ミドサーですが、うっかり恋に堕ちまして


 数日後。私は駅前のイタリアンレストランの前でスマホを眺めていた。

《ごめん五分遅れる! ミーティング長引いた。クソっ!》

 そのメッセージに思わず笑ってしまう。

「相変わらず忙しそう」

 高校時代からの親友、園田芙美(そのだふみ)

大手商社勤務。仕事ができて、要領もよくて、昔から周囲の憧れの存在だった。

それなのに気取ったところがなくて、一緒にいると不思議と素のままでいられる。

「真夏ー!」

 振り返ると、ジャケットを肩に掛けた芙美が手を振っていた。

 長い髪を一つにまとめ、カツカツとヒールを鳴らしながらこちらへ走ってくる。

「ごめん待った?」

「ううん。今来たとこ」

「絶対ウソ! どれくらい待ってた? 二十分か? 正直に白状しろ~」

 見透かされてしまい、笑って誤魔化す。

「あはは。まあ、それくらいかな」

 店へ入ると、平日の夜なのにかなり賑わっていた。

案内された席へ座り、とりあえずビールを頼む。

「で?」

 メニューも見ずに芙美がニヤリと笑う。

「浴衣借りたいだけで、真夏が私を夕飯に誘うわけないんだよねぇー」

「そんなことないよ!」

「あるね」

 即答だった。彼女は昔から勘が鋭い。

 ビールが運ばれてくるとグラスを軽く合わせたあと、私は観念して口を開いた。

「……実はね」

「うん」

「最近、ちょっと気になる人がいて」

 分かりやすいくらいに芙美が固まる。

「……は⁉ はぁ~⁉」

 店内なのに大きな声を出すから慌てて周囲を見回す。

「しっ、声大きいって!」

「だってあんた“恋愛休業”とか言って五年くらい仙人みたいな生活してたじゃん!」

 仙人……どこかで聞いたセリフだ。

「仙人ではないんだけど」

「で? どんな人?」

 完全に前のめりだ。

 私は苦笑しながら、ビールを一口飲む。

「病院の同僚」

「医者⁉」

「声! ちょっと抑えてってば」

 隣の席に座っているマダムの視線が痛い。

「ごめん。でもそれはテンション上がるでしょ!」

 芙美は面白がるように目を輝かせた。

私は話したことを少しだけ後悔し始める。

「年上?」

「三つ下」

「は? え、待って。年下? 真夏が?」

「そんな驚く?」

「驚くわ!」

 運ばれてきた前菜をつつきながら、ポツポツと高柳先生のことを話した。

食事に行ったこと。

三浦へドライブに行ったこと。

ツーショット写真を待ち受けにしたこと。

花火大会へ誘われたこと。

「なにそれ。ほぼ彼氏じゃん」

「違うって!」

「いや違わないでしょ! 待ち受け見せてみなよ」

 ほれ、と手を出される。

でも、恋人ではないからこそ見せるわけにはいかない。

「ダメ」

「ケチだねー」

 芙美は呆れたように笑う。

「で、真夏は好きなの? その先生のこと」

 その質問に、言葉が詰まる。

「……分かんない」

「分かってるクセに」

 芙美はまるで私の心の奥を見透かすように言う。

「そういうとこ、素直じゃないんだから。まあ、それが真夏なんだけどね」

その時、店員がパスタを運んできた。

私は話題を逸らすようにフォークを手に取る。

「美味しそう! 早く食べよう」

「でもさぁ」

 構わずに芙美は続ける。

「真夏がまた誰かを好きになれそうで安心した」

「……え?」

「だってあの時、本当にボロボロだったじゃん……あ」

 芙美が気まずそうに口を閉じる。

「ごめん。思いだしたくないよね」

「ううん、もう平気」

 なんて嘘だ。あの頃の傷はまだ完全に癒えたわけじゃない。

「そっか。ならよかった。……実はさ」

 芙美が少し迷うように視線を逸らす。

「翔、離婚したんだよね」

「……え?」

 思考が止まる。

「半年前くらいかな」

――やっぱり聞きたくない。

そう思ったのに、声が出ない。

松木翔(まつきしょう)

初めて本気で結婚を考えた人。

彼は芙美の紹介だった。

自分の同期で紹介したいやつがいると。

いいやつだから一度会ってみないかと。

だから私と翔が別れた時、芙美は自分を責めた。

「……へぇ、そうなんだ」

 どうにか相槌を打つ。

「しかも最近、真夏どうしてるって聞かれて」

 芙美は困ったように続ける。

「私?」

「うん」

 冗談だと思いたい。

五年前に別れてからなんの連絡もしてこなかった人なのに。

「今さら何なのって感じだけどね」

 芙美が吐き捨てるように言う。

たぶん、怒ってくれているのだ。

私が泣いていた日々を知っているから。

「……そうだね。もう終わったことなのにね」

 そう呟いてグラスへ視線を落とす。

彼への未練もこの泡のように跡形もなく消えてくれたらよかったのに。

翔との思い出は心の中にまだ留まっている。

「それより浴衣! 真夏に絶対似合うのあるから!」

 すると芙美がわざと明るい声を出す。空気を変えようとしてくれているのが分かった。

だから私も明るく振舞う。

「派手なのは嫌だからね」

「大丈夫。ちゃんと“大人のいい女”になれるの貸してあげる。あんた、素材はいいんだからうまく化けなさいよ!」 

 芙美がニヤリと笑う。

その時、テーブルに伏せたスマホが震えた。

「ごめん」

 断ってから画面を見た。

【高柳先生】

 たったそれだけで、沈んでいた気持ちが浮上する。

芙美が私の変化を見逃すはずもなく……。

「メッセージ、例の先生から?」

 芙美はニマニマと私の顔を見つめて嬉しそうに笑う。

「……なんでわかるの」

「顔! めちゃくちゃ恋してる顔してる」

「だからそんなんじゃないって」

「あーはいはい。何年親友してると思ってんの? なるほど、これはマジで翔に勝算なしだわね。諦めろって言っておく」

 芙美はそう言ってくれたけれど、私たちは数日後に再会することになってしまう。