あの時間を忘れる方法が あるなら

背中に感じる体温や安心する香りに包まれながらも、腰に回された腕にそっと手を触れさせる

「柊さんッ‥お疲れだと思いますからお風呂をすぐに入れますね。今日は遅くなってしまったので食事はコンシェルジュの方に何か頼みましょう」

本当は早く帰って食事の準備をしておきたかったけれど、流石に普段感じないほどの緊張やあれこれに私も疲れが出てしまっていた

『‥‥君にはさ‥欲はないのか?』

「欲ですか?‥‥そうですね‥‥こんな生活を送ってしまってると、欲も出ません。かなり私には夢のような日常ですから‥」

幼い頃はそれなりに旅行やおもちゃなどを買ってもらったり、ねだった事だってある

でも、借金を抱えてからは、色々我慢している両親や弟の前でいつの間にか言えなくなってしまったのかもしれない‥‥

でも‥‥ここに来てからは不満もなく、本当にそんなことなど思い浮かばないのだ‥‥

『君に何かしてあげれる事はないか?』

えっ?

ゆっくりと解かれる腕が私の肩を掴むと、柊さんと向き合うようにして見上げると美しい顔立ちの柊さんとグッと距離が縮まった

「それじゃあ‥今だけ‥いえ‥一度だけでいいので私の名前を呼んで貰えませんか?」

柊さんにとっては、契約上の相手の名前など興味もないと思うし、ましてや呼びたくないかもしれない‥‥

家でも当たり前に『莉奈』と呼ばれているし、それが契約上当たり前なことだと理解はしてるけど、私がいなくなってしまう様な寂しさを時々感じていた

「ッ!すみません!!やっぱりいいです!聞かなかったことにして下さい!ほんと‥疲れてるのにすみませ‥」

『結愛』

ドクン

優しい声色で耳に届いた私の名前に驚いて口が開いたまま上を見上げると、今までで1番優しく笑った柊さんがそこにいた

『結愛』

「ッ‥‥」

『結愛‥‥ありがとう‥‥俺は君に出会えた事が1番の奇跡だよ。』

視界が滲むほど涙が溢れると、柊さんが私を抱き寄せたので、私はその胸に頬を寄せて泣き続けてしまった