俺の名前は、
五十嵐 凪。
28歳、独身。
意外と真面目に働いてる。
プロフィールは、
このくらいかな。
あとは、
実際に会って確認してほしいけど。
周りの奴らは、
「お前はエリートだから」
とか、
「何でもそつなくこなすよな」
なんて言うけど。
俺からしたら、
ちょっと意味が分からない。
仕事が溜まって、
ポンコツ上司から
「進捗は?」
なんて聞かれるのは鬱陶しいし。
残業なんて、
できればしたくない。
遊びにも行けないし、
家にも早く帰れない。
ただ、
自分の時間を確保したい。
そのために、
少し効率よく動いてるだけだ。
それで、
“エリート”なんだって。
……笑える。
でも、
俺が思うに。
周りの営業って、
売る気が前に出すぎなんだよ。
それ、
顔に出てる。
そんなんじゃ、
ダメだ。
俺のやり方は、
いたってシンプル。
相手の話を聞いて。
少し微笑んで。
ほんの少し、
提案する。
……たぶん、
それが。
俺が思う
“エリートのやり方”
俺の朝のルーティンも、
いたってシンプル。
温かい味噌汁と、
ほかほかのおにぎり。
……意外でしょ?
そう。
これは、
あんまり人に言ってない。
俺のイメージと、
ちょっと違う気がしてさ。
勝手にそう思って、
黙ってる。
おにぎりのレパートリーは、
意外と多い。
鮭、昆布、明太子、
そして、たらこ。
でも、
時々おかんが作ってくれる、
ひじきを混ぜたやつは別格だ。
あれは、
かなりうまい。
そうそう、
きんぴらも侮れない。
あと、
意外と重要なのが、
のり。
のりは、
高級食材だと思ってる。
これは、
声を大にして言いたい。
……ちょっと、
朝ごはんの話で
熱くなりすぎたな。
今日は、
この辺にしとくか。
これは、
内緒にしてほしい。
なんたって、
俺、
“エリート”らしいから。
昨日も定時で上がれて、
俺のプライベート時間は、
かなり充実していた。
だからか、
目覚めもいい。
鮭おにぎりと、
温かい味噌汁をいただき。
……うん。
満足。
そのまま、
シャツに袖を通した。
今日のシャツは、
ライトブルー。
水色っていうより、
もう少し青寄り。
この微妙な違い、
分かってほしいんだよな。
さて、
このシャツに合わせるジャケットは、
何がいいと思う?
紺か。
グレーか。
……今日の天気は、
曇り。
よし、
紺にしよう。
少しだけ、
引き締まって見える。
鏡の前で軽く整えて、
俺は玄関へ向かった。
――よし。
行ってきます。
会社へ向かう。
「おはようございます」
やっぱり、
挨拶は基本だ。
ロッカーに寄ってから、
自分の席に座る。
時々、
駅前でコーヒーを買って、
ギリギリになることもあるけど。
そこは、
慌てない。
何事もなかった顔をする。
……そして、
俺はいつものように
アイツを探す。
実は、
俺には好きな人がいる。
同期の、
川崎 海。27歳。
一応、女。
……いや、
見た目はちゃんと可愛いんだけど。
でも、
性格はかなり男前で、
たぶん、
俺の方が女子っぽい。
アイツさ。
俺が好きなこと、
全っ然気付いてないんだよ。
ほんと、
何なんだって思う。
名前の通り、
海みたいな奴で。
荒れてる日もあれば、
俺より静かな、
ベタ凪の日もある。
でも、
感情が顔に出やすいから、
分かりやすい。
朝、
アイツの顔を見ると、
だいたい機嫌が分かる。
今日は、
たぶん寝不足。
ひじきおにぎり、
食べさせたいくらいだ。
絶対、
ゆっくり朝ごはん食べてない。
慌てて家を出たに違いない。
だから、
俺への挨拶も雑だ。
「おはよう」
俺がそう言うと、
海は、
「おぅ」
で終了。
……ふざけてる。
あれ、
絶対わざとだろ。
俺が好きなの、
知ってるんじゃないかって、
時々思う。
まあ、
そんな態度取られても、
俺はクールだけど。
なんたって、
“エリート”らしいからな。
今日は、
お客さんのところへ行く予定。
といっても、
目的は情報収集。
お茶でも飲みながら、
今、何を考えてるのか。
どのタイミングなら、
こっちの提案が刺さるのか。
そこを見てる。
そうそう。
俺、
銀行員なんだよね。
だから、
仕入れのタイミングとか、
今、何の情報が足りないのかとか。
誰かを紹介したり、
逆に紹介されたり。
結局、
仕事ってタイミングだと思う。
その瞬間に、
何を言えるか。
それが大事。
……まあ、
今日はそこまで
書類も必要ないんだけど。
アイツと話したいから、
わざと頼む。
「この書類、予備ある?」
って。
すると決まって、
海は少し眉を寄せる。
「もうないの?
この前、渡したよね?」
……怒られる。
でも、
俺は、
それがたまらなく好きなんだよ。
ドMかって言われても、
別に構わない。
それが、
俺の仕事のスタートだから。
「はい、これ」
そう言って、
海が書類を手渡してくる。
ただ、
それだけなのに。
俺には、
“頑張って”って聞こえる。
……ほんと、
ヤバい奴だよな。
お茶じゃなくて、
コーヒーだった。
「そんなんですか」
「へぇ〜」
なんて、
感心した顔をしてみたり。
一緒に出してもらったチョコが、
やけに美味しかったり。
経理担当のおば様たちと、
世間話をする。
こういうのも、意外と大事なんだよ。
もちろん、
融資は条件比較される。
他行との金利競争もあるし、
数字も必要だ。
でも、
まずは、
会社のドアを開けてもらわないと始まらない。
その点、
俺は比較的、
懐に入るのは得意な方だと思ってる。
……なのにさ。
アイツは。
海はさ。
全っ然、
開かないんだよ。
ほんと、
びくともしない。
ほら貝かってくらい、
閉じてる。
そろそろ、
少しくらい
開いてくれてもいいだろ。
夕方、18時。
……いや、
もう夕方っていうより、
夜か。
そろそろ帰ろう。
今日も、
それなりに良い仕事はした。
業務日誌にも、
ちゃんと書ける材料はある。
でも、
俺は少し、
やらしいやり方をする。
今日は、
大した報告ありませんよ、
みたいな顔をしておいて。
あとから、
ドカンと持っていく。
ポンコツ上司なら、
なおさら。
簡単に、
あんたの手柄にはされたくない。
だから、
準備が大事なんだよ。
こまめに顔を出して、
軽く立ち話して。
その積み重ねが、
あとで効いてくる。
見とけよ。
これが、
“エリート”の、
泥臭い努力ってやつ。
……まあ、
あんまり品は良くないけど。
でもさ。
アイツの前では、
かっこいい俺でいたいんだよ。
だから、
涼しい顔して頑張ってる。
海、
分かってんのかよ。
たまには、
俺のこと褒めてくれよ。
そう思いながら、
海の背中を見ていた。
すると――
海が、
こっちに向かって歩いてきた。
……は?
な、
なんだ。
「あのさ、五十嵐」
海が、
俺に話しかけてきた。
「うん?」
できるだけ、
いつも通りを装って返す。
「今日さ、
A会社の経理の山岡さんが窓口に来てて」
……へえ。
「五十嵐のこと、褒めてたよ」
「なんて?」
平静を装って聞き返す。
「仕事は丁寧だし、
おしゃれで、イケメンだって」
海は、
くすっと笑った。
「私、“イケメンなんですか?”
って聞いちゃったよ」
お前な。
「でも、
ちゃんと仕事してるんだなって。
ちょっと見直した」
「見直すなよ」
いつだって、
きちんとしてるだろ。
「そう?なんか、
ちょっと良い子ぶってる感じするけど」
「え」
ひどくないか?
そう思った瞬間、
「あ、でも」
海が、俺のシャツを見た。
「おしゃれなのは、合ってる」
……え。
「今日のそのブルー、
五十嵐らしくて似合ってる」
その瞬間。
たぶん俺、
かなり顔が緩んだ。
やばい。
かなり、
かなり嬉しい。
やっぱり、
海って、
ちゃんと見てるんだ。
俺のこと、
分かってる。
なのに。
俺は、
こんなことを言ってしまった。
「……ブルーじゃない」
「え?」
「ライトブルーだ」
沈黙。
我ながら思う。
……品がない。
エリート失格だ。
今朝のおにぎりは、
たらこ。
ふるさと納税で届いたやつで、
これが、
かなり美味い。
……海にも、
教えてやりたい。
アイツさ。
昨日、
珍しく定時で上がってた。
しかも、
なんか体調悪そうだったし。
大丈夫かな。
体調悪い時こそ、
温かい味噌汁なんだよ。
ネギと豆腐、
それに少しだけ油揚げ。
ああいうの、
身体に染みるだろ。
ちゃんと、
温まらないと。
……心配だな。
今日は、
少し早めに会社へ行こう。
海だから。
海を見つけると、
いつものように声をかけた。
「おはよう」
そして、
すぐ顔を見る。
……やっぱり。
顔色が悪い。
「川崎、ちょっとこっち」
俺は、
海の手を引いた。
そのまま食堂へ連れて行き、
椅子に座らせる。
「お前さ、体調悪いだろ」
海は、
小さく頷いた。
「熱は?」
「朝、37.5くらい」
「何で会社来てんだよ」
熱あるじゃん。
「だるいだろ? 朝、飯は?」
「ううん。
食欲なくて、食べてない」
「水分は?」
「コーヒー飲んできた」
「……はぁ?」
思わず声が出た。
「熱ある時に、コーヒー飲むなよ」
海は、
少し肩をすくめる。
「川崎さん?
体調悪い時は、味噌汁なんだよ」
ネギと豆腐、
それに少しの油揚げ。
身体、温めないと。
……やっぱり。
思った通りだ。
「ちょっと待ってろ」
俺は自分の席へ戻り、
スープジャーと、
包んでいたおにぎりを持ってきた。
「はい」
海が、目を丸くする。
「え、何これ」
「たらこおにぎりと、味噌汁」
「え〜、五十嵐が作ったの?」
「……まあな」
そんなこと、今はどうでもいい。
「少しでいいから、腹に入れろ」
海は、
スープジャーを開けた。
「……なんか、ありがとう」
そして、
味噌汁をひと口飲む。
「優しい味する」
その言葉に、
少しだけ肩の力が抜けた。
海は、
おにぎりをひと口食べて、
また味噌汁を飲む。
その姿を見て、
俺はやっと安心した。
「川崎。
食べたら帰れ」
「え〜」
「その状態で仕事しても、
周りに迷惑かけるだけ」
ちゃんと休め。
「……分かった。食べたら帰る」
「食べ終わったら、ここ置いといて」
「うん」
海は、少し笑った。
「五十嵐、ありがとね」
……海。
本当はさ。
お前を抱えて、
家まで送って行きたいんだよ。
分かるか、海。
家に帰ることにした。
凪が、
心配してくれた。
急に手を引っ張るから、
びっくりしたし。
もっとびっくりしたのは、
おにぎりとお味噌汁。
温かかった。
おにぎりも。
お味噌汁も。
凪の気持ちも。
……凪さ。
こういうのって、
勘違いしてもいいの?
私、ちょっとだけ。
嬉しいって思っちゃったよ。
会社帰り。
俺は、
海に連絡を入れた。
――大丈夫か?
少し間が空いてから、返信が来る。
『寝たから、だいぶ良くなった』
そのあと、
追加でメッセージ。
『あと、朝ごはん食べたから、
元気になった』
……随分、褒めるの上手くなったな。
そう返すと、
『ごめん。でも、
朝ごはんが美味しかったのは事実』
と、
素直な返事が来た。
その文章を見て、
俺は少し安心した。
元気になったなら、良かった。
『明日は、
ちゃんと朝飯食べてから出勤しろよ』
すると、
すぐ返信。
『やだ』
……は?
『また体調悪くなるぞ』
そう送ると、
『じゃあ、明日は鮭おにぎりがいい』
『よろしくね、凪くん』
はぁ?
調子に乗るな。
そう返信しながら、
俺の手には、
鮭が入ったスーパーの袋。
……恐るべし海。
もしかして、
スーパー覗いてたか?
思わず笑ってしまう。
……早く。
早く、
海の顔が見たい。
「凪さ」
あの日以来、
海は俺を
“凪”と呼ぶようになった。
だから俺も、
“川崎さん”をやめて、
海と呼ぶようになった。
……まあ、
だからって。
海が、
俺を好きになったわけじゃない。
そんな簡単な話じゃない。
片思いなんて、
もう慣れた。
……いや。
慣れたと思ってた。
でも、
本当は、
慣れるもんじゃないな。
海。
そろそろ、
頼むぞ。
今日は、
“ガツンDay”だ。
品のないエリートの、
見せ場がやってきた。
タイミングは、
完璧。
どんぴしゃだ。
俺は、
海を呼んだ。
「電子契約書、
サインもらったら送信するから。
チェック入れといて」
「了解」
海は、
キーボードを打ちながら返事をする。
「やるね、エリート」
……お。
でも次の瞬間。
「でも、凪って、
あんまり“エリート”って柄じゃないよね」
何なんだよ、
その、“私はお前を分かってます”
みたいな感じ。
……いや。
分かってるのか?
俺のこと。
それとも、好きなのか。
……好きではないか。
完全に、
俺の願望だな。
でも、
今日はそんなことどうでもいい。
今日は、
とびっきりの契約なんだ。
エリートだろうが、
偽エリートだろうが関係ない。
“ガツンDay”なのは、
間違いない。
これで、
首位も見えてくる。
だから、
見ててくれよ。
海。
案件会議で、
俺の獲得金額が発表された。
「五十嵐、すごいな」
先輩にそう言われ、
軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
すると。
「五十嵐さんみたいになるには、
どうしたらいいんですか?」
海の二つ下の後輩が、
突然そんなことを聞いてきた。
……いやいや。
俺なんて、
そんな大したもんじゃない。
「目の前の仕事、
ちゃんとやってるだけだよ」
「あと、運かな。
まぐれ、まぐれ」
なんて、
適当なことを言ってみる。
……まあ。
エリート街道って、
そんな甘くないんだけどな。
でも、
後輩にそんな風に言われるのは、
悪くない。
少し気分が良くなっていた時。
「凪くん」
通りすがりの海が、
俺を見た。
「顔、
ニヤニヤしてる」
「は?」
「なんか、やらしい」
失礼すぎる。
「おやじみたいな顔してるよ」
そう言って、
海は通り過ぎていった。
……何なんだよ。
俺は至って真面目だし、
みんなに平等だ。
害なんてない。
まあ、
仕事の戦略は極秘だけど。
でも、
素直な後輩には、
そろそろ教えてやってもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、
ふと顔を上げる。
すると、
海と目が合った。
……ん?
なんか。
海、
怒ってる?
何なんだ、
あの態度。
何となく、 海の態度が気になった。
……いよいよ。
俺を意識し始めたか?
いや。
やっぱり違うか。
海だもんな。
そう思いながらも、
俺はまた、 無駄に書類を頼む。
「海、この書類ある?」
「はい、これ」
海は、
いつもより素っ気なく書類を差し出した。
……違う。
俺が欲しいのは、 いつもの感じなんだよ。
もう一度、海を見る。
すると。
手渡された書類の上に、海が何かを置いた。
「はい、これ」
……あめ。
小さなあめが、 ひとつ。
「……どうも」
思わず、 素直に礼を言う。
海は少し笑って、
「頑張って。偽エリート」 と言った。
「はぁ?」
海はそのまま、 自分の席へ戻っていく。
俺は、 その背中を見ていた。
口の中で、 あめが転がる。
やっぱり俺、
お前のそういう所、
好きなんだよな。
アイツ、
何ニヤニヤしてるわけ。
少し仕事ができるからって、
調子に乗ってる。
……でも。
凪って、
本当はすごく優しい。
私の体調が悪いのも、
すぐ気付いた。
しかも。
味噌汁とおにぎりまで、
出てきた。
何なの、
あの男。
仕事もできて。
優しくて。
イケメン……
なのかは、
ちょっと悔しいけど。
しかも、
朝ごはんまで、
毎日ちゃんと食べてる。
……完璧すぎない?
でもさ。
凪、
たぶん無理してる。
涼しい顔してるけど、
絶対、
頑張りすぎてる。
だから、
“エリート”じゃない。
偽エリート。
そういうとこ、
私しか分かってないって、
思ってる。
……分かってるのかな。
凪っ。
聞きたくもない情報が、 耳に入った。
海が、 他支店の奴らと飲みに行くらしい。
どこの輩かも分からない男どもと、
飲みに行く。
……はぁ?
俺より、 そいつらと飲む方を選ぶのか。
海、 お前の目は節穴か。
しかも。
今日の海、 いつもより化粧が丁寧だ。
お前な。
頭の中が、 ぐちゃぐちゃになる。
その時。
「凪さ、この書類」
海が、 いつもの顔で立っていた。
「利用限度額、記載漏れてる」
イラッとしながら書類を見る。
「あ、ここ」
海の指が、 俺のすぐ横を指した。
……確かに漏れてる。
やっぱり、 海のチェックには敵わない。
「ありがとう」
そう言うと、 海は当然みたいに頷く。
「じゃ、明日までお願い」
「了解」
海が戻ろうとした時、 俺は呼び止めた。
「あのさ、海」
「なに?」
「今日、他支店の奴らと
飲みに行くらしいじゃん」
「あー、うん」
海が普通に頷く。
「冴ちゃんに誘われてさ」
「……何の飲み会?」
「出会いの場?なのかな」
その言葉を聞いた瞬間、 変な汗が出た。
落ち着け。
平常心だ。
「飲み過ぎ、気を付けろよ」
……違うだろ。
本当は、 そんな飲み会行くなって、
言いたいくせに。
意気地なしの、 エリートだった。
飲み過ぎ、気を付けろよ。
……かぁ。
凪、それだけ?
出会いの場って、
言ったんだよ?
誰かと出会っちゃっても、いいわけ?
少しくらい、
行くなとか。
止めてくれても、
いいと思うんだけど。
この前の心配は、何だったの?
……何なのよ、凪。
意気地なしの、
偽エリート。
家に帰っても、 落ち着かない。
米でもとぐか。
いつもより、 力が入る。
無駄に想像力だけ発揮して、 しおらしくしてる海が頭に浮かぶ。
何やってんだよ。
炊飯器をセットして、 時計を見る。
22時。
海、 まだ帰ってないよな。
動画を流してみる。
全然、頭に入ってこない。
ったく。
携帯を取る。
海の名前を押す。
……切る。
いや、無理だ。
もう一回押す。
3コール。
出ない。
……遅いな。
4コール目で、 ようやく繋がった。
「もしもし? 凪?」
後ろが、 かなり騒がしい。
「うん、俺」
「どうしたの?」
「22時過ぎたけど。 まだ帰ってないの?」
「えっ? うん、まだいるけど」
笑ってる声が聞こえる。
それだけで、 少しイラつく。
「お前さ、 ただでさえ朝弱いんだから、
もう帰れよ」
「電車あるし、明日もちゃんと起きるよ?」
「でもさ、凪」
「ん?」
「この電話、 なんか彼氏みたいじゃん」
……。
だな。
彼氏では、ない。
でも。
その言葉を聞いた瞬間、
俺の中で何かが切れた。
「海」
「なに?」
「帰るなら迎えに行くけど」
「え?いいよ」
「今からけやき通りの信号まで
迎えに行くから、いいな。」
「でも…、」
「いいから待ってろ」
車で向かうと、
海はもう、
けやき通りの信号の前に立っていた。
俺を見るなり、
「遅いっ」
海は、
笑いながら怒る。
……良かった。
ちゃんと元気そうだ。
それだけで、
少し安心した。
「乗れよ」
海が助手席に乗り込む。
でも。
何となく、
何から話せばいいのか分からない。
車の中には、
音楽だけが流れていた。
「凪?」
「うん?」
「……ありがと」
「なんで?」
「なんでって」
海が、
少し笑う。
「迎えに来てくれたし、
心配してくれたから」
「……うん」
その返事しか、出てこない。
すると海が、俺を見た。
「凪ってさ」
「ん?」
「私のお母さんなの?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ、何?」
「何って……」
言葉に詰まった俺を見て、
海が笑う。
「海さ」
「……ん?」
「分かってるくせに」
その顔。
絶対、
分かって言ってる。
「俺に、
言わせようとしてるだろ」
すると海は、
少しだけ肩を揺らした。
「お前、
ズルいんだよ」
そう言うと、
海は窓の外を見ながら笑う。
「いいじゃん」
「は?」
「女子の特権だよ」
……何なんだよ。
その、
全部分かってるみたいな顔。
ほんと、
敵わない。
すると海が、
ふっと真面目な顔になった。
「でもさ」
「ん?」
「凪だって、
ずるいんだよね」
「は?」
「仕事できて、優しいし。」
「でもさ、ちゃんとしてそうなのに
意外と面倒くさいところもあったり。」
「あと、結構すぐ顔に出るし」
「……なんだよ、褒めてるのか、
けなすのか、どっちかにしてくれよ」
「だから、ほっとけなくて。
ムカつく時ある」
「何だよ、それ」
海は、
窓の外へ視線を向けた。
「私も、凪みたいに、
なりたいな」
「海……」
「上手く出来ないから、
つい強く言っちゃう時あるし」
「凪に追いつきたいな」
その言葉を聞いた瞬間。
ああ。
そういうことだったのか。
海は、
強いんじゃない。
強くしてたんだ。
俺の前で、
そうしたかったんだ。
なんだよ、それ。
海、反則。
運転してるのに抱きしめたいだろ。
「……凪さ」
「ん?」
「この前、
冴ちゃんと話してたじゃん」
「ああ、あれね」
『どうしたら、
五十嵐さんみたいになれますか?』
って、
後輩に聞かれてた時の話だ。
「その時さ」
海が、
少しだけ俺を見る。
「私と目が合ったの、覚えてる?」
「あー……」
思い出す。
「あの時、
海、俺のこと睨んでなかった?」
「うん。怒ってたし、睨んだ」
「え」
俺は少し笑う。
「アイツ、
いよいよ俺を意識し始めたかって、
思ってた」
すると海が、
呆れた顔をした。
「ふ〜ん」
「そんな風に見てたんだ」
「いや、だってさ」
「お前、俺のこと、
ニヤニヤしたおじさんとか言うし」
「それは……」
海が、
少し視線を逸らす。
「それ聞いたら、
普通、思わない?」
「何を?」
「ヤキモチだって」
「……え」
一瞬、思考が止まる。
「えぇっっ!!」
海が吹き出した。
「海、ヤキモチ妬いてたの?」
「うん」
「本当に?」
「本当」
「……マジか」
やばい。
かなり、やばい。
すると海が、小さく笑った。
「でね、凪」
「……ん?」
「私、凪のこと好きなの」
「…………は?」
「お前さ」
俺は、
小さくため息をついた。
「先に言うなよ」
海が笑う。
「え〜」
「俺の“ガツンDay”は、
俺が締める予定だったんだよ」
「何それ」
「何で、海が決めるんだよ」
海は、
肩を揺らして笑ってる。
……ったく。
「海さ」
「ん?」
「俺、意外と仕事できてるじゃん」
「自分で言う?」
「みんな、エリートって言うし」
「偽だけどね」
「うるさい」
そう返してから、
俺は少し真面目な声になる。
「だからさ」
「仕事も、恋愛も」
「最後は、
俺がガツンと決めたかったわけ」
海が、静かに俺を見る。
「だから、迎えに来たし」
「変な輩から、さらいたかったし」
「明日、
お前がちゃんと起きられるか、
心配だったし」
海が、
少しだけ目を細める。
「だからさ」
「改めて、俺が言いたい」
「……ちょっと、かぶっちゃったけど」
俺は、
息を吐いた。
「海が、好きだ」
そう伝えると、
海はクスクス笑った。
「ありがと」
……軽いな。
すると海が、
楽しそうに俺を見る。
「やっぱり、凪は偽エリートだね」
悔しい。
悔しいけど。
その笑顔が、
たまらなく可愛くて。
まっすぐ、
俺の心に響いた。
……まさに。
“ガツンDay”だった。
五十嵐 凪。
28歳、独身。
意外と真面目に働いてる。
プロフィールは、
このくらいかな。
あとは、
実際に会って確認してほしいけど。
周りの奴らは、
「お前はエリートだから」
とか、
「何でもそつなくこなすよな」
なんて言うけど。
俺からしたら、
ちょっと意味が分からない。
仕事が溜まって、
ポンコツ上司から
「進捗は?」
なんて聞かれるのは鬱陶しいし。
残業なんて、
できればしたくない。
遊びにも行けないし、
家にも早く帰れない。
ただ、
自分の時間を確保したい。
そのために、
少し効率よく動いてるだけだ。
それで、
“エリート”なんだって。
……笑える。
でも、
俺が思うに。
周りの営業って、
売る気が前に出すぎなんだよ。
それ、
顔に出てる。
そんなんじゃ、
ダメだ。
俺のやり方は、
いたってシンプル。
相手の話を聞いて。
少し微笑んで。
ほんの少し、
提案する。
……たぶん、
それが。
俺が思う
“エリートのやり方”
俺の朝のルーティンも、
いたってシンプル。
温かい味噌汁と、
ほかほかのおにぎり。
……意外でしょ?
そう。
これは、
あんまり人に言ってない。
俺のイメージと、
ちょっと違う気がしてさ。
勝手にそう思って、
黙ってる。
おにぎりのレパートリーは、
意外と多い。
鮭、昆布、明太子、
そして、たらこ。
でも、
時々おかんが作ってくれる、
ひじきを混ぜたやつは別格だ。
あれは、
かなりうまい。
そうそう、
きんぴらも侮れない。
あと、
意外と重要なのが、
のり。
のりは、
高級食材だと思ってる。
これは、
声を大にして言いたい。
……ちょっと、
朝ごはんの話で
熱くなりすぎたな。
今日は、
この辺にしとくか。
これは、
内緒にしてほしい。
なんたって、
俺、
“エリート”らしいから。
昨日も定時で上がれて、
俺のプライベート時間は、
かなり充実していた。
だからか、
目覚めもいい。
鮭おにぎりと、
温かい味噌汁をいただき。
……うん。
満足。
そのまま、
シャツに袖を通した。
今日のシャツは、
ライトブルー。
水色っていうより、
もう少し青寄り。
この微妙な違い、
分かってほしいんだよな。
さて、
このシャツに合わせるジャケットは、
何がいいと思う?
紺か。
グレーか。
……今日の天気は、
曇り。
よし、
紺にしよう。
少しだけ、
引き締まって見える。
鏡の前で軽く整えて、
俺は玄関へ向かった。
――よし。
行ってきます。
会社へ向かう。
「おはようございます」
やっぱり、
挨拶は基本だ。
ロッカーに寄ってから、
自分の席に座る。
時々、
駅前でコーヒーを買って、
ギリギリになることもあるけど。
そこは、
慌てない。
何事もなかった顔をする。
……そして、
俺はいつものように
アイツを探す。
実は、
俺には好きな人がいる。
同期の、
川崎 海。27歳。
一応、女。
……いや、
見た目はちゃんと可愛いんだけど。
でも、
性格はかなり男前で、
たぶん、
俺の方が女子っぽい。
アイツさ。
俺が好きなこと、
全っ然気付いてないんだよ。
ほんと、
何なんだって思う。
名前の通り、
海みたいな奴で。
荒れてる日もあれば、
俺より静かな、
ベタ凪の日もある。
でも、
感情が顔に出やすいから、
分かりやすい。
朝、
アイツの顔を見ると、
だいたい機嫌が分かる。
今日は、
たぶん寝不足。
ひじきおにぎり、
食べさせたいくらいだ。
絶対、
ゆっくり朝ごはん食べてない。
慌てて家を出たに違いない。
だから、
俺への挨拶も雑だ。
「おはよう」
俺がそう言うと、
海は、
「おぅ」
で終了。
……ふざけてる。
あれ、
絶対わざとだろ。
俺が好きなの、
知ってるんじゃないかって、
時々思う。
まあ、
そんな態度取られても、
俺はクールだけど。
なんたって、
“エリート”らしいからな。
今日は、
お客さんのところへ行く予定。
といっても、
目的は情報収集。
お茶でも飲みながら、
今、何を考えてるのか。
どのタイミングなら、
こっちの提案が刺さるのか。
そこを見てる。
そうそう。
俺、
銀行員なんだよね。
だから、
仕入れのタイミングとか、
今、何の情報が足りないのかとか。
誰かを紹介したり、
逆に紹介されたり。
結局、
仕事ってタイミングだと思う。
その瞬間に、
何を言えるか。
それが大事。
……まあ、
今日はそこまで
書類も必要ないんだけど。
アイツと話したいから、
わざと頼む。
「この書類、予備ある?」
って。
すると決まって、
海は少し眉を寄せる。
「もうないの?
この前、渡したよね?」
……怒られる。
でも、
俺は、
それがたまらなく好きなんだよ。
ドMかって言われても、
別に構わない。
それが、
俺の仕事のスタートだから。
「はい、これ」
そう言って、
海が書類を手渡してくる。
ただ、
それだけなのに。
俺には、
“頑張って”って聞こえる。
……ほんと、
ヤバい奴だよな。
お茶じゃなくて、
コーヒーだった。
「そんなんですか」
「へぇ〜」
なんて、
感心した顔をしてみたり。
一緒に出してもらったチョコが、
やけに美味しかったり。
経理担当のおば様たちと、
世間話をする。
こういうのも、意外と大事なんだよ。
もちろん、
融資は条件比較される。
他行との金利競争もあるし、
数字も必要だ。
でも、
まずは、
会社のドアを開けてもらわないと始まらない。
その点、
俺は比較的、
懐に入るのは得意な方だと思ってる。
……なのにさ。
アイツは。
海はさ。
全っ然、
開かないんだよ。
ほんと、
びくともしない。
ほら貝かってくらい、
閉じてる。
そろそろ、
少しくらい
開いてくれてもいいだろ。
夕方、18時。
……いや、
もう夕方っていうより、
夜か。
そろそろ帰ろう。
今日も、
それなりに良い仕事はした。
業務日誌にも、
ちゃんと書ける材料はある。
でも、
俺は少し、
やらしいやり方をする。
今日は、
大した報告ありませんよ、
みたいな顔をしておいて。
あとから、
ドカンと持っていく。
ポンコツ上司なら、
なおさら。
簡単に、
あんたの手柄にはされたくない。
だから、
準備が大事なんだよ。
こまめに顔を出して、
軽く立ち話して。
その積み重ねが、
あとで効いてくる。
見とけよ。
これが、
“エリート”の、
泥臭い努力ってやつ。
……まあ、
あんまり品は良くないけど。
でもさ。
アイツの前では、
かっこいい俺でいたいんだよ。
だから、
涼しい顔して頑張ってる。
海、
分かってんのかよ。
たまには、
俺のこと褒めてくれよ。
そう思いながら、
海の背中を見ていた。
すると――
海が、
こっちに向かって歩いてきた。
……は?
な、
なんだ。
「あのさ、五十嵐」
海が、
俺に話しかけてきた。
「うん?」
できるだけ、
いつも通りを装って返す。
「今日さ、
A会社の経理の山岡さんが窓口に来てて」
……へえ。
「五十嵐のこと、褒めてたよ」
「なんて?」
平静を装って聞き返す。
「仕事は丁寧だし、
おしゃれで、イケメンだって」
海は、
くすっと笑った。
「私、“イケメンなんですか?”
って聞いちゃったよ」
お前な。
「でも、
ちゃんと仕事してるんだなって。
ちょっと見直した」
「見直すなよ」
いつだって、
きちんとしてるだろ。
「そう?なんか、
ちょっと良い子ぶってる感じするけど」
「え」
ひどくないか?
そう思った瞬間、
「あ、でも」
海が、俺のシャツを見た。
「おしゃれなのは、合ってる」
……え。
「今日のそのブルー、
五十嵐らしくて似合ってる」
その瞬間。
たぶん俺、
かなり顔が緩んだ。
やばい。
かなり、
かなり嬉しい。
やっぱり、
海って、
ちゃんと見てるんだ。
俺のこと、
分かってる。
なのに。
俺は、
こんなことを言ってしまった。
「……ブルーじゃない」
「え?」
「ライトブルーだ」
沈黙。
我ながら思う。
……品がない。
エリート失格だ。
今朝のおにぎりは、
たらこ。
ふるさと納税で届いたやつで、
これが、
かなり美味い。
……海にも、
教えてやりたい。
アイツさ。
昨日、
珍しく定時で上がってた。
しかも、
なんか体調悪そうだったし。
大丈夫かな。
体調悪い時こそ、
温かい味噌汁なんだよ。
ネギと豆腐、
それに少しだけ油揚げ。
ああいうの、
身体に染みるだろ。
ちゃんと、
温まらないと。
……心配だな。
今日は、
少し早めに会社へ行こう。
海だから。
海を見つけると、
いつものように声をかけた。
「おはよう」
そして、
すぐ顔を見る。
……やっぱり。
顔色が悪い。
「川崎、ちょっとこっち」
俺は、
海の手を引いた。
そのまま食堂へ連れて行き、
椅子に座らせる。
「お前さ、体調悪いだろ」
海は、
小さく頷いた。
「熱は?」
「朝、37.5くらい」
「何で会社来てんだよ」
熱あるじゃん。
「だるいだろ? 朝、飯は?」
「ううん。
食欲なくて、食べてない」
「水分は?」
「コーヒー飲んできた」
「……はぁ?」
思わず声が出た。
「熱ある時に、コーヒー飲むなよ」
海は、
少し肩をすくめる。
「川崎さん?
体調悪い時は、味噌汁なんだよ」
ネギと豆腐、
それに少しの油揚げ。
身体、温めないと。
……やっぱり。
思った通りだ。
「ちょっと待ってろ」
俺は自分の席へ戻り、
スープジャーと、
包んでいたおにぎりを持ってきた。
「はい」
海が、目を丸くする。
「え、何これ」
「たらこおにぎりと、味噌汁」
「え〜、五十嵐が作ったの?」
「……まあな」
そんなこと、今はどうでもいい。
「少しでいいから、腹に入れろ」
海は、
スープジャーを開けた。
「……なんか、ありがとう」
そして、
味噌汁をひと口飲む。
「優しい味する」
その言葉に、
少しだけ肩の力が抜けた。
海は、
おにぎりをひと口食べて、
また味噌汁を飲む。
その姿を見て、
俺はやっと安心した。
「川崎。
食べたら帰れ」
「え〜」
「その状態で仕事しても、
周りに迷惑かけるだけ」
ちゃんと休め。
「……分かった。食べたら帰る」
「食べ終わったら、ここ置いといて」
「うん」
海は、少し笑った。
「五十嵐、ありがとね」
……海。
本当はさ。
お前を抱えて、
家まで送って行きたいんだよ。
分かるか、海。
家に帰ることにした。
凪が、
心配してくれた。
急に手を引っ張るから、
びっくりしたし。
もっとびっくりしたのは、
おにぎりとお味噌汁。
温かかった。
おにぎりも。
お味噌汁も。
凪の気持ちも。
……凪さ。
こういうのって、
勘違いしてもいいの?
私、ちょっとだけ。
嬉しいって思っちゃったよ。
会社帰り。
俺は、
海に連絡を入れた。
――大丈夫か?
少し間が空いてから、返信が来る。
『寝たから、だいぶ良くなった』
そのあと、
追加でメッセージ。
『あと、朝ごはん食べたから、
元気になった』
……随分、褒めるの上手くなったな。
そう返すと、
『ごめん。でも、
朝ごはんが美味しかったのは事実』
と、
素直な返事が来た。
その文章を見て、
俺は少し安心した。
元気になったなら、良かった。
『明日は、
ちゃんと朝飯食べてから出勤しろよ』
すると、
すぐ返信。
『やだ』
……は?
『また体調悪くなるぞ』
そう送ると、
『じゃあ、明日は鮭おにぎりがいい』
『よろしくね、凪くん』
はぁ?
調子に乗るな。
そう返信しながら、
俺の手には、
鮭が入ったスーパーの袋。
……恐るべし海。
もしかして、
スーパー覗いてたか?
思わず笑ってしまう。
……早く。
早く、
海の顔が見たい。
「凪さ」
あの日以来、
海は俺を
“凪”と呼ぶようになった。
だから俺も、
“川崎さん”をやめて、
海と呼ぶようになった。
……まあ、
だからって。
海が、
俺を好きになったわけじゃない。
そんな簡単な話じゃない。
片思いなんて、
もう慣れた。
……いや。
慣れたと思ってた。
でも、
本当は、
慣れるもんじゃないな。
海。
そろそろ、
頼むぞ。
今日は、
“ガツンDay”だ。
品のないエリートの、
見せ場がやってきた。
タイミングは、
完璧。
どんぴしゃだ。
俺は、
海を呼んだ。
「電子契約書、
サインもらったら送信するから。
チェック入れといて」
「了解」
海は、
キーボードを打ちながら返事をする。
「やるね、エリート」
……お。
でも次の瞬間。
「でも、凪って、
あんまり“エリート”って柄じゃないよね」
何なんだよ、
その、“私はお前を分かってます”
みたいな感じ。
……いや。
分かってるのか?
俺のこと。
それとも、好きなのか。
……好きではないか。
完全に、
俺の願望だな。
でも、
今日はそんなことどうでもいい。
今日は、
とびっきりの契約なんだ。
エリートだろうが、
偽エリートだろうが関係ない。
“ガツンDay”なのは、
間違いない。
これで、
首位も見えてくる。
だから、
見ててくれよ。
海。
案件会議で、
俺の獲得金額が発表された。
「五十嵐、すごいな」
先輩にそう言われ、
軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
すると。
「五十嵐さんみたいになるには、
どうしたらいいんですか?」
海の二つ下の後輩が、
突然そんなことを聞いてきた。
……いやいや。
俺なんて、
そんな大したもんじゃない。
「目の前の仕事、
ちゃんとやってるだけだよ」
「あと、運かな。
まぐれ、まぐれ」
なんて、
適当なことを言ってみる。
……まあ。
エリート街道って、
そんな甘くないんだけどな。
でも、
後輩にそんな風に言われるのは、
悪くない。
少し気分が良くなっていた時。
「凪くん」
通りすがりの海が、
俺を見た。
「顔、
ニヤニヤしてる」
「は?」
「なんか、やらしい」
失礼すぎる。
「おやじみたいな顔してるよ」
そう言って、
海は通り過ぎていった。
……何なんだよ。
俺は至って真面目だし、
みんなに平等だ。
害なんてない。
まあ、
仕事の戦略は極秘だけど。
でも、
素直な後輩には、
そろそろ教えてやってもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、
ふと顔を上げる。
すると、
海と目が合った。
……ん?
なんか。
海、
怒ってる?
何なんだ、
あの態度。
何となく、 海の態度が気になった。
……いよいよ。
俺を意識し始めたか?
いや。
やっぱり違うか。
海だもんな。
そう思いながらも、
俺はまた、 無駄に書類を頼む。
「海、この書類ある?」
「はい、これ」
海は、
いつもより素っ気なく書類を差し出した。
……違う。
俺が欲しいのは、 いつもの感じなんだよ。
もう一度、海を見る。
すると。
手渡された書類の上に、海が何かを置いた。
「はい、これ」
……あめ。
小さなあめが、 ひとつ。
「……どうも」
思わず、 素直に礼を言う。
海は少し笑って、
「頑張って。偽エリート」 と言った。
「はぁ?」
海はそのまま、 自分の席へ戻っていく。
俺は、 その背中を見ていた。
口の中で、 あめが転がる。
やっぱり俺、
お前のそういう所、
好きなんだよな。
アイツ、
何ニヤニヤしてるわけ。
少し仕事ができるからって、
調子に乗ってる。
……でも。
凪って、
本当はすごく優しい。
私の体調が悪いのも、
すぐ気付いた。
しかも。
味噌汁とおにぎりまで、
出てきた。
何なの、
あの男。
仕事もできて。
優しくて。
イケメン……
なのかは、
ちょっと悔しいけど。
しかも、
朝ごはんまで、
毎日ちゃんと食べてる。
……完璧すぎない?
でもさ。
凪、
たぶん無理してる。
涼しい顔してるけど、
絶対、
頑張りすぎてる。
だから、
“エリート”じゃない。
偽エリート。
そういうとこ、
私しか分かってないって、
思ってる。
……分かってるのかな。
凪っ。
聞きたくもない情報が、 耳に入った。
海が、 他支店の奴らと飲みに行くらしい。
どこの輩かも分からない男どもと、
飲みに行く。
……はぁ?
俺より、 そいつらと飲む方を選ぶのか。
海、 お前の目は節穴か。
しかも。
今日の海、 いつもより化粧が丁寧だ。
お前な。
頭の中が、 ぐちゃぐちゃになる。
その時。
「凪さ、この書類」
海が、 いつもの顔で立っていた。
「利用限度額、記載漏れてる」
イラッとしながら書類を見る。
「あ、ここ」
海の指が、 俺のすぐ横を指した。
……確かに漏れてる。
やっぱり、 海のチェックには敵わない。
「ありがとう」
そう言うと、 海は当然みたいに頷く。
「じゃ、明日までお願い」
「了解」
海が戻ろうとした時、 俺は呼び止めた。
「あのさ、海」
「なに?」
「今日、他支店の奴らと
飲みに行くらしいじゃん」
「あー、うん」
海が普通に頷く。
「冴ちゃんに誘われてさ」
「……何の飲み会?」
「出会いの場?なのかな」
その言葉を聞いた瞬間、 変な汗が出た。
落ち着け。
平常心だ。
「飲み過ぎ、気を付けろよ」
……違うだろ。
本当は、 そんな飲み会行くなって、
言いたいくせに。
意気地なしの、 エリートだった。
飲み過ぎ、気を付けろよ。
……かぁ。
凪、それだけ?
出会いの場って、
言ったんだよ?
誰かと出会っちゃっても、いいわけ?
少しくらい、
行くなとか。
止めてくれても、
いいと思うんだけど。
この前の心配は、何だったの?
……何なのよ、凪。
意気地なしの、
偽エリート。
家に帰っても、 落ち着かない。
米でもとぐか。
いつもより、 力が入る。
無駄に想像力だけ発揮して、 しおらしくしてる海が頭に浮かぶ。
何やってんだよ。
炊飯器をセットして、 時計を見る。
22時。
海、 まだ帰ってないよな。
動画を流してみる。
全然、頭に入ってこない。
ったく。
携帯を取る。
海の名前を押す。
……切る。
いや、無理だ。
もう一回押す。
3コール。
出ない。
……遅いな。
4コール目で、 ようやく繋がった。
「もしもし? 凪?」
後ろが、 かなり騒がしい。
「うん、俺」
「どうしたの?」
「22時過ぎたけど。 まだ帰ってないの?」
「えっ? うん、まだいるけど」
笑ってる声が聞こえる。
それだけで、 少しイラつく。
「お前さ、 ただでさえ朝弱いんだから、
もう帰れよ」
「電車あるし、明日もちゃんと起きるよ?」
「でもさ、凪」
「ん?」
「この電話、 なんか彼氏みたいじゃん」
……。
だな。
彼氏では、ない。
でも。
その言葉を聞いた瞬間、
俺の中で何かが切れた。
「海」
「なに?」
「帰るなら迎えに行くけど」
「え?いいよ」
「今からけやき通りの信号まで
迎えに行くから、いいな。」
「でも…、」
「いいから待ってろ」
車で向かうと、
海はもう、
けやき通りの信号の前に立っていた。
俺を見るなり、
「遅いっ」
海は、
笑いながら怒る。
……良かった。
ちゃんと元気そうだ。
それだけで、
少し安心した。
「乗れよ」
海が助手席に乗り込む。
でも。
何となく、
何から話せばいいのか分からない。
車の中には、
音楽だけが流れていた。
「凪?」
「うん?」
「……ありがと」
「なんで?」
「なんでって」
海が、
少し笑う。
「迎えに来てくれたし、
心配してくれたから」
「……うん」
その返事しか、出てこない。
すると海が、俺を見た。
「凪ってさ」
「ん?」
「私のお母さんなの?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ、何?」
「何って……」
言葉に詰まった俺を見て、
海が笑う。
「海さ」
「……ん?」
「分かってるくせに」
その顔。
絶対、
分かって言ってる。
「俺に、
言わせようとしてるだろ」
すると海は、
少しだけ肩を揺らした。
「お前、
ズルいんだよ」
そう言うと、
海は窓の外を見ながら笑う。
「いいじゃん」
「は?」
「女子の特権だよ」
……何なんだよ。
その、
全部分かってるみたいな顔。
ほんと、
敵わない。
すると海が、
ふっと真面目な顔になった。
「でもさ」
「ん?」
「凪だって、
ずるいんだよね」
「は?」
「仕事できて、優しいし。」
「でもさ、ちゃんとしてそうなのに
意外と面倒くさいところもあったり。」
「あと、結構すぐ顔に出るし」
「……なんだよ、褒めてるのか、
けなすのか、どっちかにしてくれよ」
「だから、ほっとけなくて。
ムカつく時ある」
「何だよ、それ」
海は、
窓の外へ視線を向けた。
「私も、凪みたいに、
なりたいな」
「海……」
「上手く出来ないから、
つい強く言っちゃう時あるし」
「凪に追いつきたいな」
その言葉を聞いた瞬間。
ああ。
そういうことだったのか。
海は、
強いんじゃない。
強くしてたんだ。
俺の前で、
そうしたかったんだ。
なんだよ、それ。
海、反則。
運転してるのに抱きしめたいだろ。
「……凪さ」
「ん?」
「この前、
冴ちゃんと話してたじゃん」
「ああ、あれね」
『どうしたら、
五十嵐さんみたいになれますか?』
って、
後輩に聞かれてた時の話だ。
「その時さ」
海が、
少しだけ俺を見る。
「私と目が合ったの、覚えてる?」
「あー……」
思い出す。
「あの時、
海、俺のこと睨んでなかった?」
「うん。怒ってたし、睨んだ」
「え」
俺は少し笑う。
「アイツ、
いよいよ俺を意識し始めたかって、
思ってた」
すると海が、
呆れた顔をした。
「ふ〜ん」
「そんな風に見てたんだ」
「いや、だってさ」
「お前、俺のこと、
ニヤニヤしたおじさんとか言うし」
「それは……」
海が、
少し視線を逸らす。
「それ聞いたら、
普通、思わない?」
「何を?」
「ヤキモチだって」
「……え」
一瞬、思考が止まる。
「えぇっっ!!」
海が吹き出した。
「海、ヤキモチ妬いてたの?」
「うん」
「本当に?」
「本当」
「……マジか」
やばい。
かなり、やばい。
すると海が、小さく笑った。
「でね、凪」
「……ん?」
「私、凪のこと好きなの」
「…………は?」
「お前さ」
俺は、
小さくため息をついた。
「先に言うなよ」
海が笑う。
「え〜」
「俺の“ガツンDay”は、
俺が締める予定だったんだよ」
「何それ」
「何で、海が決めるんだよ」
海は、
肩を揺らして笑ってる。
……ったく。
「海さ」
「ん?」
「俺、意外と仕事できてるじゃん」
「自分で言う?」
「みんな、エリートって言うし」
「偽だけどね」
「うるさい」
そう返してから、
俺は少し真面目な声になる。
「だからさ」
「仕事も、恋愛も」
「最後は、
俺がガツンと決めたかったわけ」
海が、静かに俺を見る。
「だから、迎えに来たし」
「変な輩から、さらいたかったし」
「明日、
お前がちゃんと起きられるか、
心配だったし」
海が、
少しだけ目を細める。
「だからさ」
「改めて、俺が言いたい」
「……ちょっと、かぶっちゃったけど」
俺は、
息を吐いた。
「海が、好きだ」
そう伝えると、
海はクスクス笑った。
「ありがと」
……軽いな。
すると海が、
楽しそうに俺を見る。
「やっぱり、凪は偽エリートだね」
悔しい。
悔しいけど。
その笑顔が、
たまらなく可愛くて。
まっすぐ、
俺の心に響いた。
……まさに。
“ガツンDay”だった。

