壁の花がいたので婚約破棄させて連れ帰ってみた。


 それから三日後。
 馬車が一台、ギャランゼ砦の門の前へ到着する。
 使用人が一人降りてきて、ボックスの扉を開け、中の貴人へ手を差し出す。
 
「お足元にお気をつけください」
「ありがとうございます」
 
 降りてきた貴人を見た門兵は、目を丸くする。
 茶色い髪と、珍しい眼鏡の上質なドレスを着た女性。
 こんな戦場の最前線だった場所には不似合いな姿。
 どこぞの高貴なご令嬢だろうが――そんな貴人が来るという話は聞いていない。
 
「失礼。どなたかと面会のお約束を? 申し訳ないのですが、当方らはなにも聞いておりませんのでお通しするわけにはいかないのですが」
「先ぶれは出しているのですが、追い越してしまったのでしょう。わたくしの名はルシカ。ジルグロッセ様の元部下の一人。そしてこちらのご令嬢は、シャーリー・シャレルット様。ジルグロッセ様の婚約者です」
「えっ……」
 
 絶句。
 そして、あんぐりと口を開けたまま門の左右に立っていた門兵は顔を見合わせた。
 しかしすぐにハッとして「す、すぐに問い合わせます!」「どうぞ中でお待ちください!」と砦の中へと招かれる。
 門兵たちがまず、声をかけたのは自分の上司。
 上司から幹部に報告が上がり、幹部からジルグロッセの側近へ報告が上がり、側近の中でもジルグロッセの従者であるソルドへと報告がいく。
 それを聞いたソルドが大慌てで応接間に向かうと、そこにはお茶を飲むシャーリーと執事の男装しているルシカ。
 ルシカは元々戦士だ。
 メイド服よりも、執事服の方が動きやすいとこうなったのだろうと、予想はつく。
 シャーリーが魔法で誘拐された時に、一際悔やんでいたのは魔法を使えないルシカ。
 だからせめて近接での護衛を、確固たるものとしようとしたのではなかろうか。
 彼女の真面目さには、まったくもって頭が下がる。
 ではなく――。
 
「シャーリー様!? なぜギャランゼ砦に!?」
「会いにきました。ジルグロッセ様に」
「ジルグロッセ様に!? えっと、事前のご連絡は!?」
「送ったのですが、入れ違いになったのではないか、とルシカさんが……」
「ええ」
 
 ええ、ではない。
 仰天したソルドは口を開けたまま数秒固まって、それからハッとする。
 
「は、はい! わかりました! では、あの、すぐにジルグロッセ様をお連れします! 今しばらくお待ちください!」
「は、はい。よろしくお願いします!」
 
 門兵たちは背筋を正す。
 本物のジルグロッセの――最高責任者の婚約者!
 そして、幾度となくこの砦の生活環境の改善を行ってくれた『聖女』であり、本物の『アルヴァーニュの聖女』が目の前にいる。
 彼らにとっては衝撃に等しい。
 聖人、聖女は戦場に来ないものだ。
 彼らは人生で聖人にも聖女にもお目にかかれないと思っていた。
 そんな中で、聖女が目の前に現れる、という異常事態。
 
「ジルグロッセ様! ジルグロッセ様、大変です! ジルグロッセ様!」
「どうした」
 
 ソルドも大慌てでジルグロッセの執務室へと飛び込む。
 目を通し終わった書類の整理を他の部下と共に行い、海岸地域の立入禁止区域と管理に関する報告を受けていたジルグロッセに叫ぶ。
 
「シャーリー様が突然尋ねて来られました!」
「……………………は? なにを言っている?」
 
 心底怪訝そうに聞き返してくるジルグロッセ。
 そんなもの、ソルドだってそう思った。
 しかし来ているものは来ている。
 
「ともかく来てください!」
「お、おい、ソルド」
 
 腕を掴み、そのまま引きずって駆け下りる。
 応接間に叩き込むと、ジルグロッセはソファーに座るシャーリーの姿を見て固まった。
 長年の上司のこんなにわかりやすく動揺からの直立停止した姿は初めて見たかもしれない。
 
「は――? シャ、シャーリー? な、なぜここに……?」
「えっと……ジルグロッセ様に、会いに来ました」
 
 立ち上がったシャーリーがそう言って、ジルグロッセに近づいてくる。
 そしてまさか、ジルグロッセの手を握った。
 ギョッと目を見開くジルグロッセ。
 きっと『血まみれの手を聖女のシャーリーが握るなんて』とでも思っているのだろう。
 真剣な表情で見上げて、真っ直ぐにジルグロッセを見上げる。
 部下のほとんどが『血濡れの皇子』に畏怖を感じているのに、彼女はまったく恐れない。
 きっとそれが、上司にとっての“救い”なのだと見ていてわかる。
 見開かれた目。
 それがすぐに、愛おしいものを見つめる目に変わる。
 
「三日前に手紙を送ったのだが」
「え! よ、読んでいません! なにを書かれたのですか!?」
「無理をさせて申し訳なかった――と、いうのと、感謝を。君のおかげで帝都に捕らえていたロドリゲスが、偽者であったとわかった。そして、帝国の権威の安定も。それから――我が国の民に、顕現した神を直接崇める機会が得られたことも。君には感謝することがたくさんある。それを書いた」
「そうなのですね。けれど、どれも気にしなくていいのに……」
 
 二人、見つめ合う。
 戦場では鬼のような皇子が、見たこともないほど穏やかな表情をしている。
 こんなことがあるのか。
 感動すら覚えた。
 
「君はとても、頑張ってくれた。だから、君に読書を楽しむ“休暇”を与えてくれるように父やアビゲイルに頼んでいたんだ。なのに、君はこんなところに来て」
「ええ!? そのようなことを頼んでくださっていたんですか!?」
「今頃父に届いているだろう。すぐに帰った方がいいのではないか? なぜ俺に会いに来たのだ?」