第1話 – 8ページ目:ガラス越しのまなざし
朝だった。
昨夜の雨がまだ街に残っている。空気は重く、湿った土の匂い、ガソリン、そして雨に濡れた葉の香りが混ざり合っていた。
ミヤが学校の正門を出た。
その足取りは、いつもより速い――まるで何かから逃げるように。
濡れた髪を無造作に耳にかける。
唇を噛みしめた。
小声で呟く。
「全部…あのクソバリスタのせいだ。」
声は掠れていた。
泣いているからじゃない。
怒りからだ。
いや、怒りよりももっと深い何かから。
道路の向こう側に…
小さなカフェがあった。
窓ガラスは曇っていて、中の黄色い灯りが外をより一層冷たく見せている。
イロはカウンターの中に立っていた。
カップを手に取り、布で拭いている…目的もなく、ただ何かをしているというだけのために。
彼の視線は、ふと窓の外へ向かった。
曇ったガラスの向こう…
影が見えた。
手の動きがゆっくりになる。
やがて、完全に止まった。
ミヤだった。
あの少女だ。
あの黒い髪…
あの確かな足取り…
あの、向こう岸にいてもなお感じられる誇り。
しかし、今日は――
何かが違う。
肩が、わずかに落ちている。
イロはカップをそっと台の上に置いた。
しばらくの間、ただ見つめていた。
そして、低い声で呟いた。
「この子…今日は何かある。」
背後から声がした。
「また詩人モードに入ってるの?」
カイサンだった。
朝の掃除に来る中年女性。いつも穏やかな笑みを目の端にたたえている。
イロは振り返り、微笑んだ。
「いや…ただ人を見てただけ。」
カイサンが外を見る。
ミヤがカフェの前を通り過ぎようとしていた。
「知り合い?」
イロは一瞬、間を置いた。
「…ちょっとだけ。」
カイサンは意味深に微笑む。
「じゃあ、彼女にコーヒーを入れてあげなよ。」
イロは軽く笑った。
「来るかどうかもわからないよ。」
しかし、その視線は――再び窓の外へと向かっていた。
ミヤが数歩先へ進む…
そして、突然、立ち止まった。
振り返る。
その視線は、正確にカフェへと向けられた。
曇った窓ガラスへ。
その奥に立つ影へ。
イロは動かなかった。
ただ立って…見つめ返した。
数秒。
短い時間だった…
しかし彼にとっては、これまでにないほど長い瞬間だった。
ミヤは先に視線を逸らした。
背を向け、今度はより速い足取りで去っていく。
しかし、彼女の唇が――
一瞬、震えた。
ほんのわずかに。
もし誰かが近くにいれば、きっと気づいただろう。
心の中で、彼女は呟いた。
「どうして…まだ私を見てたの?」
カフェの中。
イロはまだ窓辺に立っていた。
カイサンは物置へと戻っていた。
冷めたカップが彼の手にある。
しかし、一口も飲んでいなかった。
彼は窓の曇りを見つめる。
ゆっくりと滴り落ちていく水滴の跡を。
そして、静かに言った。
「まだ…終わってない。」
胸の中に、何かがあった。
恋ではない。
憐れみでもない。
ただ、ひとつのシンプルな感覚――
知らなければならない。
彼は思う。
「あの目…何かを隠している。」
