イケメン義弟に何度お見合いをさせても、フラグを折って戻ってきてしまいます

 3.ようやくお金を手に入れました



 回る回る、色とりどりのドレスの華。
 絞られた幻想的な照明の下、仮面の紳士淑女たちが相手を変えて踊り明かす。
 招待状が届いた者であれば、今夜は無礼講。
 身分の高き低きを問わず、目くばせひとつで泡沫の夢を見られる、一夜限りの舞踏会。


 
「……場違いだわ」

 アリスターシャは呻いた。大抵の呟きは、楽団が奏でている音楽でかき消されてしまうだろう。それを隠れ蓑に、アリスターシャは言いたい放題だ。

「やっぱり来るんじゃなかった。何なのよ、この茶番。約束の半年も過ぎちゃったし、信じるんじゃなかったわ、あの嘘つき」

 いや、お互い様かもしれない。
 アリスターシャだって、セレンナーグの制止を聞かずにロレインとの婚約話を受けたのだから。結婚式の日取りも決まりつつある。
 ――だからセレンは、エリザンド様と一緒にいるのかもしれないわね。
 きっとアリスターシャに愛想を尽かしたのだ。
 
「華やかすぎて落ち着きませんね」

 ロレインが長身を屈め、耳打ちをしてきた。耳朶に生暖かい息が吹きかかる。
 反射的に鳥肌が立ってしまい、アリスターシャは目元と鼻先までを隠す銀の仮面の下で顔をしかめた。
 公爵家、それも王家と縁の深い由緒正しいグログラード家主催の舞踏会ともなれば、たとえ匿名性が高くとも最上級のドレスコードが求められる。当然、リンデン伯爵家にそれに値するようなドレスはない。だからアリスターシャの衣装は、ドレスから小物まで、全てロレインが準備した。落ち着いた赤のドレスは、流行を追いながらも伝統を感じさせる代物で、なかなかに趣味がいい。なにより、顔立ちのはっきりしているアリスターシャによく似合っていた。それがどこか腹立たしい。
 ――このまま結婚することになるのね、この人と。
 内心で諦観を覚えながら、ロレインに手を引かれるまま二度目のダンスに繰り出そうとしたアリスターシャの背中を、しわがれた囁きが打った。

「リーシャ様」

 愛称を、確かに呼ばれた。
 振り向くと、老齢の従僕が頭を下げていた。立派なお仕着せを着ている。公爵家の使用人だろう。
 従僕は仮面のアリスターシャに目交ぜをすると、踵を返し、人波を縫うように歩き出した。アリスターシャは一瞬の逡巡ののち、ロレインとともに彼の後を追う。
 眩暈がするほど豪奢な大広間を出て、幾つもの控えの間を通り過ぎ、赤絨毯の敷きつめられた大階段を四階までのぼる。その先の廊下を右手に折れると、明らかに居住空間と知れる部屋の扉が幾つも現れ、アリスターシャはうろたえた。
 従僕は足を止めることなく、アリスターシャたちを導く。ロレインも戸惑っているようだ。彼は平民だから、余計に気後れするだろう。
 乗りかかった船、と覚悟を決めてついていくと、突き当りに近いひとつの部屋の前で、やっと従僕が歩みを止めた。
 
「お二人とも、こちらのお部屋へどうぞ。すぐに侍女が参ります」

 通された室内は居室のひとつのようだった。だが、人が使用している気配はない。グログラード公爵家ともなれば、部屋も有り余っているのだろう。
 勝手にソファに座るのもためらわれて、窓辺に佇み、繊細なレースの向こうの風景を見るともなしに見たアリスターシャは、遠くに見える別棟の廊下に、二人の男女の姿をみとめた。
 女性の素性は、ドレスで分かる。本日の仮面舞踏会の主催者として一同に紹介された、グログラード公爵夫人だ。
 だが、男の方には見覚えがない。グログラード公爵の服装とは異なるようだし、どうにも若すぎる。
 突然、二人が抱き合った。男が女に深く覆いかぶさり、濃厚に絡みながら室内へと消えていく。
 ――不貞行為。
 アリスターシャは声を洩らしそうになって、口元を抑えた。
 侍女が入ってきてお茶の準備をしている間も、アリスターシャは窓の向こうの光景に気を取られたままだった。
 すると、

「さすが姉上、勘が鋭い。僕が何も言わなくても大丈夫そうですね」

 聞き慣れた声が響いて、アリスターシャは弾かれたように扉の向こうを見つめる。
 そこにはセレンナーグが、いたずらっぽい笑みをたたえて立っていた。

「セレン……!」

 直接話すのは半年ぶりだ。こんなに離れたことは、今まで一度もなかった。
 駆け寄ろうとしたアリスターシャを制するように、セレンは一歩下がり、慇懃な仕草で一礼した。
 
「ご無沙汰しております。姉上と、それからモルド氏。あなたとはほとんど初対面ですね。初めまして、アリスターシャの義弟のセレンナーグ・リンデンです」
「ああ、セレンナーグ様。初めてお目にかかります。しかし、このような場所で、なぜ」
「僕たちの企みの仕上げを特等席でご覧いただきたく、ご招待したのですよ」

 そう告げると、セレンナーグは部屋の灯りを消した。
 
「え、なんで?」
「明るいと、向こうからも見えちゃうからね。――侍女は残しておきますから、どうぞそのまま鑑賞ください。僕は役者の一人なので、参加してこなきゃならないんですよ」
 
 暗くなった室内に戸惑うアリスターシャを安心させるように、「すぐに終わりますから。そうしたら明かりを点けていいですよ」と言い置いて、セレンナーグは部屋を出て行った。
 何が起きているのか、いまいち飲み込めないアリスターシャだったが、セレンナーグを追うのは諦め、彼が言った通りに窓の外へと目を凝らす。
 いつの間にかロレインも隣に来てアリスターシャに寄り添ったが、ここには侍女がいる。少し身をこわばらせたものの、なんとか心を落ち着け、並んで別棟を見つめる。
 やがて、視線の先の廊下にセレンナーグが姿を現した。先程アリスターシャたちを案内した従僕と、若い従僕の二人を伴っている。
 男女がなだれ込んだ居室の前で彼は止まった。
 懐から何かを取り出したようだ。鍵のように見える。
 ――なんでセレンがあの部屋の……たぶん公爵夫人の寝室の鍵を?
 疑問を抱く暇もなく、セレンナーグは鍵を回して扉を開け放った。
 寝室にセレンナーグが吸い込まれていき、しばらくすると、例の若い男が半裸で飛び出してきた。そのまま逃げ去ろうとした男を、あの老齢の従僕が馬乗りになって取り押さえる。暴れる男をものともしない。
 男は両手首を背中側で縛られ、立ち上がらされた。老従僕と若い従僕に肩を掴まれ、アリスターシャたちの視界から消える。
 ややして、はしたないほどドレスを乱した公爵夫人が、まろぶような足取りで寝室から姿を現した。
 扉にすがりつくようにして立っていた公爵夫人は、突然、ある一点を見つめて動きを止めた。――視線の先には、グログラード公爵が。ここからは距離がある上に、横顔しか覗いていないせいで、公爵の表情はアリスターシャには窺い知れない。
 公爵夫人は全身の力を失ったかようにへたり込むと、髪をかきむしりながら天を仰ぎ、激しく喉元を震わせた。
 夫人の寝室からやっと出てきたセレンナーグは、彼女を一瞥もせずグログラード公爵に近づき、一礼してから何かを手渡した。たぶん、寝室の鍵だ。
 そしてセレンナーグも退場し、アリスターシャたちから見えるのは公爵夫妻だけとなった。
 狂人のごとく泣き叫び続ける公爵夫人を直視できず、アリスターシャはそっと目をそらした。
 見せられたのは、おそらく、王族の血に連なる姫君だった公爵夫人の破滅の一幕だった。
 
「……セレンは何をしたの?」
「おそらく、取引でしょうね」

 アリスターシャの呟きは、問いかけではなかったが、ロレインは尋ねられたように受け取ったようだ。

「取引って――」
「恐れながら、アリスターシャ・リンデン様。のちほどご令弟より詳細なお話があるかと」

 アリスターシャの質問を遮るように侍女がそう述べることで、悲喜劇は強制的にお開きとなった。