孤高の心臓外科医は、憎しみの元恋人を熱情で囲い込む

◆◆◆
 
一葉に契約結婚を持ちかけたその夜――。
静まり返った廊下に、足音が響いた。一歩、また一歩と踏みしめる。
悠醐の視線の先は暗がりで見えない。底知れぬ闇が、院内には広がっている。

『一葉か?』

悠醐はノックしたのち、扉を開いた。
ベッドの上に横たわる男――一葉の父、誠は、呆けた顔でこちらを見た。

『なんだ。先生だったのかい』
『調子はいかがでしょうか。篠宮さん』

普段通り、様子を見に来た悠醐が誠に友好的な笑みを向けた。

(この男を見ていると虫唾が走る)

その呑気な顔を見ていると、唾を吐きかけてやりたい衝動に駆られるが、いつもいつもぎりぎりで飲み込む。

『いやぁ……どうも胸のあたりが落ち着かなくてね。これがペースメーカーってやつかい? 機械を入れられてると思うと、なんだか気味が悪くてなぁ』
『……そうでしたか。ですが、それがないと、あなたは死にます』

悠醐の言葉に、誠は動きを止める。訝し気に眉を顰め、嫌悪感を露にする。

『今の言葉、先生としては頂けないね』
『ではお言葉ですが、元医療機器メーカーの社長のお言葉として、こちらも頂けません』

はっきりと悠醐が告げると、誠は口を噤み、わずかにたじろいだ。視線が落ち着かず、逃げ場を探すように泳いでいる。

『――あなたはいつも、気楽でいいですね。今でも一葉がどれだけ大変な思いをしているのか、ご存じありますか』

今まで抑えていた感情が一気に溢れ出す。
医師としてではない、五十嵐悠醐としての本音だった。
誠は顔を歪め、苛立ったように声を荒げた。

『は、なんだい突然! あんたに家族のことは関係ないね!』

その言葉に、悠醐の表情がすっと消える。

『篠宮さん、私の名前、憶えていませんよね?』