「……違う」
「はあ?」
「違うって……言おうと思った。でも、イラついて言えなかった」
「イラついたって、誰にだよ」
「かぁこ……」
ぽつりと呟かれた、彼女の三文字の名前。
いつの間にかつけられていた、ユキ専用のあだ名。
「なんでカナコちゃんにイラつくんだよ」
「紫藤のところに行くから」
「……紫藤?」
俺が尋ねれば、ユキは掻き上げた前髪をぐちゃぐちゃと掻き回す。
それは多分、頭の中の状態とイコール。
「紫藤がかぁこを欲しがってる。……そういう関係なのかもしれない」
ユキの声は、今にも泣きだしそうなほど弱々しい。
何年振りだろう。
それは、コタコ以来聞いたことがなかった、悩みに悩みぬいた声だった。
──『テストで点数が取れなくなった。学校に来れなくなった。多分、コタコは困ってるんだと思う』
「俺……おかしい。もう、ずっと変なんだ」
「どう変なんだ」
「かぁこの前だと、いつもの自分でいられなくなる。イラつくし、頭は回らないし、ずっと何かに焦ってる」
「何に焦る?」
「わからない。どうしたいのか、何がしたいのか。一向に解決しないんだ。だから考えたくない。なのに、アイツのことが頭から離れない」
「………」
「会いたくないって思うのに、身体が会いたがる」
「………」
「頭と身体が、俺の意志とは関係なく勝手に動く。ずっと支離滅裂で、俺の中がバラバラだ……」
ユキは長年、感情を自分には不要なものとして生きてきた。
それが突然。
自分の意思よりも、感情が先に動き始めたら、どうなるか。
──『さっきからずっと考えてる。でも、わからない』
──『なんで、この身体が勝手に動いたのか』
ユキにとっては深刻なバグ。
頭がおかしくなった状態。
たぶん、本人はそうとしか説明ができない。


