ミドサーですが、うっかり恋に堕ちまして

 温泉旅行から数日後。

午前中の処置がひと段落し、病棟にはようやく少しだけ穏やかな時間が流れていた。

 私は休憩室でお昼ご飯を食べていた。

 向かいでは田辺さんたちがなにやら盛り上がっていて、

丁度そこへ高柳先生がやってくる。

「おつかれさまです、高柳先生」

 若手の看護師の一人が声を掛ける。

「おつかれさまです」

 先生は丸椅子に座りながら、白衣のポケットから缶コーヒーを取り出す。

「あ、そうだ先生。お土産、ごちそうさまでした」

「少しで申し訳ないですけど」

 先生は缶のプルタブを持ち上げながら返事をする。

 私は特別に休暇を取ったわけではなかったから旅行に行ったことを伏せ、ふたりで購入したお土産は"高柳先生から"という事にしてあった。

「旅行、彼女と行ったんですか?」

 質問の内容に危うく飲んでいたお茶を吹きそうになる。

なに聞いてるの!と、心の中で叫ぶ。

「やめなよ、先生困ってるから」

 田辺さんがやんわり注意する。でも、

「えー。だって気になるじゃないですか、高柳先生あんまり休まないイメージだったから」

 先生は少し考えると、チラリと私をみる。

「そうですよ。彼女と行きました」

休憩室がしん、と静まり返る。

ーーえ⁉︎ 先生まで何を言ってるの?

私は箸を持ったまま固まった。

「相手って私たちの知ってる人ですよね?」

 先生の彼女が誰なのか知っている様な口振り。
でも、先生は顔色ひとつ変えない。

「秘密です」

「でも絶対病院の人ですよね!」

「いずれ分かります」

 先生の視線がふっとこちらへ向いて、一瞬だけ目が合う。

心臓が止まりそうになる。

「なにそれ、めっちゃ気になる〜」

 みんなが盛り上がる中、

私は逃げるようにお弁当を片付け、休憩室を後にした。

ーー先生置いてきちゃった……。

でも、あの様子なら問い詰められても大丈夫そうだ。

 私はスタッフステーションに戻ると、午後の仕事に取り掛かる。

明日の手術予定を確認し、担当を割り振る。臨時の指示が出ていないか電子カルテを更新する。

忙しくしていれば、余計な詮索をされることもない。



 週末、私は芙美と待ち合わせしていたカフェへ向かっていた。

もちろん一人ではない。隣には高柳先生……遥がいる。

「緊張してます?」

 思わず聞くと、

「少し」

 と正直に頷く。

「真夏さんの、大切な人の親友ですから失礼がないようにしないと」

ーー大切な人。

胸の奥がじんわり熱を帯びる。

先生の口からそんなふうに言ってもらえる日が来るなんて、少し前まで想像もしていなかった。

「そう思ってもらえてうれしいです。とってもいい子です。……少しグイグイくる感じはあるかもだけど」

「グイグイ……」

 遥の表情が強張る。

怖がらせちゃったかもしれない。

でも、会ってもらえば彼女の良さは分かってもらえるはずだ。

 店へ入ると、窓際の席に座る芙美がこちらへ気付く。

「真夏!」

 手を振ったあと私の隣に視線を向けて、珍しいものでも見たような顔をする。

「本当に連れてくるなんて」とでも言いたげな顔だ。

「はじめまして。高柳です」

 遥は爽やかな笑顔で頭を下げる。

「はじめまして、園田です。真夏がいつもお世話になってます」

「いえ、こちらこそ」

 芙美も笑顔で挨拶をしてお互いの第一印象は悪くなさそうだ。

 ……よかった。

私はホッと胸を撫で下ろす。

ランチ時と言うこともあり、私たちはそれぞれ好きなものをオーダーする。

 芙美がサラダを一口食べて言った。

「それで、真夏のどこが好きなんですか?」

 私は大慌てで口を挟む。

「ちょっと、芙美!」

「いいじゃん、ちゃんと知っておきたいの」

 悪びれもせず言う。

「全然よくないから、先生だって困って……」

「全部です」

 迷いなく答えてくれる。

芙美は少し驚いていた。自分でけしかけたクセに。

「全部って、ずいぶんざっくりしすぎじゃない?」

「じゃあ具体的に言いますか?」

 遥は急に真面目な顔になる。

聞きたいけど、聞きたくない。葛藤の狭間で私は揺れ動く。

そんな私の気持ちを知らずに。「もちろん聞かせて」と、芙美は遥の言葉を待つ。

「では」そう言って遥はコホンと咳払いをした。

「優しくて責任感が強いところ。患者さん一人ひとりに真摯に向き合うところ。頑張りすぎるところは心配だけど、笑顔が可愛いし、料理も上手で、俺のことを甘やかしてくれるところも好きです」

 スラスラと紡がれる言葉。これはすべて私が普段努力を積み重ねてきたことばかりだ。

「ストップストップ、もう分かったって!」

 芙美が制止する。

「まだあるんですけど」

「だってよ、真夏」

 芙美は私を見てニヤリと笑った。

ーー恥ずかしい。でも、嬉しい。

顔が紅潮していくのが分かって私は両手で覆った。

「先生は真夏のこと本気で好きなんですね」

「はい、本気です」

「高柳先生」

 芙美の表情が少しだけ真面目になる。

「ひとつだけ言っていい?」

「もちろんです」

 先生は真っ直ぐ頷く。

 芙美は私を見て、それから先生を見る。

「真夏って、こう見えてそんなに若くないでしょう」

 その通り、なのだけれどなにを言い出すのか怖い。

「芙美!」

「ちょっと黙ってて! この人ね」

 芙美が続ける。

「人のためなら自分を後回しにするの。我慢もするし無理もする」

「知ってます」

 即答する先生に芙美は少し驚いた顔をする。

「……じゃあ話早いわ。真夏のこと大切にしなかったら許さないから」

「その時は殴られても仕方ないと思います。もちろん、そうならないようにしますけど」

 芙美が目を丸くする。

「あはは、さすがに殴らないけど男気あるじゃん、高柳!」

「芙美さんに認めてもらえてうれしいです」

「いや、まだだけど。認めてもらいたいなら行動で示して!」

 私は思わず吹き出した。気付けば芙美も笑っている。

その様子を見て先生も少しだけ笑った。

たぶんこの瞬間、芙美はようやく安心できたのだと思う。

私が、本当に大切にしてくれる人と出会えたから。