ショートカット・スウィートケーキ

 赤い鳥居を抜けると、参道は多くの人で溢れかえっていた。祭囃子の音と賑やかな声。両端には屋台が建ち並んでいて、食べ物の美味しそうな匂いが漂ってくる。

「わぁ……」

 お祭り独特の熱気に圧倒され、さっきまでのドキドキや気まずさが押し流されて行く。

「翠。万が一はぐれたら鳥居のとこな」
「はい、分かりました」

 先輩の言葉に頷く。空は徐々に橙色と藍色を練り混ぜ、提灯の明かりがぼんやりと参道を照らし始める。
最後に宵宮に来た小学生のころは、唯一暗くなっても遊んでいいって言われるのが宵宮の日だった。少し煙たいような夜の香りに、いつもそわそわしていたっけ。
 門限が少し伸びた今も、その当時の感覚を思い出すからか、これから始まる夜の気配に、少しだけ胸の奥が落ち着かない。夜の香りが煙たいって思っていたのも、きっと屋台から流れてくる煙だったのだろう。

「あ、先輩。あれって何ですか?」

 私は近くの屋台を指さす。

「トルネードポテト? ああ、ほら。なんか串に刺さってるポテトだよ。ぐるぐるしてるやつ」
「ああっ、たまに動画で見るやつ!」
「食う?」
「食べたいです」
「いいよ、じゃあ並ぼう」

 私たちは人混みの間を縫って、列に並ぶ。

「あ、あっちのフルーツ飴もおいしそう。あと、フランクフルトも……」
「翠、全部食う気?」

 軽く吹き出すように先輩が笑う。ボンッと音が鳴りそうなくらい自分の顔が赤くなるのが分かった。

「ひ、久しぶりに来たので……つい」
「いいじゃん。翠が行きたいところ、全部行こう」

「まぁ、破産しない程度に」と先輩は腕を組んで、俯き気味になった私の顔を覗き込んできた。

「俺、翠の食いっぷり好きだし」

 先輩の唇の端がニヤリと上がる。さらりと夕暮れの風に先輩の髪が揺れて、たったそれだけの姿に心臓がうるさくなりそうですぐに目を逸らした。

「別に行きたいところは食べ物系だけじゃないですけど」
「お。じゃあ、俺とスーパーボールすくい勝負でもする?」
「なんですか、その勝負」
「多く取れたほうの勝ち。負けたほうは買ったほうに、フルーツ飴奢るっていうのは?」

 視線を戻せば、「俺、スーパーボールすくい得意なんだから負ける気しない」と、なんだか自信あり気な先輩の顔。その顔はどこか幼く見えて、ちょっとだけ笑ってしまう。

「それ、先輩がフルーツ飴食べたいだけでしょ?」
「翠もさっき食べたいって言ってたじゃん」
「……まぁ、そうですけど」

 ちょっと意地悪な先輩と目が合う。私たちは顔を見合わせて、小さく吹き出した。


 ◇


「いや、なんでだよ……」

 先輩の小さな声が響いた。長方形の縁日水槽に前にしゃがみ込み、先輩は破れたポイを見つめてブルブルと震えている。

「私の勝ちですね、先輩」

 私は自分の手元にある、金魚袋の中に入れた十個以上の形も色も様々なスーパーボールを先輩に見せた。

「いや、おかしくね!? 俺、一個掬っただけでポイに大穴あいたんだけど!?」
「あはは。可愛い女の子にはサービスしてるからねぇ」

 そう言って、屋台のお兄さんはポイを三種類私たちに見せて来る。先輩が渡された緑色。私が渡された青色。それから赤色のポイ。

「何が違うんですか?」

 そう尋ねると、隣で綿菓子の屋台をやっている別のお兄さんが、

「それ、色でポイの強さが違うんだよ」

 と、顔を覗かせて笑った。先輩が「は!?」と声を上げる。

「いや、もうバラすなよ、お前!」

 スーパーボールすくいのお兄さんは、綿菓子屋のお兄さんを軽く肘で小突いた。

「ちょっとそれ、ずるくないっスか?」
「いやいや、少年。弱いポイでもすくってこそ漢だろ?」

 そう言って、綿菓子屋さんのほうのお兄さんが水槽の中からボールをひとつ手で取って、先輩の手に握らせた。先輩の掌に乗る、キラキラのラメが入ったスーパーボール。

「よかったですね、先輩。ひとつ貰えて」

 先輩の肩をそっと冗談っぽく哀れみを含めて叩くと、先輩の「うるせぇな!」って言う声と私の笑い声が、宵宮の喧騒の中で響いた。
 スーパーボールの屋台を離れたあとも、先輩は貰ったボールを眺めながら、

「ずるくね?」

 と、私をジトッとした目で見た。

「でも、勝ちは勝ちですから」
「くっそ。納得いかねぇ」

 そう文句を言いながらも先輩は、フルーツ飴の屋台のほうへ向かってくれる。私は先輩にバレないように、こっそりと口元を緩ませた。私と関わる内海先輩は、いつもどこか飄々としていて、余裕があって、からかうのが好きな人で――。
 でも、隣で少し拗ねた表情をしている先輩の顔を見るのは初めてで、等身大の先輩がそこにいるような気がしてしまう。
 今日一日で、こんなにも先輩の色んな顔を見られるなんて思ってもいなかった。
 それだけじゃなくて、浴衣姿も見れて、一緒に宵宮にも来れて……。私、明日からちょっと嫌なことが続いても仕方がないと思う。
 そんな風に考えていたとき。

「……翠、ちょっと待って」

 不意に先輩に呼び止められた。首を傾げ振り返ると、先輩は、参道から少し外れた人気の少ないほうへと私の手を引いていく。そして、「ちょっとそっち向いて立って」と先輩に背中を向けるように言われて、私は大人しく指示に従った。

「なにかありました?」
「帯、ちょっとズレてるかも」
「えっ」

 驚いて振り返ろうとすると、先輩は「前向いてろ」と軽く私の背中を押した。

「は、はい。……直せそうですか?」
「たぶん」

 内海先輩の手が優しく帯に触れたのが分かった。リボンのように奈々子さんが結んでくれた帯の形を慎重に整えてくれている。内海先輩の姿は見えないけれど、先輩が動く気配を感じながら、胸に溜まりすぎた空気を抜くように小さく息を吐いた。

「……楽しそうでよかった」

 不意に、後ろからそう、ぽつりと静かに呟く声が聞こえた。

「……先輩?」

 内海先輩が帯を直してくれているから、振り返ることはできなくて、そのままそっと声をかける。

「俺から誘っといてアレだけど……翠、宵宮あんまり来たくなかったかもって思ってた」

 その言葉に、私は小さく息を詰めた。ああ、そうか。先輩は……私がまだ千昭のことを引きずっていると思っているから……。
 宵宮のことがキッカケで、あの日私が千昭に失恋したことも先輩は知っている。だから、ずっと気にかけてくれていたのかもしれない。
 私は胸の前で、手をぎゅっと握り込んだ。

――このまま、内海先輩の優しさを利用して、傍にいるのは違う……。

 私は――。

「先輩、私……もう、千昭のこと、吹っ切れてます」

 その声は、自分の中でやけに大きく響いた気がした。時間が止まるような感覚。祭囃子も喧騒も、一瞬だけ遠退いていったような……。

「……それ、いつから……」

 先輩が、そう言ったような気がした瞬間、ドンッとお腹に響くような大きな音と共に、視界いっぱいに眩い色鮮やかな光が弾けた。

「あっ! 見て、先輩。花火――」

 先輩に伝えたくて、勢いよく振り返ったとき。

「……可愛い」

 目が合った先輩の口が、そう動いた気がした。