イケメン義弟に何度お見合いをさせても、フラグを折って戻ってきてしまいます

 遡ること数刻前。
 イデス侯爵領には国内有数の穀倉地帯が含まれており、実り豊かな上に内海にも面した南寄りの広大な平原が続く。
 幾つかの街を通り過ぎ、やがて見えてきた古めかしくも立派な城塞都市、その中心にそびえる堅固な砦のような城を見上げた時、アリスターシャは勝利の雄叫びをこらえるのに必死だった。
 代わりに小さく拳を握る。
 ――やった、由緒正しき上位貴族! しかも資産家!
 姉の内心が分かるとでも言いたげなやれやれ顔のセレンナーグの肩を揺さぶりながら、窓の外を舐めるように眺めやる。
 
「ちゃんと見ておきなさいよ、ここがあなたの故郷になるんだから」
「はあ……」

 どこまでもやる気のないセレンナーグは、この際放っておくことにして、アリスターシャは巡視の気分で街を見つめた。
 行き交う人々の表情はみな明るく、活気に満ちあふれている。領地が豊かな証だ。――リンデンの領民に、この顔をさせられているだろうか。アリスターシャは朱鷺色の瞳を揺らした。
 城へ近づくと、到着予定に合わせてあらかじめ待機していたらしい先導の馬車に導かれ、跳ね橋を渡って城内へと入る。
 馬車を降りると、もう一台の二人乗り馬車――こちらは親族からの借り物だ、リンデン伯爵家は本当は御者を雇う金だって惜しい――から姿を見せた両親と合流する。
 アリスターシャはメイサの後ろ、最後尾につき、様子を窺った。
 出迎えの門番のうやうやしい態度から、歓迎されている気配は伝わってくる。
 正面玄関を開け放たれれば、左右に居並ぶ使用人の数に圧倒されながら、中央階段をのぼる。使用人も多ければ、そこかしこに飾られた調度品の何もかもが年代物の高価な品だ。思わず感嘆の溜め息が洩れてしまうほどの。
 来賓室はさらに気品に溢れていた。
 侍女に扮したアリスターシャとメイサは前室で待機するしかないが、壁際に置かれたこの椅子だって、リンデン家のどの椅子より立派なものだった。
 セレンナーグたち三人は、すでに来賓室に揃っていたイデス侯爵家の面々と挨拶を交わしているようだ。
 アリスターシャは必死に耳をそばだてる。会話の内容はあまり聞こえてこないものの、セレンナーグはうまくやっているようだった。時折、品の良い笑い声が混じる。

「……セレン、今回は大丈夫そうね」

 メイサにそう耳打ちすると、彼女はアリスターシャを流し見て、独りごちるように呟いた。
 
「『今日、こちらに来ることが叶わなかったアリスターシャお嬢様』は、本当にこれでよろしいのでしょうか。セレンナーグ様を手放すことに納得されていらっしゃるのでしょうかね」

 アリスターシャがセレンナーグを実の弟のように可愛がっているのを、メイサはよく知っている。姉弟を誰よりも間近で見守ってきてくれた人だった。

「……『アリスターシャお嬢様』は、『セレンナーグ様』に幸せになってほしいんだと思いますわ、『メイサ様』。このままリンデンの家にいたって、いいことはないですから。援助は別に、いえ、もらえるものなら欲しいけれど、でも、まず――『弟』に、ただ幸せになって欲しいんですわ、『姉』の分まで」

 アリスターシャがそう言い切ると、メイサはもう口を開かなかった。ただ、わずかに震えるアリスターシャの拳の上にそっと手を乗せた。
 ――そう、セレンまで泥舟にしがみつき続ける必要はない。
 まずは義弟だけでもこの困窮から抜け出せればいいと、アリスターシャは見合い話を組んでいるのだった。もちろん、援助がもらえれ有難いに越したことはないが。
 しばらくすると人々が立ち上がる気配がし、セレンナーグが出てきた。エスコートするようにミクリアル・イデス侯爵令嬢の白いレース手袋に包まれた手を取って。
 侍女の数を減らしたリンデン家では、アリスターシャも家事を手伝う。アリスターシャはメイサと共に立ち上がり、深くお辞儀をしながら、自分のあまり美しくない指先を見つめた。
 するとセレンナーグがアリスターシャを覗き込むように視線を合わせてきた。
 不躾な仕草だが、妙に似合っている。皆まだ歓談中なのか咎める者もいない。ミクリアルに至ってはセレンナーグしか見えていないようだ。よく手入れが施された金茶の巻毛の下の肌は赤く上気し、彼女がセレンナーグに夢中なのが見てとれた。
 
「今からミクリアル嬢に庭を案内してもらうから、ついてきてよ、『リーシャ』」

 リーシャ――アリスターシャの幼少時の愛称を呼ぶ。

「ミクリアル嬢の方も従者がつくから、僕には君。未婚の男女だからね、健全にお付き合いしないと」

 ――ああ、相手の体裁を気にかけるだなんて、今度こそセレンも乗り気になってくれたみたい。
 アリスターシャは胸内を吹き去っていった一抹の寂しさを表に出さないよう、静かに微笑んで一礼してみせた。
 
 そして『後は若いお二人で』の舞台となる、中庭は四阿(ガゼボ)
 穏やかに春の庭を散策する彼らに付き従い、緊張からか、つっかえつっかえ話すミクリアルを見守るように、穏やかな口調で返すセレンナーグの背中を眺めているうちに辿り着いた四阿には、贅を凝らした茶会の準備が整えられていた。給仕も二人立っている。

「簡単なものですけれど、も、もう少しお話がしたくて用意させましたの。お茶にいたしましょう、セレンナーグ様」
「いいですね」

 セレンナーグも応じて腰を下ろす。
 そして豪華なティーセットに、まさに手をつけんとした瞬間、爆弾を落としたのだ。
 
「ああ、正式なグラン様式のアフタヌーン・ティーですね。アリスタ姉上ともご一緒したかったな」
 
 ティーカップを手に取ろうとしたミクリアルの動きが止まる。
 アリスターシャもセレンナーグの背後で固まった。

「アリスターシャ様……ですか?」
「ええ。姉上ときたら、木苺のパイに目がないのです。イデス侯爵家で供されるパイならきっと絶品でしょう。食べさせてあげたかったな」

 アリスターシャが木苺のパイを好むという事実はない。
 邪気の見えない笑みを浮かべるセレンナーグを前に、ミクリアルは落ち着きなく視線をさまよわせた。

「あ、の……よ、よろしければ、お帰りの際にお持ちになってくださ」
「ありがとうございます、姉上も喜びます」

 食い気味に礼を返すと、セレンナーグはさらにまくしたてる。

「姉上といえば、お菓子作りが得意なのですよ。ミクリアル嬢もお菓子を作られますか? そうですか、是非いただいてみたいものです。でも、私の姉上は本当に何でも作ってしまうのです。母が再婚したばかりの幼い頃、まだ屋敷に慣れない私を気遣って姉上がふるまってくれた黒スグリのジャムのクッキーは、とても優しい味がしました。家族の誕生日のたびに焼いてくれるケーキも絶品ですし、もちろん料理も得意なのです。私はもう姉上の手料理無しには生きられない体になってしまいました」

 ちなみにアリスターシャはお菓子作りなどほとんどしない。黒スグリのクッキーをふるまった記憶はないし、ケーキなんてとてもとても、である。料理についても言わずもがなだ。
 全部セレンナーグの口から出まかせである。
 しかしミクリアルは泣きそうな面持ちで身を震わせている。

「そ、んなに素晴らしい方なのですね、アリスターシャ様は」
「はい、それはもう自慢の姉上です。私の――大好きな人です」

 今すぐ、目の前の弟の口を塞いで物陰へ引きずっていきたい。
 そんな衝動に駆られるのを、アリスターシャは渾身の気力で耐えた。
 もうすでに台無しだが、ここでアリスターシャが正体を明かせば、状況はさらに悪化の一途を辿るだろう。
 ――こうやって、いつも私を引き合いに出しては、あることないこと話して見合い話を潰してたのね!
 全身が沸騰するような怒りに襲われているアリスターシャの、ちょうど向かい側に控えていたミクリアルの従者が、咎めるように口を開いた。

「恐れながら、セレンナーグ様。このたびは貴方様と当家の姫ミクリアル様の見合いの席でございます。姉君とはいえ、ミクリアル様とは別の女性の名を出すだけでなく、褒め称えるとは、あまりにも配慮に欠けてらっしゃるのではないでしょうか」
 
 セレンナーグは従者の青年を見上げて、面白そうに片眉を上げた。

「配慮に欠けているのはお互い様じゃないかな。話は耳に入ってるんだ。――確か、旅の役者がお相手だったか」
 
 セレンナーグがそう口にした途端、ミクリアルの体がふぅっと傾いだ。

「ミクリアル様!」

 すんでのところで彼女を支えた青年の顔色も、気の毒なくらい真っ青になっている。
 ――どういうこと?
 尋常でない二人の様子に頓着することなく、セレンナーグは優雅な所作で立ち上がり、アリスターシャに微笑んでみせた。

「帰りましょう、我が家に。うまい話なんて、そうそう転がってないんですよ」