*高柳side
造影CTの画像を見た瞬間、俺は小さく眉を寄せた。
虫垂は明らかに腫大している。周囲脂肪織濃度も上昇し、穿孔一歩手前。
同僚医師の見解も同じだった。
(……オペするなら今日中だな)
電子カルテへ所見を入力しながら、小さく息を吐く。
脳裏に浮かぶのは、今夜の予定。
浅川さんとの花火大会のこと。
浴衣姿を見たいって言ったら、笑って了承してくれた。
俺の方が彼女よりもきっと楽しみにしている。
でも、医者として優先すべきものを間違えるほど浮ついてるわけじゃない。
カルテを閉じると、看護師を連れて病室へ向かった。
ノックをして中へ入る。
「失礼します」
松木さんは俺の顔を見るなり、
「検査結果どうでした?」
と尋ねてくる。
「虫垂がかなり腫れています。炎症も強いので、本日手術しましょう」
「今日?」
松木さんが顔をしかめる。すぐにでも同意を得たいのだけれど……。
「できるだけ早い方がいいですね。穿孔して腹膜炎を起こすと厄介です」
説明を続けるうちに、彼の表情はどんどん曇っていく。
「ご家族にも説明したいので、どなたか病院へ来ていただけますか?」
基本的に本人以外の同意も必要だ。
すると松木さんは少し考える素振りを見せてから言った。
「じゃあ真夏呼んでくれます?」
思わず眉を寄せる。
――浅川さんは家族じゃないだろ。
「申し訳ありません。浅川は夜勤明けで退勤しています」
ついさっき、帰る後ろ姿を見送ったばかりだ。
まだ院内にいる可能性はある。
でも、呼び戻すつもりはなかった。
「ご両親は都内にお住まいですよね? 来ていただけるよう連絡してもらえませんか?」
家族情報は確認済みだ。
松木さんは不満げに
「……分かりましたよ」
と答える。
彼の両親が到着したら改めて病状説明を行うことにして、先に本人への説明を始めた。
手術内容、合併症やリスク。術後の経過などを丁寧に説明する。
更に追加検査と麻酔科診察についても説明をし同意書にサインをもらおうとしたその時だった。
「先生さ」
「はい」
「真夏の何なの?」
不意打ちすぎる質問だった。
一瞬、言葉に詰まる。
「……それ、診療に必要ですか?」
「必要だから聞いてるんですよ。答えてもらえます?」
答えるまで終わらせる気がないらしい。
仕方なく息を吐く。
「浅川とは仕事上の関係です」
事実だけを淡々と述べる。
嘘はついてない。彼女と俺はただの同僚だ、まだ今は。
「へぇ」
松木さんはまるで挑発するみたいに片側の口角だけ上げて笑った。
「でも真夏、先生の前だとちょっと雰囲気違うんだよな。先生だって満更でもないんでしょ?」
同席していた看護師が気まずそうに視線を逸らした。
――最悪だ。絶対あとで噂になるやつじゃないか。
それでも俺は表情を崩さなかった。
俺も浅川さんも、疑われるような態度は取っていないはずだ。
「気のせいでは?」
余計なことは言わない。
感情的になったら、相手の思う壺だ。
「先生、若いよね。いくつ?」
「三十二です」
若い、とは言えない年齢だと思う。
でもきっと松木さんが言いたいのは年の話ではない。
「真夏に年下は合わないと思うな。あいつ恋愛慣れしてないし、付き合うと結構面倒だよ」
まるで自分だけが彼女を知っているみたいな言い方だった。
胸の奥がざわつく。
でも、それを表へ出すわけにはいかない。
俺は深く静かに息を吐く。
「説明は以上です。質問はありますか?」
「質問ていうか、主治医、変えてもらえます? 真夏狙ってる男に腹切られるの嫌なんだよな。しかも若いし」
松木さんの主治医から外れる事は、俺にしてみれば願ったり叶ったりだ。
だが、
「主治医を替えると本日中の手術が難しくなりますが?」
他の外科医は予定手術で手一杯で、明日以降の対応になるだろう。
「それは困る……」
「安心してください。僕は外科医として優秀なんで」
言った瞬間、自己嫌悪した。
(……あんなのに張り合おうとするなんて俺もまだまだだな)
病室を出た途端、どっと疲れが押し寄せた。
松木さんはあれ以上の要求はしてこなかった。
いや、出来なかったと言った方がいいだろう。
おそらく、痛みはかなり強いはずだ。
早急に手術を勧めたいが、オペ室がいっぱいで入室時間は十五時をすぎるだろう。
絶対に間に合わせるーーそう心に決めた。
今日は長い一日になりそうだ。


