私のカレシは音楽PD

2026年3月。小春日和。
私は東京の下町の商店街で小さな子供服のお店を経営している、芹川(せりかわ)れいな。40歳。
独身・・・
親はいない。
10歳の時、両親が離婚してからアパレルと不動産を経営していた父親に、妹、弟と共に引き取られた。
妹は8歳、弟はまだ3歳だった。
父親は私が20歳の時に病気で他界。
さぞ可哀そうな生い立ち...と思われがちだが会社経営を一緒にやっていた父の弟と妹が、小さい頃からとてもかわいがってくれて、その会社の子供服部門を20歳の時から任されている。
勉強が好きだったわけではないので、地元の高校を卒業後、2年間は叔母が社長を務める衣料品店でバイトをしていた。
父親が亡くなったのをきっかけに、正社員として働く覚悟を決めた時に子供服部門を作ってもらった。
私の店は商店街の一角にある。
2階建ての建物の1階にあり、入り口には季節の花を植えた花壇を作ったり、ブルーベリーとミモザを植えてある。
店の壁はオフホワイト、入り口ドアは水色、窓枠はピンク、カーテンは黄色。ポップでカラフルな店構えを心がけて、不動産部門のインテリアコーディネーターと一緒に造りあげた。
2階は1月に不動産部門を訪ねて来た、京都出身の男性の弁護士さんに個人事務所として貸している。
こちらはとても事務的なクールでシンプルな内装にしてある。
佐々木先生と言うらしいが、事務所を引っ越して来た初日に簡単な挨拶をして以来、まだほとんど会ったこともなければ話をしたこともない。
私のお店では半年前から、あゆむ君と言う服飾の専門学校へ通う学生さんをバイトとして雇っている。
身長178センチ、やせ型、少し癖のある金髪。
若くて体力があるので、さすがに荷物運びなどの力仕事や高い場所の作業を任せやすい。
「あゆむんって呼んでください!」
採用を決めた時に電話越しに言われた。
(まったく・・・最近の若い子は。距離感が分からないのかな。)
しかし彼は初日から本当によく働いてくれている。
服飾の知識も豊富なので商品説明が上手な上に、店内のディスプレイのセンスもいいのだ。
今では、彼目当ての若いお母さんの常連さんもいるくらいだ。
お客様も最近はみんな
「あゆむん」
と呼んでくださっている。
今までは店の閉店時刻を17時にしていたが、彼が学校終わりに働きに来てくれて19時ぐらいまで働いてくれ、閉店作業までしてくれるようになり、私一人でやっていた頃よりも売り上げが上がった。
ずっとこんな平穏な日々が続いてくれるといいな、と思っていた。

[ある日の橋口家]
橋口一家は、私が23歳の時にこの商店街の一角のマンションに引っ越してきた。
ご主人のジンさん。ボイストレーニングの先生と、古武術の師範で両方の仕事をしている。
奥様の静香さん、しーちゃんと呼んでいる。
週2のスーパーのバイトに出ている、お料理が上手な綺麗なかた。
ジンさんは職業柄、顔が広くて人の面倒見が良い。
橋口家には、よくジンさんの後輩や生徒さんが集まっていて、食事を出してあげたり、酔っぱらって終電を逃した人のために泊めてあげたりもしている。
橋口家には、来客用の寝室がこじんまりではあるけれど用意されている。
私も何度がしーちゃんに甘えて、泊めさせてもらったことがある。
元カレと別れて、一人でマンションに帰りたく無かった日・・・
仕事でトラブルが起きて、自分の責任だけでは収まらず、しんどくなった日・・・
私よりも10歳年上のこの夫婦は、いつも弱った私を受け入れていれた。

[1年前・・・]
当時、バンドでボーカルをしていた当時の彼氏と、行き詰った関係が続いていた。
出会いは2年前。
地元の友人、真由ちゃんに誘われて、地元のライブハウスへロックバンドのライブを観に行った。
ライブが終わって真由ちゃんとドリンクを飲みながら今日のライブの感想を談笑していたところ、彼が現れた。
「今日は誰目当てで来たの?名前なんて言うの?」
ライブに行き慣れている真由ちゃんは答えた。
「今日はセブンのリョウ君に誘われて来ました~。真由と、れいなでーす!」
「え、そうなの。うちのライブ観に来たんじゃなかったんだねー、でも二人ともかわいいね。これ俺のSNS。良かったら今、フォローして。ね、れいなちゃんも!」
彼の名前はNEONと言うバンドのボーカルのシンジと言うらしい。
スマホの画面を突き出されると断ることはできない。
「は~い、フォローしておきますね」
真由ちゃんはライブの雰囲気に慣れているので、そつなく対応した。
彼は私より8歳年上の当時46歳だった。
年齢よりもとても若く見えたけど、彼の表情や声、しぐさには大人の色気が漂っていた。
肩下のサラサラなセミロングの黒髪。
バンドのジャンルはジャズロック。
5人編成、ボーカル、ギター、キーボード、ドラム。あと少し変わっていると言えば、ベースが大きなウッドベースな事だ。
ライブを観た限りでは全員の技術は高かった。
後から彼に聞いたところによると、それぞれが音楽教室の講師をしていたりプロのサポートミュージシャンとしても活躍するなど、本格的に音楽に携わっているらしい。
ボーカルの彼だけは、ずっとバンドマン一筋で10代の後半からアマチュアとして渡り歩いてきたらしい。
作詞はすべてシンジ。
シンジの歌詞には色気とダメな女と男のドロドロしたストーリーが混在している。
現実から遠い物語なのに、聴けば聴くほど不思議と引き込まれる世界観だった。
かすれたハスキーボイス。
どんどん体に吸い込まれていく感覚をおぼえた。
それからはSNSで連絡を取り合うようになり、一人でライブに何度か通った。
そのたびに彼は私を見つけてくれて、お店にも遊びに来てくれて休みを合わせて会うようになった。
彼から
「付き合おう」
と言ってもらって、しばらくは浮かれていて幸せな日々だったのだが・・・。
シンジに会えるのはたいてい仕事が終わって夕方から。
実家が経営するコンビニの仕事が休みのは、バイク仲間と出かけたりバイクや車をいじっているらしい。
昼間にデートをしたことがほとんど無いまま交際は終了を迎える。
そう、浮気をされていたのだ。
浮気と言うより、他にも何人か彼女がいて、私はそのうちの一人だったのだ。
38歳から39歳の大切な時間を振り回された・・・
シンジのためにライブにも行けるだけ通った。
そう言えば「常連」と言われる若い女の子が何人かいた。
きっと彼女達もシンジの彼女だったのだ!!
彼は悪びれる事が全く無かった。
「悔しい!悲しい!騙された~!」
だけどシンジは凄く魅力的な男性だったと思う。
今まで付き合った人の中で1番ハマってしまったので仕方ない・・・。

[ある日の橋口家]
「もうやだ!もう誰とも付き合わないからねっ!」
私はとてもふてくされた態度だった。
「まぁ、今はそうかもなぁ。でもそう言うなよ。なぁ?」
ジンさんが私を慰め、しーちゃんに助言を求める。
「うん・・・でもハマちゃったんだね。モテるって言うか勘違い男じゃない。もっと良い男は世の中にまだまだいると思うから、諦めちゃダメよ!」
しーちゃんが励ましてくれる。
「そう言えば、来週うちに音楽仲間が集まるけど来る?。」
「また音楽関係?ん~・・・せっかくだもんね。あんまり期待せずにとりあえず来てみる~」

[1週間後]
仕事中にバイトのあゆむんから
「な~んか、いいことありましたー?楽しそうですね~?」
と言われた。
「そうかな?ははは・・・」
ごまかしきれない。
今日は橋口家で、ジンさんの友人達と鍋パーティーだ。
私の場合、男性に会うと言えば店であゆむんに会うくらいだ。
20歳も年下のかわいい男性、全然恋愛対象にはならない。(苦笑)

ピンポーン
橋口家到着
「入っておいで~!もうみんな待ってるよ!」
「こんばんは・・・。」
緊張してリビングに入る。
キッチンでは、しーちゃんが鍋の下準備をしてくれていた。
「こんばんは!」
「はじめまして!」
口々に挨拶をする。
ジンさんが1番かっこよさそうな人の隣に促してくれる。
ソファーに座っている大柄な人は、加門さん。
私の隣でカーペットに座布団を用意してもらって、ニコニコしている男性がケンジさん。
みんなからは「ケンさん」と呼ばれていた。
「飲み物たくさん持ってきたよ。お酒、飲む?」
ケンさんに、にっこりと穏やかに聞かれた。
「あ、いえ、お酒は飲めない体質なんです。すみません」
ケンさんは私が指定したオレンジジュースのペットボトルを優しく渡してくれた。
(身長は低そうなのがちょっと残念だけど、細身の筋肉質なのはタイプだな。顔立ちはハッキリしていてカワイイ系。何歳なんだろう。この人が、しーちゃんが言ってた「もっと良い男」なんだろうか。笑顔が素敵だなぁ、こっちまでつられちゃうな。)
橋口夫妻、加門さん、ケンさん、私で鍋を食べながら色々な話をした。
加門さんが話を面白くしてくれて、それにケンさんがのっていく。
男性3人は、時折まじめに音楽やボイストレーニングの話をしている。
「あ、ごめんね。3人揃うとつい仕事の話になっちゃうねぇ。つまんなかったよねー。」
ケンさんが気を遣ってくれる。
「いえ。知らない業界のお話、凄く面白いです。夢のような世界っていうか。やっぱり好きな事をお仕事にされているとお若く見えますね。」
ケンさんはニコっとして答えた。
「好きな事を仕事に出来るって本当に奇跡なんだよね。趣味までにしか出来ない人が大半だもんなぁ。だかられいなちゃんも好きな事を仕事に出来てて幸せ者だと思うよ。」
(私は今の仕事に不満は無い。だけど本当に好きな事だったっけ・・・親の敷いたレールを歩いてきただけだ。よく分からない。)
「私、何も考えずに今の仕事をやってきました。好きか、得意かも分かりません・・・」
「いいんだよ、それで。続いてるって事が凄いじゃん!」
その夜、23時まで橋口家でケンさんと話をして、その間彼はずっとニコニコしてくれていた。
我が家までは自転車で3分、無事帰宅。
加門さんとケンさんは橋口家に泊まって、お酒を飲みながらまだまだ仕事の話を続けていたらしい。

[2度目の再会]
ジンさんから電話。
「今度、加門とケンさんと俺でライブやる事になったから、良かったら観においで。」
当日、真由ちゃんを誘ってしーちゃんと合流。
ステージでの3人はこの前と同じように、ポジティブでノリノリでとても輝いていた。
ジャンルはファンクにラップなどを織り交ぜたもの。
メインボーカルとラップはケンさんが担当。
3人のハーモーニーに感激した。
大人の余裕を感じる。
ケンさんはステージでも、この前と同じようにニコニコだった。
ライブ終わり。
楽屋に招待された。
「おつかれさん。さぁ、打ち上げに行こう!」
ジンさんがみんなに声をかける。
近所の居酒屋へ向かう。
真由ちゃんは明日も仕事があるので、と言って帰っていった。
ケンさんが
「れいなちゃん、大丈夫?来れる?無理しなくてもいいよ。来てくれたら本当に嬉しいけどなぁ・・・。来て欲しいな!ダメですか?」大きな瞳の笑顔に一発でやられた私・・・。
「えーっと。しーちゃんも行くし、大丈夫です。行きます!」
打ち上げ会場、居酒屋。
地元のこじんまりとしたお店。
丸テーブルを囲んで橋口夫妻、加門さん、ケンさん、そして私。
乾杯をして、それぞれが今日のライブの感想を述べる。
音楽の話になると真剣な眼差しになる男性3人。
会話が落ち着いたところで、ケンさんから話しかけられる。
「今日どうだった?疲れた?」
「みんな歌がお上手で、びっくりしました。楽しかったです。刺激的な1日だったので、今日はぐっすり寝れそうです。」
「あ~、良かった、うん。俺達やっぱり音楽で繋がってきた3人だからね。努力もして来たし、最高のライブを見せたい、って言う気持ちだけは全員若いころから変わらないんだ。」
また、ニコニコしている。
「すごい・・・。プロ意識、ですねぇ」
「またライブの時は来てもらいたいなぁ、結構ね、ステージから見えるんだよ、お客さん一人一人の顔が。今日、れいなちゃんを見つけた時に目が何回か合ったと思うんだよねぇ。」
「あ、やっぱり目が合ってましたか?笑ってくれた気がしました!」
「俺のほう見てくれてたんだと思って、嬉しかったな~。ライブの告知とかラインしてもいい?交換しない?」
今までで最高にニッコニコのケンさん。
大きな瞳が半分になってる。そういえば、唇も厚めで魅力的だなぁ。
ぼーっと考えながらラインを交換した。
「俺、夜型人間でさぁ。あんまり睡眠とれてないんだ。たまに夜ラインしてもいい?れいなちゃんとラインしたら癒されそうだなぁ。あ、ごめん変な意味じゃないからね!」
ケンさんの顔が赤くなった。
「いいですよ~。私、毎日してもいいですか?ふふ」
「うん、うん!俺もする!」
気づいたら二人きりの世界に入ってやり取りをしていた。
加門さんから
「二人でいい雰囲気になりやがって~(笑)」
と冷やかされる。
それから1時間ほど、打ち上げが終了するまでケンさんと私は2人きりで話が盛り上がった。
帰りは橋口夫妻と同じ方向なので一緒に帰ろうとしたのだが
「たまには夫婦で夜の街を楽しむわ、ケンさん、れいなの事を送ってあげてね。」
と、しーちゃんに言われてしまった。
反対方向の加門さんは最終電車に乗るためにホームへ向かった。
「俺んち、ジン君ちからチャリで10分くらいなんだ。れいなちゃんち、ジン君ちから近いって聞いて。今夜はタクシーで帰ろう。れいなちゃんちに着いたら歩いて帰るから。」
タクシーの中。ゆらゆらと体が揺れてライブの余韻に浸る。
眠たい・・・二人ともしばらく黙っている。
「じゃあ、また!連絡するよ。」
「今日はタクシー代まで出していただいて・・・。本当にありがとうございます。」
「うん、おやすみ。」
叔父が所有する築浅低層マンションに、妹家族、弟家族が別のフロアに住んでいて、私は独身なのでこじんまりとした2LDKに住んでいる。
都内独身女性にしては十分過ぎる。
ピコン
コンビニに寄って部屋に戻ったらメッセージが入ってきた。
「走って帰ってきた!おかげで酔いが覚めたよ。今夜はお疲れ。ゆっくり休んでね。(ニコニコマーク」
「お帰りなさい。早かったですね。今夜は眠れそうですか?おやすみなさい。」
「れいなちゃんとラインしたら嬉しくて眠れないかも!!」

[それから]
1週間、朝昼夜とお互いラインでやり取りをしていた。
店では、バイトのあゆむんに
「なぁんか、怪しいっす。スマホ気にし過ぎですよ。」
「違うよー、今〇〇衣料の営業さんに在庫確認してもらってるから。返事を待ってるだけだよ。常連さんが欲しがってた商品だから・・・。」
「最近、楽しそうっすね、オーナー。じゃ、上がってくださいね。17時になりましたよ。」
「今日はもうちょっと商品出し、しようかな。」
「え、珍しいですね。どうしたんすか。」
最近、仕事にハリが出てきた。
ピコン
「急なんだけど、夜ご飯に行かない?今日が無理ならまた今度で!」
ケンさんからだ。
「悪い、あゆむん。やっぱり帰ります!あとは任せたよ。」
(ふ~ん、やっぱりそう言う事か、はいはい。)
「品出しは明日の午前中にするから置いといて。ゆっくりしてていいから。」
一人になったあゆむんがつぶやく。
「彼氏が出来た以外にないだろ、この態度。めっちゃ分かりやすー(笑)」

一度帰宅してから、シャワーを浴びてメイクを直す。
約束の時間まであと30分。
ライブの日に送って貰ったので、自宅の場所は知っていて今日はチャリで来ると言っていた。
この前、ジンさんちで愛車の話もしていたのを聞いていた。
「うちのマンションは来客用の駐車場もあるので車でもいいですよ」
とラインしたのだが体を動かすのが好きなタイプらしい。

ピンポーン
チャイムが鳴った。

住宅地を抜けたらすぐに商店街に入る。
食べたいものを聞かれて、イタリアンのお店に入った。
ケンさんの好きな食べ物は、和食とコーヒーと言うことが分かった。
次は和食系の居酒屋に行きましょう、と提案。
コーヒーも本格的なお店がこの商店街にはいくつかある。
ケンさんの住んでいる町はこの町よりも大きいので、ゆっくりと商店街を通ったことが無いと言う。
「この商店街、居心地いいなぁ。気に入ったよー。コーヒーも旨い。」
食事を終えて、次に入ったカフェでのんびりしている。
ケンさんの仕事の話になる。
「自分でも歌うんだけど。普段はね、音楽プロデューサーって言うの。アーティストに作詞作曲をして提供してんの。あ、そうだ、この子達知ってる?」
スマホの画面にある男性ダンスアイドルグループの画像。
「えーーー!?知ってます!このグループの曲ってケンさんが作ってたの?」
「あ~、初めてため口になった(笑)そんなにビックリした?」
「するする!だってこのグループ、姪っ子が大好きなんですよ。あ、妹の娘、中三です」
この時から、ため口で話そうって言ってくれてた。
帰り道。
「もう、本当びっくりした~。このこと、姪っ子に話しても大丈夫?」
「メンバーに合わせて、とかは無理だけど。サインなら貰えるかもだよ。」
「そんなのいいよー、ただプロデューサーが知り合いなのを自慢したいの。」
「なんだよ、それーー(笑)」
ふいに優しく頭をなでられた。
その手が降ろされた時、私の手にそっと当たった。
勘違いじゃなかった!
手が、しっかりと握られた。
ドキドキする。
ケンさんのほうをもう向けない。
ケンさんもこっちを見てないみたい。
お互いの手にじんわりと汗を感じる。
熱い・・・。
「嫌じゃない・・・?」
小声で言われた。
「うん、嬉しい」
恋人繋ぎに変えられた・・・。
「あぁ、良かった。でも、もしかしてこのグループの関係者だから、って事?」
「あ、それは関係ないよ。一緒にいて楽しいよ。」
ケンさんの顔を見ると真っ赤になっていた。

鍋パーティーの日にほろ酔いになった勢いで話してたけど、あんまり恋愛は器用じゃないそうだ。
30代半ばの頃、6年付き合った20代後半の彼女に結婚を申し込んだところ、あっさり浮気されていた事を伝えられ、その場で一方的に別れを告げられたそう。
それがトラウマになり恋愛を10年以上していないと言う。
今47歳。
そのおかげでずっと仕事に熱中してきたらしい。

[それから]
仕事は毎日17時に店をあとにする。
もちろん、バイトのあゆむんに締め作業を任せて。
あれから毎日のように、夕方は近所の川沿いをケンさんと散歩していた。
2週間くらい経った。
毎日、ラインでやり取りをしている。
休日にはケンさんの都合に合わせて、ランチやお茶、たまに夕食に出かけたりしていた。
「今夜、これから用事ある?うちの近くに良いお店があるんだ。疲れてなかったら、そこに連れて行ってあげたいなぁ?と思ってるんだけど。無理なら別の日でいいよ。」
いつものニコニコ笑顔でケンさんが言う。
「大丈夫、疲れてないよ。そのお店、連れて行ってほしいな。ケンさんが知ってる場所、もっと知りたい。」
その瞬間、ケンさんの大きな瞳が笑顔で半分くらいになった。
「よっし!」

そこは、半個室の和食居酒屋だった。
部屋数はわりと多いものの、仕切りがあるのでお互いの声はとてもよく聞こえる。
「好きなもの、あるかな?なんでも食べて~。俺はサラダと豆腐と枝豆で焼酎飲める!」
ケンさんは夜は粗食だ。
今夜は特別ご機嫌に見えた。
チーズ入りの卵焼き、軟骨のから揚げを頼んだ。
刺身盛りをケンさんと一緒に食べることにして追加した。
「れいなと知り合ってから、本当に毎日楽しくって。仕事もはかどっちゃうしさ、曲もバンバン作れる!
一緒に居る時間があるからこそ、がんばれるんだ。」
「うん、それは私も一緒」
「俺さぁ、好きだよ、れいなのこと。だから、付き合ってください!」
ナチュラル過ぎる流れに
(え、今!?)
と度肝を抜かれた。
いつかは言われるかな~、と期待はしていた。
もし言ってもらえないなら、自分から言おうとさえ思っていた事だった。
「ありがとう。嬉しい・・・よろしくね!」
「あーーー、良かったぁぁ。ここで断られたらどうしようって思ってた!一人で泣きながら帰る事になったらどうしようかと思っちゃったなぁ!!ははは。」
半分泣きそうになりながら、大笑いしているケンさん。
「ケンさん、手を出して。」
「えっ、なに?」
「いいからっ。」
出された手を握ってあげた。
ケンさんは恥ずかしそうに、でも嬉しそうに見えた。
沈黙のあと。
私の手の甲に、優しくキスをしてくれた。
「今夜・・・うちに来る?」
聞いた途端、ケンさんの顔が真っ赤になったのを見逃さなかった。
お酒のせいではない。

二人でのんびり商店街を歩きながら帰宅。
お互いの手は恋人繋ぎでしっかりと握られている。
体をピッタリと寄せてみた。
道すがら、この本屋さんは小さいけど色々なジャンルの小説を揃えているとか、この雑貨屋さんのオーナーはセンスが良いとか、このケーキ屋さんは人気店で昼にはもう完売している。
など話しながら、うちに着いた。

「おじゃまします・・・。女の子の部屋に来るのなんてほんと久しぶり過ぎて・・・。って言うか部屋広いし部屋数多いな!そのわりに物が少ない!」
「そうなの。私、ミニマリストってやつでして。」
「俺の部屋は物で溢れて片付いても無いから。恥ずかしくて呼べないな・・・!」
二人でソファーに腰を下ろす。
「コーヒーがいい?それとも違うものにする?」
「そうだね、歩いて暑くなったから、冷たいお茶とかがいいなぁ。」
二人で冷えた麦茶を飲む。
穏やかな時間が過ぎていく。
「れいな?」
ケンさんの手が私の手の甲の上に重なってきた。
ぎゅっと握られてドキドキしてきた。
「ゆっくり行きたいんだけどさ。俺も男だから、理性が利かない時もあるんだ。でも今日は本当にその・・・我慢するからね。だからさ、そのためにも。そろそろ帰ろうかなぁって思うんだけど。」
「そっか。うんうん、いいよ。今日は刺激的な1日でした。お互い明日も仕事だし、ゆっくり休もう。」
ピコン
ケンさんのラインが鳴る。
そこには
「お疲れ様です。明日は〇〇(音楽雑誌)のインタビューですので、朝早いですが8時にお迎えに上がります。遅刻しないように準備をお願いします。」
とある。
「あぁ、明日いつもより早いんだった・・・。ほんとに帰らないとな。」
玄関でどちらかともなく軽くキスを交わした。
「おやすみ。早く寝るんだよ。」
「うん、気を付けて帰ってね。」
23時になろうとしていた。

それから少しして私達は体も繋がることが出来て、アツアツカップルと言う言葉通りの生活を送っていた。
何もかもが順調に感じる、順風満帆な日々だった。

[しばらくして]
先日、ケンさんから
「音楽仲間と飲みに出かけて来るね。」
と言う連絡を受けたあと、私は橋口家へご飯を食べに行っていた。
加門さんも来ている。
そこにはケンさんはいない。
「あいつは一体誰と飲みに行ってんだ?交友関係が広いとは言え、俺らにも名前を言わないなんて。ちょっと今まで無かったよな。」

数日後。
園田シオのと言う女性のSNSのアカウントに
「お誕生日をお祝いしてもらいました。(感涙)ありがとうございました。」
と言うコメントと共に、向かい側にケンさんのTシャツが写っていた。
ケンさんのアカウントの繋がりで、この女性が「知り合いかも?」と出てきたのだ。
「このオンナ・・・誰・・・?」

投稿された次の日
ピコン
「おはよう。最近、帰りが遅くなってごめんね。昨日ももう寝てたよな?」
ケンさんからのライン、返事もしたくないところだが・・・
「この前出掛けたの、誰とどこにいたの?」
「ごめん、実はマネージャーさんの誕生日で。アシスタントと3人で軽くお祝いしてた。夜しか時間作れなくて。でも誤解されるような関係じゃないからね、絶対に!」
「分かった。じゃ、出勤の支度します。」
その日は、お昼ご飯食べるよ、のラインも、夕方仕事が一区切りついたよ、のラインも無視した。
全スルー。その様子を見ていた、あゆむん。
(機嫌わりぃな・・・。今日は無駄話はやめておくか。)
「ねぇ、あゆむん。今日18時に店を閉めて、夜ご飯でも行かない?もちろんおごるから。食べたいもの、何でもいいよ?」
「そんなん初めてじゃないっすか。肉、食いたいっす!あざっす!」

ケンさんに連絡しないまま、夕方あゆむんと商店街のステーキ屋さんへ入った。
「何か嫌な事でもあったんすか?」
「分かる?何で男の人ってすぐ浮気するのー?」
「浮気されたんすか?あのケンさんに!?」
ケンさんは何度か仕事終わりにお店に迎えに来てくれるようになり、あゆむんとも顔馴染みになっていた。
「あんな善良そうな顔して。やっぱ音楽プロデューサーってイメージ通り、えぐいっすね。いい歳した男が最低じゃん。俺は浮気ってした事ないっすよ!Z世代は基本、そう言うリスキーな事はしないんす。」
「まだ真相が分からないんだけどね。」
なぜだか今日は、あゆむんに話を聞いてほしかった。
詳細を伝えたところ
「誤解を招くような行動がそもそもありえない。」
と言う回答だった。
今夜はステーキを頬張るあゆむんがキラキラした青年に見える。
ケンさんから2回ほど着信があったが、あゆむんとの食事を楽しんだ。
実は来年の彼の専門学校の卒業と同時に、正社員としてうちの会社へ入社して欲しいと考えている。
本社には紳士服部門があってセミオーダーのスーツも作っている。
彼の能力を子供服よりも存分に活かせると思うのだ。
その話も追々していかなければ。