柊からの不躾なLINEを受けてから数日後。
指定されたのは、少し格式のある落ち着いた和食料理屋だった。
「柚那ちゃん、急に誘ってしまって申し訳なかったね。柊が職場で毎日のように柚那ちゃんの話をするもんだから、どんな素敵な人なのかと思ってね。柊が就職して労いも兼ねて、僕から柊に頼んだんだよ」
現れた柊のクリニックの院長先生は、柔和な笑顔を浮かべた品のある男性だった。
「いいえ、お招きいただきありがとうございます。お会いできて光栄です」
社会人として失礼のないよう、落ち着いた服装と穏やかな笑顔で応える。
急な誘いに戸惑いはあったものの、職場の院長先生からの頼みとなれば断れるはずもない。
社会人としての付き合いとして私は参加せざるを得なかった。
私が丁寧にお酌をし、料理の取り分けや会話の受け答えにも気を配ると、院長先生は感心したように目を細めた。
「いやあ、本当に品があって気配りが行き届いた彼女さんだ。で、若い二人だけど、結婚なんかはもう考えてるのかい?」
「もちろんです。お互い仕事が落ち着いたら……ね?」
院長の手前、どこまでもいい顔をして、当然のように微笑んでみせる柊。
(結婚……? もう二度と、あなたと未来を描くことなんてないのに)
胸の中に冷たい冷気が広がる。
けれど私は社会人の顔を崩さず、
「……はい、まずは仕事を頑張ってから……」
と微笑んで頷いた。
やがて、院長先生が席を立った。
ふたりきりになった瞬間、柊は満足そうに目を細め、私の肩を引き寄せて髪を優しく撫でてきた。
「さっき院長、お前のことめちゃくちゃ褒めてただろ? やっぱりお前連れてきて正解だったわ。これからは院長の奥さんたちの集まりとかにもどんどん連れて行くからさ、また頼むな。……ほんと、柚那が俺の彼女で助かるわ。これからもずっと、こうやって俺のことサポートしてくれよ?」
どこか誇らしげで、愛おしそうに私を見つめる眼差し。
けれどその言葉の奥にある重い圧に、背筋が凍りつく。
(……怖い……)
私の仕事も、私の気持ちも何一つ見ようとせず、ただ『自分の都合の良いサポート役』として一生私を縛り付ける気なのだ。
(これからは院長夫妻の集まりにも連れて行く……? また人前に出されて、評価されるなんて……もう嫌だ……)
逃げ場のない圧迫感に、呼吸が浅くなるのを感じていた。
宴が終盤に差し掛かった頃、院長先生が「もう一軒、静かに飲める店に行かないか?」と柊を誘った。
「あ、私は明日も仕事がありますので、お二人でごゆっくり楽しんできてください」
私が気を利かせて辞退すると、柊は格好をつけるように財布を取り出し、「じゃあ気をつけて帰れよ」とタクシー代を出そうとした。
すると、院長先生がそれを手で制した。
「おいおい、柊。こういう時は院長の俺に任せるもんだよ。柚那ちゃん、急に呼び出して悪かったね。タクシーで安全に帰りなさい」
院長先生はそう言って、スマートにタクシー代を私に持たせてくれた。
「ありがとうございます。ごちそうさまでした」
お礼を言い、見送られながらタクシーに乗り込む。
窓越しに見えたのは、院長先生に揉み手でゴマをすりながら、嬉しそうに夜の街へ消えていく柊の姿だった。
院長の手前いい顔をして、私を都合よく利用して——。
(……もう限界。一刻も早く、こんな関係終わらせたい……!)
夜の街を滑るように走るタクシーの中、胸の奥で激しい焦りと拒絶感が渦巻く。
(明日……明日、彼の部屋に行って、ハッキリ別れを告げよう。この合鍵も返して、全部終わりにしよう)
もう1分1秒だって、彼の恋人でいたくない。
今度こそ絶対に引かないと、心の中で固く誓った。
自宅に着き、疲れた体のままベッドに倒れ込んだ直後。
静かな部屋に、スマホのバイブレーションが響いた。 画面に浮かび上がったのは、親友の明里からのメッセージだった。
指定されたのは、少し格式のある落ち着いた和食料理屋だった。
「柚那ちゃん、急に誘ってしまって申し訳なかったね。柊が職場で毎日のように柚那ちゃんの話をするもんだから、どんな素敵な人なのかと思ってね。柊が就職して労いも兼ねて、僕から柊に頼んだんだよ」
現れた柊のクリニックの院長先生は、柔和な笑顔を浮かべた品のある男性だった。
「いいえ、お招きいただきありがとうございます。お会いできて光栄です」
社会人として失礼のないよう、落ち着いた服装と穏やかな笑顔で応える。
急な誘いに戸惑いはあったものの、職場の院長先生からの頼みとなれば断れるはずもない。
社会人としての付き合いとして私は参加せざるを得なかった。
私が丁寧にお酌をし、料理の取り分けや会話の受け答えにも気を配ると、院長先生は感心したように目を細めた。
「いやあ、本当に品があって気配りが行き届いた彼女さんだ。で、若い二人だけど、結婚なんかはもう考えてるのかい?」
「もちろんです。お互い仕事が落ち着いたら……ね?」
院長の手前、どこまでもいい顔をして、当然のように微笑んでみせる柊。
(結婚……? もう二度と、あなたと未来を描くことなんてないのに)
胸の中に冷たい冷気が広がる。
けれど私は社会人の顔を崩さず、
「……はい、まずは仕事を頑張ってから……」
と微笑んで頷いた。
やがて、院長先生が席を立った。
ふたりきりになった瞬間、柊は満足そうに目を細め、私の肩を引き寄せて髪を優しく撫でてきた。
「さっき院長、お前のことめちゃくちゃ褒めてただろ? やっぱりお前連れてきて正解だったわ。これからは院長の奥さんたちの集まりとかにもどんどん連れて行くからさ、また頼むな。……ほんと、柚那が俺の彼女で助かるわ。これからもずっと、こうやって俺のことサポートしてくれよ?」
どこか誇らしげで、愛おしそうに私を見つめる眼差し。
けれどその言葉の奥にある重い圧に、背筋が凍りつく。
(……怖い……)
私の仕事も、私の気持ちも何一つ見ようとせず、ただ『自分の都合の良いサポート役』として一生私を縛り付ける気なのだ。
(これからは院長夫妻の集まりにも連れて行く……? また人前に出されて、評価されるなんて……もう嫌だ……)
逃げ場のない圧迫感に、呼吸が浅くなるのを感じていた。
宴が終盤に差し掛かった頃、院長先生が「もう一軒、静かに飲める店に行かないか?」と柊を誘った。
「あ、私は明日も仕事がありますので、お二人でごゆっくり楽しんできてください」
私が気を利かせて辞退すると、柊は格好をつけるように財布を取り出し、「じゃあ気をつけて帰れよ」とタクシー代を出そうとした。
すると、院長先生がそれを手で制した。
「おいおい、柊。こういう時は院長の俺に任せるもんだよ。柚那ちゃん、急に呼び出して悪かったね。タクシーで安全に帰りなさい」
院長先生はそう言って、スマートにタクシー代を私に持たせてくれた。
「ありがとうございます。ごちそうさまでした」
お礼を言い、見送られながらタクシーに乗り込む。
窓越しに見えたのは、院長先生に揉み手でゴマをすりながら、嬉しそうに夜の街へ消えていく柊の姿だった。
院長の手前いい顔をして、私を都合よく利用して——。
(……もう限界。一刻も早く、こんな関係終わらせたい……!)
夜の街を滑るように走るタクシーの中、胸の奥で激しい焦りと拒絶感が渦巻く。
(明日……明日、彼の部屋に行って、ハッキリ別れを告げよう。この合鍵も返して、全部終わりにしよう)
もう1分1秒だって、彼の恋人でいたくない。
今度こそ絶対に引かないと、心の中で固く誓った。
自宅に着き、疲れた体のままベッドに倒れ込んだ直後。
静かな部屋に、スマホのバイブレーションが響いた。 画面に浮かび上がったのは、親友の明里からのメッセージだった。
