頑張りましょう。よろしくお願いします」

 文化祭実行委員の会議は、三年生の委員長のその言葉で解散となった。今日は特に大きな話し合いはなく、各クラスの実行委員たちがそれぞれ自己紹介をし合っただけだった。

「じゃあ、網倉さん。またね」
「うん、また。部活がんばってね」

 同じクラスで実行委員のパートナーである佐々木くんと手を振り合って会議室前で別れる。どうやら佐々木くんはこれからサッカー部の練習があるらしい。部活と実行委員の両立は大変だろうな。私がしっかり頑張らないと……! そう意気込み、心の中で拳を掲げたときだ。後ろから「翠」と声をかけられた。

「翠はこのまま帰んの?」

 隣に千昭が並ぶ。下駄箱までの廊下を歩きながら、私は「うん」と頷き返した。どうやら九条さんは先に帰ったようで、近くにはいなかった。せっかく知り合った別クラスの女の子だし、もう少し話をしてみたかったけれど。残念。

「千昭は? 高校でも弓道部入ったんだっけ?」
「ああ。午後から練習」
「ご苦労さまです」
「いえいえ、とんでもない」

 一回会議というインターバルを挟んだからだろうか。朝会ったときよりも、もっと自然に千昭と会話ができている気がする。今までのような変な気まずさがなくなっていることを実感して、心がほくほくと弾んだ。
 これは次、内海先輩に会ったときに報告――……。いや、ダメだ。内海先輩には、言えない。
肩に掛けたスクールバッグの紐を持つ手に、無意識に力が入った。
 内海先輩にそんな話をしたら、先輩に会う口実がなくなってしまう。千昭への恋心を、髪を切って消化するため。いつの間にか、私の髪に触れる内海先輩の長い指から目が離せなくなっていても。いつの間にか、千昭へのモヤモヤとした割り切れない気持ちを軽くするためよりも、内海先輩とヘアカットのあとにケーキを一緒に食べることのほうが、私にとって大きなものになっていても。そのベースにあるのは、私の失恋で、新しい恋じゃない。
 だから……内海先輩にだけは、絶対に言えない。知られちゃいけない。これからも、彼の傍にいたいから……。

「そういえば、翠」

 ちらりと千昭が私を見た。

「髪、もう伸ばさねぇの?」

 そう言って、千昭は自分の手を顎あたりでちょいちょいと動かす。

「ずっと髪、長かったから気になって……」
「あ、あー……」

 私は曖昧に頷いた。千昭に失恋したことがキッカケで髪を切ったなんてとても言えない。それに、そのあと別の人に恋をして、その人と関わりたいから髪を切り続けているとも言えない。内海先輩にだけじゃなく、千昭にも言えなくて視線が泳いだ。

「一回、気分変えようって思って切ったら、短いの結構楽でさ」

 下駄箱に到着して、靴を履き替えながら答える私を千昭がじっと見つめる。その視線の意味を読みとることができなくて、ちょっとだけなぜか気まずい。靴を履き終えて、千昭のほうを見ると、

「……たしかに、髪長いのって乾かしたり、櫛で梳いたりするの大変そうだもんな」

 少しの間のあと、千昭はひとり納得したように頷きながら言った。

「そ、そうそう! それそれ」

 千昭の言葉は、私にとって都合の良い言い訳にできて慌てて乗っかるように返事をする。短いのって本当に楽なんだぁ、と、ここぞとばかりにショートカットの良さを熱弁する。そのとき、スカートのポケットの中に入れていたスマートフォンが震えた。ポケットから取り出し、画面を見ると内海先輩の名前が通知に上がっていた。メッセージが一件。

『母さんがお裾分けあるらしいから、帰りに店に寄って』

 それを読み終わるころに、もう一通。

『今日、実行委員の会議だったんでしょ?』

 そう言えば、この前一緒にケーキを食べたあとの帰り道に予定を聞かれて教えたことを思い出した。先輩って意外とそういうこと覚えているんだなって思いながら、私はそれに『分かりました!』とキーボードをすっすっと操作して返信を打つ。紙飛行機のマークをした送信ボタンを押すと、数十秒もしないうちに既読がついた。

「なぁ、翠」

 千昭が私を呼ぶ。意識が先輩とのやり取りから引き戻される。私は自分の口元が緩んでしまっていることに気付いて、「ん!?」と顔を上げながら奥歯を一度だけ噛み締めた。

「最近さ……」

 千昭がそう、何かを言いかけたとき。廊下の奥から千昭を呼ぶ声が響いた。千昭が肩を跳ねさせるようにそちらを向く。どうやら、同じ弓道部の人が千昭に気付いて声をかけてきたようだった。お昼ご飯を一緒に食べよう、と誘っている声が聞こえてきた。

「おー。すぐ行く」

 千昭はそう答えると、もう一度私のほうを見た。一度、二度、何かを言いたげにその口が開かれて閉じる。私が首を傾げると、千昭は一瞬だけ俯いた。

「いや、なんでもない。じゃあ、俺、行くわ」
「あ、うん。部活がんばってね」
「ありがと」

 千昭は表情を緩め、私に片手を上げる。私もそれに手を振り返し、千昭が友人たちのほうへ向かうのを少しだけ見送ってから下駄箱の出入り口のほうへ向かう。夏の陽射しが眩しいグラウンドを通り、正門へと向かう途中の私の背中に、また千昭の声で「翠」と呼び止める声がかかった。
 振り向けば、グラウンドに面して廊下の窓から千昭が顔を出していた。

「気をつけて帰れよ!」

 千昭の隣にいる友人たちが少し驚いた顔をしているのが見えた。わざわざそれを言うためだけに? と、私も驚く。

「う、うん。気をつけて帰るね!」

 そう、少し遠くの千昭に届くように声を張った。手の中に持っていたスマートフォンがまた震える。内海先輩からも『気をつけて来いよ』ってメッセージが届いた。私はそんなに危なっかしいだろうか、と首を傾げながら、サロン・ド・レーヴに向かうために一歩踏み出す。