ショートカット・スウィートケーキ

 夏休みに入って、一番最初の月曜日。
 今日は文化祭実行委員会の集まりがあって、いつもの登校時間よりも一時間ほど遅く家を出て学校に向かった。
 学校につくと、夏休みだということもあって校舎の中は、しん、としていた。いつもはクラスメイトと会う下駄箱も今日は私しかいない。私は履いていたローファーを下駄箱に仕舞い、ビニール袋の中から持ち帰っていた上履きを取り出し履きかえる。

「翠?」

 不意に名前を呼ばれ、私は上履きの踵を指で引っ張りながら顔を上げた。私を見て瞳を丸くするその人を見て、私も同じように目が丸くなってしまったかもしれない。

「千、昭……」

 スクールバッグを肩に引っ掛けて、気まずそうに頬を掻く男。中学二年生のときに、私が自滅告白をしてしまった相手――加納千昭。

「ど、え、」

 どうして?
 え? なんで?

 頭に浮かぶ言葉をうまく出力できない。

「あー、俺、実行委員なんだよ。五組の」

 さすが、幼馴染と言うべきか。関わりにブランクがあっても、こちらの言いたいことを読み取って答えてくれたようだ。

「なるほど、実行委員なんだ。千昭も」

 なるほど。だから千昭は夏休みなのにこうやって学校にいるっていうことか。そう、今の状況が腑に落ち、会議室へと一歩足を踏み出した瞬間。私は千昭のことを勢いよく二度見してしまった。

「ち、千昭も実行委員なの!?」
「え? ああ、うん。クジ引きで決まったんだよ」

 千昭は少しだけ眉を下げて笑いながら肩を竦めた。そして私の隣を歩き出す。
 私は軽く、頭を抱えたくなった。別に今も好きだとか、恋しているとか、そんなんじゃない。あの頃の気持ちは吹っ切れているけれど、気まずい。だってあの日自体のことを、消化できているわけではないから。
 私は千昭に告白して、千昭はそれを断って。そのまま距離が空いて、話さなくなってしまった。その事実だけは残っているわけで……。

「っつーか、翠も実行委員? 翠、二組の学級委員もやってなかったっけ」

 ちらりと千昭が私のほうを見たのが分かった。私の明後日の方向に飛びかけていた意識が戻される。私は、「あー、うん」と平静を装いながら頷いた。スクールバッグの持ち手を握る手に、変な汗は滲んでいるけれど。

「せっかくだから、やってみたいなって思って」

 周りに押され、流されて決まったとは言いにくかった。内海先輩にした言い訳と同じように、「他クラスの子や、先輩たちと顔見知りになれたら、それはそれで楽しいかもしれない」と付け加える。千昭は、それに「ふぅん」と小さく相槌を打つから、私も「そうなの」ともう一度頷いた。

「……」
「……」

 それきり一度、会話が止まる。私たちしかいない廊下には、静かな足音だけが響いていた。

「会議って何時から?」
「十時、だったはず」
「俺も」
「そっか。……って、そりゃそうでしょ。同じ実行委員なんだから」
「ああ、そっか」

 ははは、と短い私たちの笑い声が響いた。そして、また沈黙が落ちる。ただただ、会議室までの道のりを並んで歩く。

(いや、き、気まずすぎでは……!?)

 私は思わず千昭から顔を逸らした。
 会議室があるのは、廊下の突き当りにある階段を上って、三階にある。そこまでの道が、いやに長く感じるのは、この気まずさのせいだ。
 もういっそ、これは、あの日のことを謝ったほうがいいのか!? そのほうが、お互いスムーズに会話ができるようになるのか!? 千昭も実行委員ということは、これから文化祭まで何回も顔を合わせることになるだろうし――。

「加納くーん」

 そのときだった。後ろから聞こえてきた可愛らしい声と、そしてパタパタと階段を駆け上がって来る軽い足音。

「おはよっ」

 私がいる側とは反対側。千昭の腕に絡みついた女の子が、千昭の顔を覗き込むように顔をひょこっと現した。
 長いふわふわの髪。きゅるんきゅるんの大きな瞳と、走ってきたからなのか、薄っすらと桃色に色づいた頬。

(わっ、可愛い子……!)

「おはよう、九条」

 千昭はそんな可愛らしい女の子に腕を組まれているというのに、当たり前のように挨拶を返している。私がそれにも驚いていると、『九条』と呼ばれた女の子の視線が私のほうに向けられた。

「あ、他のクラスの実行委員さん? あたし、五組の実行委員の九条寧々(くじょうねね)っていうの。よろしくね」

 そう言って、私に手を差し出してくる。どうやら、握手をしてくれるらしい。私はそっと優しくを意識してその手を握り返した。

「あ、はい。二組の網倉翠です。よろしくお願いします」
「翠ちゃん、ね! あれ? 翠ちゃんって、もしかして、新入生代表で挨拶してなかったぁ?」

 九条さんが首を傾げる。

「そうだよ」

 それに答えたのは私ではなく、千昭だった。

「翠、首席で入学してるから」
「ええー!? 首席!? すごぉい! 今度、あたしに勉強教えて!」
「あ、はい。私で良ければ……」
「っていうか、加納くんと翠ちゃんって知り合いなの?」

 無邪気な質問。それに肩にぎゅっと力が入ってしまったのは、私だけだっただろうか。千昭が小さく「ははっ」と笑ったのが聞こえた。

「俺ら、幼稚園から一緒なんだよ」
「あ、幼馴染ってことー!? 翠ちゃん、羨ましがられるでしょー?」

 加納くんモテるし、と九条さんが言う。私はそれを、笑って誤魔化した。中学のときはよく羨ましがられていた。でも、高校に入ってからはほとんど千昭と関わりはなかったし、私たちが幼馴染だと知る人は、中学から一緒の子だとか、一部の子だけだった。

「いや。でも。本当にただ幼稚園から何となく一緒なだけだから。私、高校入るまで、加納くん(・・・・)が一緒の学校って知らなかったし」

 面倒事は避けたい。変に誤解されたくない。そう無難な言葉を選んで返すと、九条さんは「そうなんだぁ」と頷く。

「あたしが翠ちゃんの立場だったら、超自慢しちゃうけどなぁ」

 そう言った九条さんは、不意に「あっ!」と何かを思い出したように声を上げた。

「あたし、今日必要なプリント、教室に置いてきちゃってたのぉ。加納くん、一緒に取りに行ってくれる?」

 九条さんが千昭の腕を軽く引っ張る。

「あ、じゃあ、私は先に会議室行ってるね」
「もし先に会議始まっちゃいそうだったら、委員長に伝えておいてもらってもいい?」

 九条さんが「ごめんね」と千昭の腕に自分の腕を絡めたまま、両手を合わせた。

「もちろん。じゃあ」

 私は手を振って、二人に背を向ける。会議室と書かれたプレートを探しながら、廊下を歩く。後ろから薄っすらと九条さんの楽しそうな笑い声が響いて聞こえてきた。
 中学生のころに感じていた気持ちが、嘘のようだった。千昭に対しての気まずさはあるものの、千昭に絡む女の子を見ても、心は全くざわめいていない。
 私はちゃんとあの恋を乗り越えられた。
 それを実感して、私は胸に手を当てて、小さく小さく息を吐き出した。