章 破局
明里と二人で「安全な別れ方」を話し合った日の、わずか数日後の夜だった。
自室で過ごしていた私のスマホが、不気味なバイブ音を響かせた。
画面に表示された『柊』の一文字に、ドクンと心臓が跳ね上がり、背筋に冷や汗が伝う。
(……落ち着いて。大丈夫、二人きりじゃないんだから……)
深呼吸を一つ挟み、震える指で通話ボタンをスライドさせた。
「……もしもし、柊……?」
『おい、お前今どこにいんだよ!! 何してんだよ!!』
開口一番、スピーカー越しに響いたのは耳を刺すような怒号だった。
こちらの居場所を探るような言葉に背中がヒヤリと冷たくなる。居場所だけは絶対に明かさないよう、私は警戒しながら慎重に声を絞り出した。
「……今はちょっと……。急にどうしたの……?」
『あぁ!? のんきな声出してんじゃねぇよ! こっちは研修先でマジで胸くそ悪いことばっかなんだよ! 院長もうるせぇし、どいつもこいつも俺をバカにしやがって……!』
私の言葉など端から聞いていない。電話の向こうからは、柊が一人でブツブツと苛立ちを吐き出し、何かに当たり散らしているような物音と怒鳴り声が絶え間なく聞こえてくる。
『お前どこいんだよ! すぐ俺んとこ来いよマジで……あーイライラする! だいたい、お前と付き合ってからずっと運が悪いんだよ! 陰気くさくて気遣いもできねぇし、お前と一緒にいると俺のペースが全部狂うんだよ!』
自分のミスも研修先でのイライラも、すべて私のせいにして怒鳴り散らす男。
「し、柊……?」
『うっせぇな! もうお前と付き合ってんのアホらしくなったわ! 今日で別れだ、俺の足引っ張んな! 二度と連絡してくんな!!』
一方的にそれだけ怒鳴り散らすと、ガチャンッ!! と耳を突き刺すような凄まじい音とともに電話は切れた。
ツーツー、と無機質な切断音が静かな部屋に虚しく響く。
手の中で冷たくなっていくスマホを握りしめたまま、私はしばらく呆然と固まっていた。
あの日、別れを告げた私に激怒してリモコンを投げつけ、力でねじ伏せてまで執着してきた柊。
どうやって安全に縁を切るか、明里と真剣に頭を悩ませていたのに——まさか、研修先での八つ当たりで、こんなにもあっさりと向こうから勝手に振ってくるなんて。
悲しみやショックなんて、微塵も湧いてこなかった。
胸にあるのは、呆気なさすぎる肩透かしの感覚。
……けれど、それと同時に。
胸の奥で、ぬめりとした不気味な不安が首をもたげた。
(本当に……これだけで終わったの……?)
自分の思い通りにならないと気が済まない、あの自己中心的な柊が、頭に血が上って暴言を吐いただけで、本当にこれであっさりと引き下がるのだろうか。
割り切れない胸の騒ぎを抱えたまま、私はすぐに明里へ電話をかけた。
『ええっ!? 自分から振ってきたの!?』
事情を話すと、電話の向こうで明里が驚愕の声を上げた。
『あんなに執着して酷いことしておいて、仕事の八つ当たりで自分から別れるなんて言ってきたの……!?』
「うん……。あんなに悩んでたのが嘘みたいに呆気なくて……。でも、なんだかすごく変な感じがして」
『……うん。柚那、絶対に油断しちゃダメだよ』
明里の声が、すっと真剣なトーンに変わった。
『あの男だよ? 頭に血が上って八つ当たりしただけだし、自分の思い通りにならないと気が済まない奴なんだから。頭が冷めたら絶対にまた勝手なこと言ってくるよ』
「うん……そうだよね」
『何かあったらすぐ私や優奈ちゃんに連絡してね。絶対に一人で対応しちゃダメだからね!』
「ありがとう、明里……」
明里の言葉に、私は気を引き締め直して深く頷いた。
嵐の前の静けさのような、気味の悪い静寂。
(……あの男がいない時間を狙って、手元にある合鍵をポストに投げ込んで、今度こそ完全に縁を切らなきゃ)
私は静かな警戒心と決意を抱きながら、手の中のスマホをじっと見つめていた——。
明里と二人で「安全な別れ方」を話し合った日の、わずか数日後の夜だった。
自室で過ごしていた私のスマホが、不気味なバイブ音を響かせた。
画面に表示された『柊』の一文字に、ドクンと心臓が跳ね上がり、背筋に冷や汗が伝う。
(……落ち着いて。大丈夫、二人きりじゃないんだから……)
深呼吸を一つ挟み、震える指で通話ボタンをスライドさせた。
「……もしもし、柊……?」
『おい、お前今どこにいんだよ!! 何してんだよ!!』
開口一番、スピーカー越しに響いたのは耳を刺すような怒号だった。
こちらの居場所を探るような言葉に背中がヒヤリと冷たくなる。居場所だけは絶対に明かさないよう、私は警戒しながら慎重に声を絞り出した。
「……今はちょっと……。急にどうしたの……?」
『あぁ!? のんきな声出してんじゃねぇよ! こっちは研修先でマジで胸くそ悪いことばっかなんだよ! 院長もうるせぇし、どいつもこいつも俺をバカにしやがって……!』
私の言葉など端から聞いていない。電話の向こうからは、柊が一人でブツブツと苛立ちを吐き出し、何かに当たり散らしているような物音と怒鳴り声が絶え間なく聞こえてくる。
『お前どこいんだよ! すぐ俺んとこ来いよマジで……あーイライラする! だいたい、お前と付き合ってからずっと運が悪いんだよ! 陰気くさくて気遣いもできねぇし、お前と一緒にいると俺のペースが全部狂うんだよ!』
自分のミスも研修先でのイライラも、すべて私のせいにして怒鳴り散らす男。
「し、柊……?」
『うっせぇな! もうお前と付き合ってんのアホらしくなったわ! 今日で別れだ、俺の足引っ張んな! 二度と連絡してくんな!!』
一方的にそれだけ怒鳴り散らすと、ガチャンッ!! と耳を突き刺すような凄まじい音とともに電話は切れた。
ツーツー、と無機質な切断音が静かな部屋に虚しく響く。
手の中で冷たくなっていくスマホを握りしめたまま、私はしばらく呆然と固まっていた。
あの日、別れを告げた私に激怒してリモコンを投げつけ、力でねじ伏せてまで執着してきた柊。
どうやって安全に縁を切るか、明里と真剣に頭を悩ませていたのに——まさか、研修先での八つ当たりで、こんなにもあっさりと向こうから勝手に振ってくるなんて。
悲しみやショックなんて、微塵も湧いてこなかった。
胸にあるのは、呆気なさすぎる肩透かしの感覚。
……けれど、それと同時に。
胸の奥で、ぬめりとした不気味な不安が首をもたげた。
(本当に……これだけで終わったの……?)
自分の思い通りにならないと気が済まない、あの自己中心的な柊が、頭に血が上って暴言を吐いただけで、本当にこれであっさりと引き下がるのだろうか。
割り切れない胸の騒ぎを抱えたまま、私はすぐに明里へ電話をかけた。
『ええっ!? 自分から振ってきたの!?』
事情を話すと、電話の向こうで明里が驚愕の声を上げた。
『あんなに執着して酷いことしておいて、仕事の八つ当たりで自分から別れるなんて言ってきたの……!?』
「うん……。あんなに悩んでたのが嘘みたいに呆気なくて……。でも、なんだかすごく変な感じがして」
『……うん。柚那、絶対に油断しちゃダメだよ』
明里の声が、すっと真剣なトーンに変わった。
『あの男だよ? 頭に血が上って八つ当たりしただけだし、自分の思い通りにならないと気が済まない奴なんだから。頭が冷めたら絶対にまた勝手なこと言ってくるよ』
「うん……そうだよね」
『何かあったらすぐ私や優奈ちゃんに連絡してね。絶対に一人で対応しちゃダメだからね!』
「ありがとう、明里……」
明里の言葉に、私は気を引き締め直して深く頷いた。
嵐の前の静けさのような、気味の悪い静寂。
(……あの男がいない時間を狙って、手元にある合鍵をポストに投げ込んで、今度こそ完全に縁を切らなきゃ)
私は静かな警戒心と決意を抱きながら、手の中のスマホをじっと見つめていた——。
