あのときうたたねしていた彼に近づき、こっぴどく咎められた。
だからまさかこうして、自分に貸してくれるなんて……夢にも思っていなかった。
「うれしい、です」
じんわりと温かい気持ちが、心に広がってゆく。
受け取つ際に、指先同士がかすかに触れる。それだけで、心臓がやけに騒がしい。
「あの」
気づけば、声が出ていた。
一葉は一瞬迷ってから、まっすぐ悠醐を見た。
「よかったら……コーヒー、いかがですか?」
キッチンのほうへ視線を向ける。
「ちょうど、お湯を沸かそうと思っていて……」
自分でも驚くほど、自然に言葉が続いた。
けれど内心は、断られるかもしれないという緊張でいっぱいだった。
だが何も言わずに終わらせてしまうのが惜しい。
悠醐はかすかに目を見開いたあと、一拍置いてから口を開いた。
「……ああ、じゃあ頂こう」
ぶっきらぼうな一言に、一葉はほっと胸を撫で下ろす。
彼は小さく頷く。なんだか、照れてるみたいな横顔だった。
「すぐ、用意しますね」
一葉は軽く頭を下げ、足早にキッチンへ向かった。
蛇口をひねり、ケトルに水を注ぐ。ベースに戻してスイッチを入れると、低く澄んだ電子音が立ち上がり、じわりと加熱が始まった。
(悠醐さんは、絶対にブラックだったはず……)
背後のリビングからは、衣擦れの音やページをめくる微かな気配が伝わってくる。
また本を読み返しているのかと思うと、なんだか可愛らしく感じた。
(またあのときみたいに、本の話ができるといいな)
悠醐と仲良くなったきっかけは、本だった。そして、ふたりの交際に彩りを与えたのも、間違いなく、本だ。
懐かしい記憶が蘇り、じんと胸が熱くなった。だが過去は過去。またこれから新しい関係を築いていきたい、本を通して……。
やがてケトルの中で水が温まり、ぶくぶくと音を立て始めた。
一葉はコーヒーの準備を進めながら、何気なく食器棚を振り返ろうとする。
そのときだった。
ケトルの持ち手が一葉の腕にあたりその衝撃で、こちらに倒れてきた。
(え――?)

