ショートカット・スウィートケーキ


 レアチーズケーキを頬張りながら、思い出すのは四月のこと。



「翠」

 東高校の渡り廊下。入学式が終わり、教室に戻る途中。
校庭に咲き乱れる桜の、薄桃色に色づいた花びらがひらひらと舞い込んでくる中、後ろから聞き慣れた声が私を呼び止めた。振り返ると、内海くんがいて、私は目を丸くする。

「あれっ、内海くん? 同じ高校だったんだね!」

 全然知らなかった、と彼に駆け寄った。

「新入生代表の挨拶、お疲れ。堂々とされていらっしゃいましたねぇ」
「すごく緊張していたんだから、からかわないでよ」

 少しだけムッとして返せば、内海くんは「ごめんごめん」と肩を揺らして笑った。

「代表で挨拶ってことは、首席で入学だったんだろ? すげぇじゃん」
「ありがたいことに、そうだったみたい」

 人前に立つのはあまり得意ではないけれど、トップの成績で入学できたことは素直に嬉しかった。
 少しだけ照れ臭くて、俯いてしまう。

「でも、内海くんも東高受けるなら教えてくれたらよかったのに」
「え? あー、うん。そうだな」

 なんだか含むような内海くんの言葉に、私は顔を上げて首を傾げた。

「そういえば。内海くんって、何組なの?」
「俺? 二組だよ」
「えっ、本当? 私も二組だよ。一緒だね!」

 そう言いながら、私たちは一年二組の教室のほうへ足を進めた。
 話しながら、「ん?」と思う。一年二組の教室に、内海くんはいただろうか。教室に入る前に、「知り合いはいるかな」とザッと確認した名簿にも、『内海澄春』って名前を見た記憶はない。それに『あみくら』と『うつみ』だったら、出席番号順で並ぶ席も近いはずで、内海くんに気付かないことなんてあるだろうか。

「でも、変なの。私、全然、内海くんのこと気付かなかった」

 そう、自嘲気味に笑いながら内海くんのほうを見れば、意地悪に口角を上げる綺麗な顔と目が合った。
 私は、小さく息を飲む。

「うん。そりゃそうだろ。だって、俺――」

 内海くんが、ぐっと顔を近付けてくる。私は顎を引いた。

二年二組(・・・・)だもん」

 内海くんが目を細める。よく見れば、彼の左胸には、新入生なら全員つけているはずの赤い花のコサージュはついていなかった。



 あのときのことは、思い出しただけで苦々しい気持ちになる。

「いやー、あのときの翠、すげぇキレてたなぁ」

 先輩はフルーツタルトを食べ終えたフォークをお皿に置きながら笑った。

「そりゃ、怒るでしょ!」
「でも、別に俺、嘘ついてないし。『何組なの?』って聞かれたから、『二組』って答えただけで。学年聞かれてねぇもん」

 悪びれる様子もなく、頬杖をついて私の顔をからかうように覗き込む先輩。

「本当、ひねくれてますね」
「なんとでもどーぞ」

 ニヤニヤと笑う内海先輩に、私はもうただ、「はぁ」と盛大な溜息を吐くしかなかった。そんな先輩の表情にまで今はときめいてしまうし、からかわれることがほんの少しだけ嬉しいと思ってしまう私も、大概だと思う。そんなこと、絶対に顔にも言葉にも出すつもりはないけれど。
 私はほんの少しだけ目を逸らしてから、アイスティーに口をつけた。ほろ苦くて冷たいそれは、熱くなってしまいそうな私の頬を冷ましてくれる。

「で? いつになったら『内海くん』に戻してくれんの?」
「……戻さないですよ」
「なんで」
「なんでって……。なんででも、です」

 内海先輩は不満そうな顔をする。そんな顔をされても……と、私は苦笑いをした。私だって、できるなら前みたいにラフに話しかけたいと思う。
 でも、内海先輩は、何をどうひっくり返しても、私の先輩なのだ。
 そっと先輩の顔を見る。頬杖をついて窓の外を眺める先輩の横顔は、かっこいい。
 夏なのにあまり日焼けしていない綺麗な肌。すっと通った鼻筋と、長い睫毛。背もすらりと高くて、陽の光りを浴びると茶色っぽく見える髪もサラサラで……。
 東高に入学してから、同じクラスの女の子に聞いた。彼女は先輩と同じ中学に通っていた子で、中学生のころから人気のあった先輩だって。
 その言葉の通り、校内で見かける先輩の周りには、いつも女の人がいた。先輩と同じクラスの女の先輩が、内海先輩の腕にくっついているのも見たことがある。
 千昭のときと、一緒だなって思った。
 あのときは、私、嫉妬で暴走しちゃったけれど……。
 今回は、そんな失敗、絶対したくない。
 それに……先輩に憧れている女の子たちに目つけられるの、怖いし。ふと、先輩に話しかけられているときに向けられる鋭い視線を思い出して、背中にぞっと悪寒が走った。私はそれを誤魔化すように、アイスティーを一気に吸い上げる。
 本当は、高校に入学してから変に距離が近くなった行動もやめて欲しいと思っているのだけれど……。

「翠、夏休みは何すんの?」

 そう問いかけながら、不意に先輩が手を伸ばしてくる。
 先輩の親指が私の口元を優しく拭って、私の心臓がワンテンポ遅れて一気に跳ね上がった。

「……っ」
「クリームついてた」

 先輩が、目を細めて笑う。窓辺から差し込む夏の陽射しが先輩を照らして、キラキラとしている。
 そうやって私に触れるたびに笑顔を見せてくれる先輩はずるい。
 ずるいって思うのに、その笑った顔を手離すことができなくて、拒否できない私も、相当ずるいと思う。

――ただの先輩だから!

 この夏休みに入るまでの間に、何度そうやって、友人たちに誤魔化してきたっけ。
 空調がよく効いているはずなのに、体温が上昇して熱い。赤くなった顔を、私は俯いて隠した。横髪がさらりと流れる。短い髪では、それが上手く隠れていないことも知らず。