短い春が終わるころ。新しいクラスメイトがやって来た。
十七歳年上の、けれど、自分たちと同じ十七歳の男の子。
「藍沢ユキです。よろしくお願いします」
ぎこちなく頭を下げたその人の手が、太もものあたりでギュッと握られるのを花は見た。少しだけ、震えているようだった。
◆
制服の上に羽織っていたカーディガンの必要がなくなった朝。定刻通りやって来た市バスに、前の人に続いて花も乗り込む。車内は満席だった。
今日は運よく手すりの近くに立つことができてホッと胸を撫で下ろす。背が低い花は、つり革よりも手すりを掴むほうが安定して立つことができた。
花はバスの後方のほうへ目をやる。
いた。
後ろから二番目の座席、窓側に座る人。二週間ほど前に、花のクラスに復学した藍沢ユキという男子生徒。
花が乗るよりも前の停留所から乗っていて、いつも窓の外をじっと見ている。花は、ユキと同じクラスになって、彼が同じバスに乗っていると気付いてから、いつもひっそりとその姿を見ていた。
高校最寄りのバス停までは、ニ十分ほど。
その途中に、『海街医療研究センター前』というバス停がある。
「次は、海街医療研究センター前。海街医療研究センター前」
車内にアナウンスが流れる。それとほぼ同時に、車内にある液晶に映像が映し出される。白衣の男性と女性。『未来の医療へ繋ぐ』という女性の声とともに、コールドスリープ治療という文字が浮かぶ。
ユキは、十七年前、コールドスリープ治療の治験に参加した患者の一人だった。
「病気で長く入院をしていて、藍沢は君たちよりも年上だが……いや、同い年でいい……いいんですかね?」
ユキが花のクラスにやって来た日、先生の言葉にクラスの誰もが首を傾げた。
「俺は、十七年前、十七歳のときにコールドスリープ治療を受けています。みんなよりも生まれは早いですが、同じ十七歳、高校二年生です」
そう説明するユキは、困ったような笑顔だった。十七年前に十七歳ということは、彼は今、三十四歳のはずだ。
先生が途中から敬語になった理由も、足し算をして花は合点がいった。実年齢では、ユキのほうが先生よりも年上だからだ。進級したばかりのころ、先生は自己紹介として「三十三歳」と年齢を公表していたのを花は覚えていた。
花は、ユキを見かけるたびに、自分の身近にいる三十代の男性を思い浮かべる。母の従兄弟や父の兄弟たちはみんな、三十代である先生と同じような雰囲気を纏っていた。けれど、ユキは、どう見ても十七歳の男の子だった。花の同級生の男の子たちと何も変わらない。本当は三十四歳なんです、と言われても信じられないくらい。
見れば見るほど、ユキが不思議な存在で仕方がない。
ただ、花の興味を惹きつけたのは、それだけが理由ではなかった。
海街医療研究センターのコールドスリープ治療。
テレビや街中で見かけるその宣伝は、希望と期待に満ち溢れているように花には見えていた。
治療困難な病気も、ただ死を待つだけではない。医療が追い付くまで体の時間を止め、未来を生きていけるようにするための明るい希望。
目が覚めたあとの世界は、輝かしくて眩しい。本人も家族も、みんなが笑顔になれる選択。
花は、物心つくころにはコールドスリープ治療に対してそんなイメージを持っていた。
しかし、どうだろう。
目の前に現れたユキは、自己紹介で苦笑いを浮かべ、握った拳は微かに震えていた。それは、花にとって、コールドスリープ治療を終えた人のイメージと全く違うものだった。
流れる窓の景色を、ただじっと見つめるユキが、何を見て、何を感じているのか知りたくなった。十七年後の世界は、ユキにどう映っているのだろう。自分が見て、感じている世界とは全く違うものなのかもしれない。
ユキの横顔からは、そんなこと何も分からないと理解している。不躾に見つめることも失礼だと分かっていながらも、花はどうしても目が離せなかった。ユキに抱いた違和感は興味心になり、それを満たすように、花の視線はユキへと強く惹きつけられていた。
また、車内アナウンスが流れる。
「次は、第一東高校前。第一東高校前」
いつの間にか、もうこんなところまで来ていた。バスの中に乗っていた誰か。おそらく、花とユキと同じ高校に通う生徒の誰かが降車ボタンを押したのだろう。ユキの目が、窓の外から前を向く。花は、見ていたことがユキに見つからないように、そっとその視線を外した。
十七歳年上の、けれど、自分たちと同じ十七歳の男の子。
「藍沢ユキです。よろしくお願いします」
ぎこちなく頭を下げたその人の手が、太もものあたりでギュッと握られるのを花は見た。少しだけ、震えているようだった。
◆
制服の上に羽織っていたカーディガンの必要がなくなった朝。定刻通りやって来た市バスに、前の人に続いて花も乗り込む。車内は満席だった。
今日は運よく手すりの近くに立つことができてホッと胸を撫で下ろす。背が低い花は、つり革よりも手すりを掴むほうが安定して立つことができた。
花はバスの後方のほうへ目をやる。
いた。
後ろから二番目の座席、窓側に座る人。二週間ほど前に、花のクラスに復学した藍沢ユキという男子生徒。
花が乗るよりも前の停留所から乗っていて、いつも窓の外をじっと見ている。花は、ユキと同じクラスになって、彼が同じバスに乗っていると気付いてから、いつもひっそりとその姿を見ていた。
高校最寄りのバス停までは、ニ十分ほど。
その途中に、『海街医療研究センター前』というバス停がある。
「次は、海街医療研究センター前。海街医療研究センター前」
車内にアナウンスが流れる。それとほぼ同時に、車内にある液晶に映像が映し出される。白衣の男性と女性。『未来の医療へ繋ぐ』という女性の声とともに、コールドスリープ治療という文字が浮かぶ。
ユキは、十七年前、コールドスリープ治療の治験に参加した患者の一人だった。
「病気で長く入院をしていて、藍沢は君たちよりも年上だが……いや、同い年でいい……いいんですかね?」
ユキが花のクラスにやって来た日、先生の言葉にクラスの誰もが首を傾げた。
「俺は、十七年前、十七歳のときにコールドスリープ治療を受けています。みんなよりも生まれは早いですが、同じ十七歳、高校二年生です」
そう説明するユキは、困ったような笑顔だった。十七年前に十七歳ということは、彼は今、三十四歳のはずだ。
先生が途中から敬語になった理由も、足し算をして花は合点がいった。実年齢では、ユキのほうが先生よりも年上だからだ。進級したばかりのころ、先生は自己紹介として「三十三歳」と年齢を公表していたのを花は覚えていた。
花は、ユキを見かけるたびに、自分の身近にいる三十代の男性を思い浮かべる。母の従兄弟や父の兄弟たちはみんな、三十代である先生と同じような雰囲気を纏っていた。けれど、ユキは、どう見ても十七歳の男の子だった。花の同級生の男の子たちと何も変わらない。本当は三十四歳なんです、と言われても信じられないくらい。
見れば見るほど、ユキが不思議な存在で仕方がない。
ただ、花の興味を惹きつけたのは、それだけが理由ではなかった。
海街医療研究センターのコールドスリープ治療。
テレビや街中で見かけるその宣伝は、希望と期待に満ち溢れているように花には見えていた。
治療困難な病気も、ただ死を待つだけではない。医療が追い付くまで体の時間を止め、未来を生きていけるようにするための明るい希望。
目が覚めたあとの世界は、輝かしくて眩しい。本人も家族も、みんなが笑顔になれる選択。
花は、物心つくころにはコールドスリープ治療に対してそんなイメージを持っていた。
しかし、どうだろう。
目の前に現れたユキは、自己紹介で苦笑いを浮かべ、握った拳は微かに震えていた。それは、花にとって、コールドスリープ治療を終えた人のイメージと全く違うものだった。
流れる窓の景色を、ただじっと見つめるユキが、何を見て、何を感じているのか知りたくなった。十七年後の世界は、ユキにどう映っているのだろう。自分が見て、感じている世界とは全く違うものなのかもしれない。
ユキの横顔からは、そんなこと何も分からないと理解している。不躾に見つめることも失礼だと分かっていながらも、花はどうしても目が離せなかった。ユキに抱いた違和感は興味心になり、それを満たすように、花の視線はユキへと強く惹きつけられていた。
また、車内アナウンスが流れる。
「次は、第一東高校前。第一東高校前」
いつの間にか、もうこんなところまで来ていた。バスの中に乗っていた誰か。おそらく、花とユキと同じ高校に通う生徒の誰かが降車ボタンを押したのだろう。ユキの目が、窓の外から前を向く。花は、見ていたことがユキに見つからないように、そっとその視線を外した。


