ショートカット・スウィートケーキ

 陽が傾いてきた街に、私と先輩の下駄の音が響いている。

「もっと歩くペース落とそうか?」

 気慣れていない浴衣と下駄で足取りが若干おぼつかなくなっている私に気付いてくれたのだろう。先輩が軽く足元を指差しながら言った。私は首を横にぶんぶんと大きく振る。

「いえ! 大丈夫です! 甘やかしてはいけません!」

 ただでさえいつもよりゆっくりなのに、これ以上ペースを落としたら日が暮れてしまいます! と続けると、

「別に甘やかしてねぇし、日が暮れていいだろ」

 と、先輩は苦く笑った。

「足、痛くなりそうだったらすぐ言えよ」
「はい」

 宵宮の会場である神社に近付いてくると、人も増えて来る。宵宮に向かう人ばかりのだろう。すれ違う人は少なく、みんな同じ方向に向かって歩いている。その中には浴衣を纏っている人も多い。それでも浴衣を着ているのは女性のほうが圧倒的に多くて、男性で浴衣を着ている内海先輩が珍しいのか、チラチラと先輩へ視線が向けられている。
 ……男性が浴衣を着ているからっていう理由だけじゃないとは、思うけれど。ちらりと隣を歩く先輩を見る。スマートに着こなされた浴衣。着付けが上手なのだろう。着させられてる感は全然なくて、普段よりももっと大人っぽく見える。だから、今日の先輩は、いつも以上に魅力マシマシで……! キラキラと輝いて見える先輩のオーラに「ウッ」と目が眩みそうになる。

「さっきから俺のこと見て、なんで百面相してんの」
「えっ」

 私はギョッとして視線を彷徨わせた。わたわたと両手を振って、「別に見てたわけではなくて!」と言い訳を紡ぐ。そんな私の後ろを通りかかった女性から、「あれ、彼女かな?」、「えー、妹とかじゃないの?」と言っているのが聞こえて、私は一度唇を引き結んだ。妹という言葉に、小さく胸が軋む。

「翠?」

 いや、でも、そうだよね。だって私、ちんちくりんだし。とても先輩の彼女には見えないというか、釣り合ってはいないって分かるし……。いや、でも、ここで気分が落ちるのは違う! だって奈々子さんが、とっても綺麗に浴衣を着付てくれて髪型も可愛くしてくれたんだから! 先輩の彼女に見えるか見えないかではなく、私はこの浴衣を着ることができて嬉しかったんだから、それが一番でしょ、網倉翠……!

「だから、何なんだよ、その百面相は」
「何でもないです! 奈々子さんに浴衣と髪型してもらえたのが嬉しかったなって」

 ほら早く行きましょう、と、私は止まりかけていた歩みを再開させる。先輩も軽く首を傾げながら私の隣に並んだ。

「……あ、そういえば。先輩」
「うん?」
「今日、どうしてあんな変な誘い方したんですか?」

 聞いて来たのは私の今日の予定だけ。その後は勝手に十六時にもう一回『サロン・ド・レーヴ』に来るように言われて。なにがなんだかよく分からないうちに、先輩の中で勝手に一緒に宵宮に行くことになっていた。

「いつもの先輩なら、『今日、宵宮行くぞ』くらい最初に言いそうだなって」

 数拍の間。先輩から返事がなく、私は隣を歩く先輩の様子を窺う。先輩は、私の視線に気づいたようで、「あー……」と少しバツが悪そうな顔で自分の後ろ髪を軽く触った。

「……ちょっと焦ってただけだ」
「何にですか?」
「知らなくていいよ、翠は」

 ぷいっと逸らされる顔。

「知らなくていいって、何でですか? そう言われると余計に気になっちゃいます」
「いいだろ、別に何でも。あー、ほら、神社見えてきたぞ!」
「あっ、話逸らした……っ」

 その瞬間、先輩に不意に腕を強く引かれた。急なことで足がもつれ、軽く何かに鼻がぶつかって私は目をぎゅっと閉じた。

「いた……っ、ちょっと先輩、なに――」

 ゆっくりと目を開けて、ぶつけた鼻をさする。文句を口にする私の視界にネイビーカラーが飛び込んで来る。そして、ふわりと香る洗剤の香り。一瞬で、自分が先輩の胸元に飛び込んでしまったのだと分かった。途端に心臓が大きな音を鳴らし、一気に顔に熱が集まる。

「悪い。人にぶつかりそうだったから」

 ドキドキする私のことなんて気にしていないような先輩のいつも通りの声色。私のすぐ後ろをカップルが楽しそうに笑いながら通っていく。
先輩は私の両腕にそっと手を添えると、ゆっくりと私がバランスを直せるように支えてくれる。

「あ、ありがとうございますっ」

 先輩の顔をまともに見ることができず、私はすぐに体を離して、神社のほうへ視線を動かした。

「宵宮、もう始まってますね! 早く行きましょう!」

 自分の中に響く心臓の音を誤魔化すように、歩調を速める。

「おい、翠。急にそんな風に歩いたら転ぶぞ」

 斜め後ろから先輩の声が聞こえて来る。

「大丈夫です! もうだいぶ慣れてきたので」
「ほら、この通り!」と早足を続けると、先輩が「やめろ」と笑う声が聞こえてきた。
 その笑い声にさえ、胸が痛い。絶対に顔が赤くなっていると分かるから振り返ることもできないし、自分でも分かるくらい早口になっている。

――先輩は人にぶつかりそうになった私を助けてくれただけ!

 そう自分の心に何度も言い聞かせるけれど、顔に集まった熱はなかなか冷めてくれなくて、自分の頬を掌で扇いだ。

「……あつい」

 祭囃子が近付いてくる。なんだかその音は、私の心を囃し立てているように聞こえて、深く息を吐き出した。