事態がいまだ飲み込めていないアリスターシャと、イデス邸で待機していた両親、そしてメイサを追い立てるように乗せて、二台の馬車は帰路を急ぐ。セレンナーグは一人、したり顔だ。
あの様子では、今回も破談になるだろう。
ミクリアルたちの態度もおかしかったが、ろくな挨拶もせず立ち去るなんて、イデス侯爵家に対する礼を失している。後で詫び状を書かないとならない。
父母が乗ってきた小さな馬車に乗り換え、セレンナーグと二人きりで話す機会を作ったアリスターシャは、暑苦しい鬘を剥いで義弟に詰め寄った。
「で、何だったの一体? 説明してちょうだい」
アリスターシャの向かいに座ったセレンナーグは、何から話そうか思案するように、曲げた人差し指を顎の下へ押し当てた。
「あの歓待ぶり、変だと思いませんでしたか。僕は貧乏伯爵家の養子です。金は持っていないし、家格だって低い。なのに出迎えてくれた皆さん、実に好意的だった」
「確かに妙だとは思ったけど、ミクリアル様は三女だから溺愛されてて、多少の我がままは通るのかなって……」
「姉上は、そういうところが世間知らず――いや、可愛らしいですね」
アリスターシャは半眼で義弟を睨んだ。
「ふざけてるの?」
「いいえ、義父様と同じでお優しいなと」
「お父様と似ていたら困るのよ!」
「まあまあ、言葉のあやですよ」
気持ちを落ち着かせるように両手のひらをアリスターシャの方へ向けて、セレンナーグはあからさまな作り笑いを浮かべる。
「……わかった、その話は後にするわ。なんであなたの一言でお見合いが駄目になったのか、その訳を教えて」
あの父に似ているなどと、看過できない発言だが、とりあえず今は保留だ。それより見合い話の方が大切である。
アリスターシャが譲歩すると、セレンナーグは背もたれに深く身を預けた。軽く腕を組む。
「――ミクリアル嬢には、お子がいらっしゃるんですよ」
「え?」
「二年ほど前、旅の役者と一夜を共にしたらしいです。よっぽど色男だったんでしょうね。そして子ができてしまった」
「何、それ」
「社交界ではうまく『病気療養』で隠せていたようですが、ちょっと調べたら、すぐに出てきましたよ。裕福な侯爵家の令嬢が、貧乏伯爵家の後妻の息子で妥協する理由」
まあ、とセレンナーグは続ける。
「姉上の言う逆玉を狙うなら多少の瑕疵には目を瞑らなきゃならないと思ったんですが、ご令嬢自身があんなに打たれ弱いんじゃつまらないなあと」
セレンナーグから明かされた衝撃の事実に、アリスターシャはもう二の句が継げない。
前言撤回、アリスターシャは父とそう変わらないではないか。うまい話の裏を考えようとせず、簡単に目の前にぶら下げられた餌に飛びついた。充分世間知らずだ。
沈黙をどう捉えたのか、セレンナーグは腕組みを解き、申し訳なさそうに頭を下げた。
「……ごめんなさい。僕がおとなしく婿入りしていたら、きっと姉上が望む通り、イデス侯爵家からそれなりの援助を受けられたと思います。姉上の努力を、僕は無駄にしてしまった。謝って済む話じゃありませんが、謝罪します」
「……なによ、馬鹿にして……!」
アリスターシャの唇からこぼれた呟きを受けて、セレンナーグは戸惑ったように目をまたたかせた。言葉の真意を測りかねているのだろう。
アリスターシャは真正面からセレンナーグを見ることができず、ふいと横を向いた。
「行かなくていいわよ、そんな家に。こんなふざけた婿入り話、ぶっ潰して正解だわ。あなたを大切にしてくれない場所になんて、行く必要ない」
「でも、援助がなくては……姉上はそのために、僕へ見合い話を幾つも持ってきたんでしょう」
「別に私は、あなたの不幸の上でリンデン家の建て直しをやってのけようとするつもりはないの。人をどんな悪魔だと思ってるの?」
「……僕より家の方が大事、なのかなと」
「怒るわよ」
「いつも宣言する前に怒ってるじゃないですか」
「うるさい」
「理不尽だなあ、もう」
耳に痛い台詞を吐くセレンナーグに向き直り、その頬を両手で挟み込む。黙らせてやるためだ。
案の定、セレンナーグは口をつぐんだ。
さらに頬を押さえる手へ力を込める。こうすると美形も台無しだ。
けれどアリスターシャは、そんなちょっと不細工な義弟の顔も好きだった。たった二人きりの姉弟なのだから。
しばらく姉のするがままに任せていたセレンナーグだったが、やがてアリスターシャの両手首を掴んで下ろさせる。
――もう少し面白い顔、見ていたかったんだけど。
アリスターシャがそんな意地の悪いことを思ったのを知ってか知らずか、セレンナーグはそのままアリスターシャの手首を離さない。
どちらからともなく沈黙が落ちた。
狭い馬車の中で二人、見つめ合う。
いつにないぎこちなさに耐えかねたアリスターシャが口を開こうとしたのを遮るように、セレンナーグは告げた。
「ねえ、姉上。この際、僕で妥協しません?」
思いがけない発言を受けて、アリスターシャの思考は停止した。
セレンナーグの醸し出す雰囲気が、どことなく普段と違う。眼差しがわずかに潤み、切れ長の目尻に艶が乗る。色香というのだろうか。いつもの『弟』がまとう空気ではない。――このままじゃ駄目。直感がそう告げる。なのに視線を逸らせない。奪われたままだ。
「妥協、って何」
「なら、提案です。貧乏伯爵家のご令嬢と、貧乏伯爵家の後妻の息子。二人で家を建て直しましょう」
「……姉弟として、よね」
慎重に確認するアリスターシャに、セレンナーグは首を振った。
「いいえ、姉弟はお終いです。僕はもう、いい加減苦しい」
そう耳元で囁いたかと思うと、セレンナーグはアリスターシャを強く抱き寄せ、その頤に手をかけてかぶさるようにキスをした。
「っ、セレン……!」
「僕じゃ駄目ですか?」
触れ合ってすぐ離れた唇、その形のよい唇を小さく舌で舐めあげながら、セレンナーグはアリスターシャに常より低みを帯びた声で問いかけた。
「駄目って、駄目って、それは――」
あの様子では、今回も破談になるだろう。
ミクリアルたちの態度もおかしかったが、ろくな挨拶もせず立ち去るなんて、イデス侯爵家に対する礼を失している。後で詫び状を書かないとならない。
父母が乗ってきた小さな馬車に乗り換え、セレンナーグと二人きりで話す機会を作ったアリスターシャは、暑苦しい鬘を剥いで義弟に詰め寄った。
「で、何だったの一体? 説明してちょうだい」
アリスターシャの向かいに座ったセレンナーグは、何から話そうか思案するように、曲げた人差し指を顎の下へ押し当てた。
「あの歓待ぶり、変だと思いませんでしたか。僕は貧乏伯爵家の養子です。金は持っていないし、家格だって低い。なのに出迎えてくれた皆さん、実に好意的だった」
「確かに妙だとは思ったけど、ミクリアル様は三女だから溺愛されてて、多少の我がままは通るのかなって……」
「姉上は、そういうところが世間知らず――いや、可愛らしいですね」
アリスターシャは半眼で義弟を睨んだ。
「ふざけてるの?」
「いいえ、義父様と同じでお優しいなと」
「お父様と似ていたら困るのよ!」
「まあまあ、言葉のあやですよ」
気持ちを落ち着かせるように両手のひらをアリスターシャの方へ向けて、セレンナーグはあからさまな作り笑いを浮かべる。
「……わかった、その話は後にするわ。なんであなたの一言でお見合いが駄目になったのか、その訳を教えて」
あの父に似ているなどと、看過できない発言だが、とりあえず今は保留だ。それより見合い話の方が大切である。
アリスターシャが譲歩すると、セレンナーグは背もたれに深く身を預けた。軽く腕を組む。
「――ミクリアル嬢には、お子がいらっしゃるんですよ」
「え?」
「二年ほど前、旅の役者と一夜を共にしたらしいです。よっぽど色男だったんでしょうね。そして子ができてしまった」
「何、それ」
「社交界ではうまく『病気療養』で隠せていたようですが、ちょっと調べたら、すぐに出てきましたよ。裕福な侯爵家の令嬢が、貧乏伯爵家の後妻の息子で妥協する理由」
まあ、とセレンナーグは続ける。
「姉上の言う逆玉を狙うなら多少の瑕疵には目を瞑らなきゃならないと思ったんですが、ご令嬢自身があんなに打たれ弱いんじゃつまらないなあと」
セレンナーグから明かされた衝撃の事実に、アリスターシャはもう二の句が継げない。
前言撤回、アリスターシャは父とそう変わらないではないか。うまい話の裏を考えようとせず、簡単に目の前にぶら下げられた餌に飛びついた。充分世間知らずだ。
沈黙をどう捉えたのか、セレンナーグは腕組みを解き、申し訳なさそうに頭を下げた。
「……ごめんなさい。僕がおとなしく婿入りしていたら、きっと姉上が望む通り、イデス侯爵家からそれなりの援助を受けられたと思います。姉上の努力を、僕は無駄にしてしまった。謝って済む話じゃありませんが、謝罪します」
「……なによ、馬鹿にして……!」
アリスターシャの唇からこぼれた呟きを受けて、セレンナーグは戸惑ったように目をまたたかせた。言葉の真意を測りかねているのだろう。
アリスターシャは真正面からセレンナーグを見ることができず、ふいと横を向いた。
「行かなくていいわよ、そんな家に。こんなふざけた婿入り話、ぶっ潰して正解だわ。あなたを大切にしてくれない場所になんて、行く必要ない」
「でも、援助がなくては……姉上はそのために、僕へ見合い話を幾つも持ってきたんでしょう」
「別に私は、あなたの不幸の上でリンデン家の建て直しをやってのけようとするつもりはないの。人をどんな悪魔だと思ってるの?」
「……僕より家の方が大事、なのかなと」
「怒るわよ」
「いつも宣言する前に怒ってるじゃないですか」
「うるさい」
「理不尽だなあ、もう」
耳に痛い台詞を吐くセレンナーグに向き直り、その頬を両手で挟み込む。黙らせてやるためだ。
案の定、セレンナーグは口をつぐんだ。
さらに頬を押さえる手へ力を込める。こうすると美形も台無しだ。
けれどアリスターシャは、そんなちょっと不細工な義弟の顔も好きだった。たった二人きりの姉弟なのだから。
しばらく姉のするがままに任せていたセレンナーグだったが、やがてアリスターシャの両手首を掴んで下ろさせる。
――もう少し面白い顔、見ていたかったんだけど。
アリスターシャがそんな意地の悪いことを思ったのを知ってか知らずか、セレンナーグはそのままアリスターシャの手首を離さない。
どちらからともなく沈黙が落ちた。
狭い馬車の中で二人、見つめ合う。
いつにないぎこちなさに耐えかねたアリスターシャが口を開こうとしたのを遮るように、セレンナーグは告げた。
「ねえ、姉上。この際、僕で妥協しません?」
思いがけない発言を受けて、アリスターシャの思考は停止した。
セレンナーグの醸し出す雰囲気が、どことなく普段と違う。眼差しがわずかに潤み、切れ長の目尻に艶が乗る。色香というのだろうか。いつもの『弟』がまとう空気ではない。――このままじゃ駄目。直感がそう告げる。なのに視線を逸らせない。奪われたままだ。
「妥協、って何」
「なら、提案です。貧乏伯爵家のご令嬢と、貧乏伯爵家の後妻の息子。二人で家を建て直しましょう」
「……姉弟として、よね」
慎重に確認するアリスターシャに、セレンナーグは首を振った。
「いいえ、姉弟はお終いです。僕はもう、いい加減苦しい」
そう耳元で囁いたかと思うと、セレンナーグはアリスターシャを強く抱き寄せ、その頤に手をかけてかぶさるようにキスをした。
「っ、セレン……!」
「僕じゃ駄目ですか?」
触れ合ってすぐ離れた唇、その形のよい唇を小さく舌で舐めあげながら、セレンナーグはアリスターシャに常より低みを帯びた声で問いかけた。
「駄目って、駄目って、それは――」
