イケメン義弟に何度お見合いをさせても、フラグを折って戻ってきてしまいます

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 それから程なくして、セレンナーグはリンデン家へ戻ってきた。
 彼の姿を目にするや否や、父が顔を真っ赤にして怒ったのは意外だった。その後、力いっぱい抱きしめていたが。
 義母の方は「心配したのよ、連絡くらいちょうだいな」と口にしながらも、セレンナーグ不在の間、あまり不安そうな素振りを見せなかったので、もしかしたら密かにやり取りをしていたのかもしれない。
 セレンナーグが手に入れた報酬の額に、父は目を白黒させた。
 何か良からぬことをして得た金銭じゃないだろうね、と訝しんだものの、あの夜アリスターシャにした説明を、若干脚色した内容――特に公爵夫人のくだりは――で伝えたこと、公爵家からも改めて家紋入りの書状で謝意が伝えられたことで納得に至ったらしい。まあ、グログラード公爵家なんて大物が出てきてしまったら、口をつぐまざるを得ないだろう。
 ロレインには、セレンナーグが忍んできた翌日に婚約解消を申し出た。
 先方の代理人からは、婚約解消自体はかまわないが、一度会って話をした上で受け入れるとの回答があったので、アリスターシャは付き添いのセレンナーグを伴い、指定先のホテルへと向かっている。
 ロレイン側も、代理人の立ち合い等はなく、本人のみらしい。セレンナーグが手を回している気配がぷんぷんするが、アリスターシャは見て見ぬふりを貫いた。義弟の腹黒さから目をそむけたい、ただの現実逃避だ。
 ホテル最上階の客室は、ひとつきりだった。そこそこの格のホテルとはいえ、室料は高いだろう。
 ――もっと安いお部屋で良かったのに。部屋代を請求される、なんてことはないわよね。
 うっかり貧乏根性が顔を出す。
 だが、今回は密室でするべき話し合いだ。
 かといって、どちらかの屋敷で、というのも躊躇われる。
 結局ホテルが一番いいのだろう。
 ――セレンもいるし、大丈夫、よね。
 指定された部屋の扉の前で、アリスターシャはセレンナーグを窺い見る。
 セレンナーグは目ざとくアリスターシャの視線に気づき、安心させるように片眉を上げた。
 
「ああ、お待ちしておりました」

 婚約を破棄される側だというのに、ロレインはごく穏やかにアリスターシャたちを出迎えた。

「お掛け下さい。今、お飲み物を用意させます。ここの紅茶はなかなかのものですよ。スートリア産の春摘茶葉だとか」

 広い客間に向かい合って座る。緊張するが、アリスターシャの隣にはセレンナーグがいてくれる。
 給仕が茶を提供して退室したのを見計らい、まずアリスターシャが頭を下げた。

「この度は、わたくしの我がままで婚約解消を申し出ましたこと、深くお詫び申し上げます」
「いいえ、こんな年寄りが相手ですからね。アリスターシャ様には意に添わぬお話でしたでしょう。一度は受けていただけて、望外の喜びでしたよ」
「そんな……」

 しおらしく俯きながらも、アリスターシャは内心で、しめしめと頷いている。
 そんなアリスターシャの本心を見透かしたように、ロレインは商人の狡猾さを覗かせた。

「――まあ、私はある程度の爵位持ちの家のお嬢様であれば誰でも良かったんだ。君のように番犬がついていないお嬢様なら、なおいい。だから婚約解消に異論はないよ。安心してくれ」

 急にぞんざいになった言葉遣いに、アリスターシャは眉根を寄せる。
 対照的にセレンナーグは、面白そうに口角を吊り上げた。

「話が早くて助かります。すんなり身を引いてもらえるとは思いませんでしたから」
「誰だって狂犬病は怖いだろう?」
「ちょっと――」
 
 アリスターシャが立ち上がろうとしたのを、セレンナーグが片手で制する。
 そのまま彼は優雅に長い脚を組み、ソファの肘掛けへ肘を乗せて、ゆったりと身を預けた。

「狂犬ですか。さすがは敏腕の商人だ、見立ては間違ってませんね」
「ああ、人や物を見る目はあるんだよ」
「奇遇ですね、僕もなんです」
 
 あの夜、婚約破棄を促したセレンナーグに、アリスターシャは尋ねた。――あなたのことだから、婚約解消の手段も考えてくれてるんでしょ、と。

「モルドさん。あなたは僕の大事な大事な姉上の婚約者だ。隅々まで調べさせてもらいましたよ」

 ロレインの顔色がわずかに変わる。動揺を努めて隠すかのように、セレンナーグを真似て脚を組む。
 セレンナーグは涼しい表情で続けた。

「リンデンの義父は、新興事業詐欺に遭いました。ご存知ですよね。昨今流行っているらしいですね、この手の詐欺は」
「……そうらしいね」
「商才のない貴族が食い物にされる。そして財産を失った彼らは、金のある商人に泣きつく羽目になる。あちらは金銭を、あなたたちは由緒ある地位を。悪くない取引ですね、あなたたちにとっては」
「一部にそういった同業者がいるとは耳にするがね。私は関係ないよ」
「では、説明していただきましょうか」

 そう言ってセレンナーグは胸元から分厚い封筒を取り出し、テーブルの上へと放り出した。

「調査書の写しです。あなたが詐欺のために借りた偽オフィスの賃貸契約書、既存の果実酒に別ラベルを貼るよう指示された業者、共同契約者として仕立て上げた男の証言、もろもろ揃っていますよ。もっとも、詐欺の相手はリンデン家ではありませんでしたが、複数人で示し合わせて別々の家を対象にしたんでしょう。その方が発覚しにくいですから」

 アリスターシャの父を騙したのは、ロレインの仲間だ。
 彼らは結託して、複数の貴族の家を標的にした。ロレインが騙した貴族の家には、別の商人が声を掛け、金銭援助の代わりに娘を差し出させる。アリスターシャの家は、別の商人が陥れ、ロレインが救いの手を差し伸べるといった具合に。
 紛れもない犯罪行為だ。
 このからくりを知ったアリスターシャは、腸が煮えくり返り、結局一睡もできなかった。
 そんな下衆な輩と、危うく結婚してしまうところだったのだ。
 反論できずに押し黙るロレインの一挙手一投足をつぶさに眺めながら、セレンナーグは殊更ゆったりと脚を組み替えた。

「このまま書類を国家警察に持ち込んでもいいんですが、一度は姉上の婚約者になった人ですからね。自首をお薦めします。僕からは何も話しません。もっとも、お仲間は今ごろ連行されているでしょうから、出頭は早い方がいいでしょうね」
「……先日の公爵夫人の顛末を、取引に使うと言えば?」
「何かいい材料がありましたか」
「分かってますよ、あんたがたが嵌めたんでしょう、グログラード公爵夫人を」
「グログラード『元』公爵夫人ですね。そうだな、もしあなたが思い上がって取引を持ちかけようなんて考えるなら、――まあ、いい死に方はできないでしょうね。グログラード公爵家を敵に回す覚悟があるなら、どうぞ」
「……貧乏貴族風情が!」

 捨て台詞を吐き、ロレインは荒々しく立ち上がった。
 売られた喧嘩は買いたい。
 気色ばむアリスターシャをなだめるように、セレンナーグは彼女の手の甲へ手のひらを重ねた。
 
「姉上、しょせん小物の負け惜しみですよ。相手にするだけ無駄です」

 逃げるように部屋を出ていくロレインは、もう二人を振り返らなかった。
 怒りをぶつける先を失ったアリスターシャは、さりげなくセレンナーグの手の下から自分の手を取り戻し、すっかり冷たくなった紅茶にスプーンを突っ込んでぐるぐるとかき回した。悔しいが、香りはとてもいい。
 少し不満げにアリスターシャを見やったセレンナーグは、しかし口に出しては何も言わず、宙に浮いた手を膝の上に下ろした。
 既視感のある、どことなくぎこちない沈黙が落ちかかる。
 アリスターシャは努めてセレンナーグを視界に入れないようにしながら尋ねた。

「仮面舞踏会の夜、あいつをあの場に同席させたのは、これからも公爵家に見張らせるためだったのね」
「ええ、すべてを失うだろうモルドに反撃されないよう、保険をかけました。大きな秘密を共有したことで、あの男はもう逃げられない。――僕も、姉上もね」

 最後の部分は恐ろしいので聞かなかったことにした。
 ――まあ、公爵夫人の醜聞の舞台裏なんて、誰にも話す気ないけど。
 アリスターシャはどこまでも呑気だった。自身もセレンナーグによって首輪をつけられた事実に気づいていない。

「でも僕、エリザンド嬢から話を持ち掛けられなければ、モルドを脅して金を得るのもありかなと考えてたんですよね」
「ちょっと、また恐い話はやめてよ。……あなたはそういうことしないでしょ」

 被害者の中にはリンデン家も入っているのだから、彼らの悪事に加担するような真似、義弟がするはずはない。
 アリスターシャはこの点に関しては、セレンナーグに全幅の信頼を寄せていた。

「どうでしょうね。何しろ手駒が少ないもので、使えるものは何でも使いますよ。それで欲しいものが手に入るのなら」

 そう呟いて席を立ったセレンナーグの横顔は、アリスターシャがまるきり知らない色を湛えていた。